第20話 累の強さ

 一姫は動揺の波が落ち着くのを待ってから、教室の自席に戻った。

 席についた一姫は時計を見て、まだ朝礼まで時間があることを確認した。

 横目でちらりと累を見やると、累はブラック無糖の缶コーヒーをすすりながら、スマートフォンを触っていた。

 一姫は控えめに、小さな疑問をぶつけた。


「累は、護さんのことが好きだから変わったの?」

「は、はあ!?」


 バキィ――ッ!

 と累は手に持っていたスチール製の缶コーヒーを握り潰した。

 その破裂音に、周囲のクラスメイトが驚いたように体を震わせ、音の発生源たる累の手元を見た瞬間、愕然とした表情のまま凍り付いた。

 缶コーヒーはほとんど飲み干していたのか、中身は飛び散らず、累の手の平を僅かに濡らしただけだった。


(うんうん。やっぱり累はかわいいなあ。こういう質問にあたふたしちゃうなんて)

 一姫は累の乙女な一面を見られて、ちょっとした感動を得ていた。


「ば、馬鹿! そそそ、そんなんじゃねえよ!」

 隠しきれない動揺を露わにしながら、累はハンカチで手を拭いた。

「累、言葉使いが乱れてるよ」

「んんんっ! そ、そんなはず、ありませんことよ、一姫さん。おほほほほ」

「おほほほ。そうなのね、好いてはいませんことね」

 累の対応に合わせてみると、累は脱力したように項垂れた。


「ああー、もう、くそ! せっかくうまくいってたのによぉ」

 累は前髪をかき上げると、左の肘を椅子の背もたれに乗せて、足を組んだ。

「ああ……、『尾張の纐纈こうけつ』に戻っちゃった」

 非常に格好いいポーズだと思ったが、それはそれとして一姫は残念な気持ちになった。


「うっせ。しょーがねえだろ。大体、私はこっちの方が性に合ってんだよ」

「護さんのために無理してたの?」

「……まあ、そうだな」

「どうして、護さんのために、そこまでするの?」

「……い、いや、それは……」

「ねえねえ、どうして? 好きじゃないなら、どうして自分を偽ってまで、護さんのために行動できるの?」


「そ、その……」

「累、教えて? 私、累の力になりたいの。累が松さんになりたいなら、私、協力するよ。友達だもん」

 一姫は椅子ごとずりずりと累の直ぐ近くまで移動すると、累の手を取ってその目を見つめた。

 累は怯んだように顔を逸らすと、盛大にため息を吐いた。

「お前なあ……」

 累は一姫の手を振りほどくと、人差し指で一姫の眉間をぐりぐりと円を描くように押し始めた。


「うう……? へ、変な感じがするよ……」

「お前、今みたいなこと、絶対男に対してするなよ? 勘違いされるからな」

「し、しないよ。仲の良い相手にしかしないよ……」

「仲が良くても、いや、仲が良いからこそ、男にはやるな。いいな?」

「わ、分かったよ……」

「よし」

 ようやく眉間から指が離されたが、その感触がいつまでも残っているような違和感があった。


「でだ、ああ、こう、なんだ、その……、一姫、ちょっと耳貸せ」

 手招きされた一姫は累に耳を近づけた。

 累のあめ玉のような甘い吐息が耳にかかった。

「……一姫の言うとおり……好きだよ、護にぃのこと。一人の男として見てる」

 告白が囁かれると、リップが塗られて艶やかに光る累の唇が離れて行った。


 累の頬は赤みがかっており、目線はあらぬ方向に向けられていた。相手が一姫とはいえ、自分の胸の内を赤裸々に言葉にするのは恥ずかしいことのようだった。

 そんな累の一連の態度を見た一姫は、どうにもこうにも、いてもたってもいられなくなった。

「……て、照れるなあ……」

「いや、なんでおめえが照れるんだよ」


 累の乙女な告白と思春期らしい羞恥が一姫の胸の内をくすぐり、他人事ながら、もぎたてのスモモを食べたような新鮮な甘酸っぱさが広がった。

「ま、まあ、そういうことだ」

「あれ? でも、いつからなの? 元々、護さんは松さんの恋人だったんでしょ?」

「護にぃとは幼馴染だったからな。なんつーか、その……、気づいたらって感じだ。最初に自覚したのは、小学校二年生くらいか? でも、護にぃが松ねぇを好いていたのは、なんとなく分かってたから、告白はしなかったんだよ。んで、二人が本格的に付き合いだしてからは、脇目も振らず空手一本で貫き通して、今に至るって感じか」

「累は、護さんと、結ばれたいの?」


「……護にぃに対する想いは、今言った通りさ。でもな、流石に、恋人にはなれねえよ。私にできることは、松ねぇの代わりに、護にぃを慰めることくらいだ。自分の姉の恋人だった人と、姉が死んじまってから結ばれるなんて……、流石にな。松ねぇの位牌に、どの面下げて手ぇ合わせればいいんだって話だ」

 報われぬと知って尚、思い人のために、自身を殺す。

(累は、私とは違う……)


 かさねられることを、かさねてくる人のためだと受けいれた累は、一姫とは違う。

 漠然とそう感じた一姫は、累を応援すべきか、彼女の助けとなるべきか迷った。

 迷っている内に、累は夏のラムネのように爽やかに笑った。


「一姫、おめえはいい友達だ。でも、護にぃのことは、私が一人でどうにかするさ。これは、私ら、幼馴染の問題だからな」

 いつも累は、一姫が迷っている間に答えを出して、前へと進む。

 迷いながらも、うつむかずに進める累が、好ましくもあり、同時に、羨ましかった。

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