第19話 累とかさねた

 週末を越えた月曜日の朝、一姫が教室に入ると、隣の席に見知らぬ女子が座っていた。

(誰だろう……?)

 疑問を覚えつつ自分の席につくと、その子は一姫に向かって挨拶をしてきた。


「おはよう、一姫。今日もいい天気だね」

「……あれ……?」

 よく顔を見れば、累であった。

 声を聞いても、間違いなく累である。

 しかし、髪型、口調、制服の着方、鞄、靴下、多くの要素が、先週までの累を否定していた。


「……おはよう、累……。なんだか、いつもと、違うね……」

 累の容貌は変わっていた。

 一言で言うのであれば、美しくなっていた。

 一姫は前々から、累は美人であると思っていたが、累は化粧や服やアクセサリなど、年頃の女の子が気を使う部分には無関心であったため、顔が整っている以外に、累の美しさが表に出ることはなかった。加えて、口調や態度が乱暴であったため、日本女性のジェンダー規範――いわゆる大和撫子的な――に沿った外見、性格ではなかった。


 しかし、一姫を含め、クラスメイトの一部の女子は知っていた。

 累は、体が非常に美しいことを。

 余分な脂肪は無く、筋肉と体幹は日々のトレーニングによって鍛えられ、身長は百七十センチ超え、すらりと長い手足、姿勢の良い綺麗な歩き方……。

 そんな累が髪をショートカットに整え、ほんのりと化粧をし、着崩していた制服を綺麗に着ると、まるでモデルのようだった。


 これが、土曜日のデートの影響であることは想像に難くなかった。

 動揺である。


 恋人……といっていいのかはともかく、好きな男性の影響を受けたことで数日前の自分を捨てた友達を見て、あまりに生々しい変貌ぶりに、一姫は酷く動揺した。中学生来の友達が、先に一歩、大人の階段を上がったような気がする。

 これが、大学生の恋人を持った女子高生の結果なのかと、戦慄を覚える。


「まあね。もう十六歳にもなるから、女の子っぽくしようと思ったんだ」

 がさつな態度や乱暴な口調も矯正したせいか、余計に印象が変わる。

 一姫が、(さてどう対応をすべきか……)と悩んでいると絵美が教室に入ってきた。


「おはよう、一姫。それに……、うん?」

 累の席を見た絵美が累を見て、納得のいかない顔をした。

「誰かしら? そこ、累の席……」

「私よ。累よ。おはよう、絵美」

「……」

 絵美は累の顔をまじまじと見つめたと思うと、一姫の方を向いた。

「…………か、一姫、ちょっと……」

 絵美は自分の席に鞄を置くと、一姫の手を引っ張って廊下に出た。


「あの子、累よね? 間違いなく、累よね?」

 廊下の窓際に寄ってから、絵美が動揺したように言った。

「恋をすると女の子は変わるというけど……。私もビックリ」

「変わるにも限度があるわよ……。他のクラスの子かと思ったもの」

「昔から、累は美人だと思ってたけど、やっぱり意識的に磨くと映えるよね。恋の魔力だよ、やっぱり。態度とか口調まで変わるとは思わなかったけど」

 絵美は腕を組んで何か考え出し、一姫の顔をちらりと見た。


「……一姫、累のアレ、気づいた?」

「うん。累は美人だよね。クラスの男子が放っておかないよ」

「いや、そうじゃなくて……」

 絵美は脱力したようにため息をついた。


「累の顔に、泣きぼくろがあったわ。多分、メイクだと思うけど」

「そういえば、あったね」

「先週まではなかったわよ」

「……」

「累のお姉さんにも、泣きぼくろがあったって話よね?」

「……」

「それに、累のお姉さんは前下がりのショートカットだったらしいわね。今日の累も、同じ髪型だわ」

「……そっか」

 一姫は、酷く安堵した。


(累も、こっち側に来たんだね……)


 何も意識せず、一姫はそう思った。言葉の意味するところなど何も理解せず、ただ、自然とそう思い、安堵した。

 自分だけではない。

 一人ではない。

 一姫はまるで、自分が肯定されたような気がした。

 思いの源泉も特定できないまま、一姫は嬉しそうに破顔した。


「そっか! それは、とってもいいことだね!」

 一姫の言葉に、絵美は絶句したような表情のまま凍り付いた。

 数秒の硬直が解けてから、絵美は訝しむように口を開いた。


「本当に……、そう、思うの……?」

「あれ? 私、変なこと言った?」

「……累が先週言ったこと、覚えてないの? 護さんは、累と松さんをかさねているのよ? あの様子じゃ、累は護さんのために、あえて松さんになりきろうとしている。そんなの……、まともな付き合い方じゃない。もうとっくに亡くなっている人を演じて、お姉さんの恋人だった人を慰めるだなんて……」

 絵美がそう言った瞬間、一姫の胸に生まれたのは悲しさだった。


(否定しないで欲しい。私を、否定しないで……)

 そう思う理由すら分からないにも関わらず、一姫はあまりに悲しくなった。

「とにかく、もう一度、よく考えて見て。累のためにも……」

 そう言って、絵美は遠慮するような表情をしながら、教室に戻っていった。


(まともじゃない? まともだよ、私は。私は、累は……、間違っていない……)

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