第18話 累と松

 小さな竜巻が通り過ぎたような心持ちだったが、先ほどの衝撃を思い出して、一姫と絵美は累に詰め寄った。

「え? え? 今の人、累の恋人? 一年ぶりってことは、遠距離恋愛だったの? というか、中学の時から付き合ってたの? もう、恋人がいるなら教えてよね!」

「ほ、ほんとに恋人なの? でも、なんかおかしくなかった? 松って呼んでたわよね? あ、もしかして、二人だけの特別な呼び名とか? うわあ、とってもロマンチックね! 素敵!」

 はしゃぐ二人とは反対に、累の表情は暗かった。


「……そんなんじゃねえよ」

 吐き出されたその一言は、裏側に正体を隠した否定の言葉で、背後を覗くことをためらわれる思惟が含まれていた。


「あ、ごめんさい。勝手にはしゃいじゃって」

「そうだね……。ごめんね、累」

「あー、くそ、謝るなよ。とにかく……、道すがら話すさ」

 駅に向かう道を、同じように帰路につく高校生や中学生に混じって歩きながら、累の話を聞いた。


「私には、松っていう二歳上の姉さんがいたんだよ。二年前に飲酒運転の車に突っ込まれて亡くなっちまたけどよ。護にぃは、私ら姉妹の幼馴染で、松ねぇの恋人だったんだよ」

 中学生の頃、累が二週間ほど、学校を休んだことを思い出した。家族が亡くなったからだと聞かされたが、誰が亡くなったかは知らなかったし、聞かなかった。安易に踏み込むべき問題ではなかったから。

「護にぃが松ねぇと付き合い出したのは中学二年くらいからで、ずっとラブラブって感じだった。でも、二年前のデート中に、車が突っ込んできて松ねぇは亡くなったんだけど……」

 そこで累は言いよどんだように、言葉を切った。


「……松ねぇは、即死じゃなかった。後で事故現場に花を供えてたばあさんに会ったら、事故現場に偶然居合わせたみたいでよ……。松ねぇはずっと『護、助けて』って言ってたらしい」

 一姫の耳元で誰かが囁いた気がした。


『かず……、たす、助けて……。かず……』

 一姫は頭を一度振って、その声を無視した。


「護にぃも両足が骨折してたし、頭も打ってた。その中で、救急車が来るまでずっと松ねぇの声を聞きながら、じわじわ死んでいく様子を見ることになって……。それからだよ。護にぃがおかしくなったのは。松ねぇの死を受けいれられなくて、直視できなくて、松ねぇに似ていた私を松ねぇだと思うようになっちまった」

 累と松をかさねる。

 生者と死者をかさねる。

 不思議と、一姫は護に親近感を抱いたが、何故そう思ったのかは一姫にも分からなかった。


「もう二年も経ってるから、私と親は、ある程度は吹っ切れてるよ。しぶとい青あざが残ってるって感じはあるけど、護にぃを見てると、まあ、マシだと思うよ」

 頭が揺さぶられる感覚と共に、遠い夢が、目の前に迫ってきた。


 逆さまの和希の顔。

 のっぺりと貼り付いた笑みが、そこにあった。

 あの時、和希は誰を誰ではないと言ったのだったか。


「……累と松さんは、そんなに似ているのかしら?」

 絵美は慎重に言葉を選ぶように聞いた。

「似てるな。身長こそ私の方が上だったけど、顔はよくそっくりだって言われてた。松ねぇは空手こそ習ってなかったけど、バトミントン部で体は作っていたから、一緒に筋トレとかジョギングとかやってたよ。だから、体つきも結構似てたな。つっても、今の私と比べると、私の方が筋肉あるけどな」

 そういって、累は上腕二頭筋を誇示するようにポージングした。


「髪型はショートカットで同じだけど、松ねぇは髪を前に下ろしてたから、少し違うな。あとは……、泣きぼくろがあったか。護にぃが色っぽいって言ってたな。でもまあ、違うとこつったら、それくらいか」

「……それでも、性格とかは違うんでしょ?」


「まあな。私は、自分でいうのもなんだが、言葉使いが結構乱暴なところあるけど、松ねぇは逆にお淑やかっていうか、いっつも優しい口調で話してたな」

「見た目こそ似ているのは分かったけど、それでも、まるで性格が違う二人をかさねるなんてあるのかしら? 歳だって違うのに……」

「……ちょっとした違いなんて、些細なことなんだよ」

 気がつくと、一姫は絵美の言葉を否定していた。


「あまりに辛い現実が重なって、自分も大きな怪我を負った護さんは、きっと、心が現実に追いつかなくなったんだと思う。松さんを助けることができなかった自分を責めて、それを否定しようとして、仮想の現実に逃げ込んでしまったんだよ」

 すらすらと、一姫の口から出てきた答えは、あまりに一姫の心にしっくりくる答えだった。

 しかし、それが何を根拠に出てきた言葉なのかは、一姫には分からなかった。


「……それで、累はどうするの? あの人、護さんと、デートするの?」

「デートはともかく、一度、話はしねえとなあ。護にぃは、父親……安田先生の提案でドイツに留学してたんだけど、それだって、私と距離を置かせるためだったんだよ。けど、結局、なんも変わってなかったなあ」

「安田先生……、あ、もしかして、護さんって空手道場の先生の息子さんなの?」

「そういうことだ。私が空手始めたのだって、護にぃがいたから……、んん……ッ!」


 累が言葉を濁したこと、先ほど護に手を握られても嫌そうではなかったこと、その二つから、一姫と絵美は察するものがあった。

「(ねえねえ、もしかして、累って護さんのこと……)」

「(だとしても、どうよ、それ。お姉さんとかさねられているのに……)」


 二人が累の後ろでコソコソと話しているのに気づかず、累は話を逸らそうと、ドラマやアニメなど、関係のない話を振って話題を広げ始めた。

 一姫は、累の強引な話題転換に付き合いながらも、どうしても、護のことが頭から離れなかった。

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