三 そして私は累とかさねた

第16話 累ヶ淵

「『累ヶ淵かさねがふち』という物語を知っているかい?」


 中学校に上がったばかりの頃、一姫が、クラスで友達になった累のことを話すと、トゥイクはそう聞いてきた。

 問いを受けた一姫が否定に首を動かすと、トゥイクはいつもの声高な調子ではなく、数段低い声で話し始めた。


「江戸時代、累ヶ淵を舞台にした『累』という女性の怨念と除霊をめぐる話さ。四谷怪談、牡丹燈籠、播州皿屋敷と並んで、日本四大怪談と呼ばれる一つだよ」

 累の名前は、その怪談に登場する怨霊となってしまった女性の名前と同じなのだという。

『累ヶ淵』は要約すると、このような話なのだという。



 あるところに、与右衛門という百姓がいた。彼は、妻・お杉の連れ子の『助』を、器量が悪いという理由で殺害し、その後、お杉との間に授かった女の子を『累(るい)』と名付けた。しかし、成長するにつれ、累の顔は助とそっくりになっていった。


 この子は助だ。助が『かさねて』生まれてきたのだ。

 そうして累は、『かさね』と呼ばれるようになった。


 しばらくすると、与右衛門もお杉も亡くなり、累は谷五郎という男を婿に取ると、与右衛門の名を継がせた。二代目・与右衛門は器量が悪いと累を嫌い、彼女を川へ突き落として殺してしまう。

 独り身になった与右衛門は再婚するが、新しい妻はすぐに亡くなってしまう。再婚しても直ぐに妻が亡くなるということを五回も繰り返し、ついに、六人目の妻・きよとの間に子供をもうけ、その娘は菊と名付けられる。


 しかし、菊に怨霊が取り憑いた。菊は口を開き、こう言う。

「私は菊じゃない。お前の妻、かさねだよ」

 このことを聞きつけた祐天上人は、かさねの霊を供養してくれるが、まだ怨霊の気配がするので、問いただすと、


「私は助です」

 祐天上人が助にも戒名を用意して供養することで、ようやく二人の幽霊はこの世を去ることができた。



 話終えると、トゥイクは寂し気な顔をした。

「人が他の誰かにかさねられることは、哀しいことだよ。助にかさねられた累は、助と同じ運命を辿り、遂には彼女と共に怨霊となってしまう。彼女たちは、そうなりたくてなった訳ではなく、周りが二人をかさね、父親が、夫が、無残にも彼女たちを殺してしまったから、そうなってしまっただけだ」


 かさねられただけで、自らかさねた訳ではない。

「累は助じゃない。そして、和希くんも、一姫ちゃんじゃない。分かるかい?」

 問いかけの意味は、朦朧と陰り、一姫の頭に霞をかけただけに終わった。


 その夜、一姫は夢を見た。

 夢には和希が現れた。その姿は、『山上池』で溺れた時の姿で、逆さまに立ったまま一姫の顔を凝視していた。

 眼孔はがらんどうであるにも関わらず、視線ははっきりと感じる。

 親しげな笑みは、ぞっとすると甘く、はちみつのようだった。


 苦痛の渦中ともいうべき再会に、一姫は逃げ出したかった。

 ナメクジのような唇が、淫猥に蠢いた。

『私は和希じゃない。和希の妹、一姫だよ』

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