第14話 一蓮童女
一姫は手に持ったサンダルを墓の入口の階段にそっと置き、その場から静かに離れた。
ぺたぺたとくたびれたサンダルで歩きながら、一姫は、優真と座敷童のことを考えていた。
何故、優真は座敷童となったのだろうかと。
(守護神、だからかな)
憑きもの持ちは、保護精霊的思想が転化したものだという説がある。
はるか昔、一族一家を守護する精霊のおさきとして、狐などの小動物が祀られていたが、動物よりも人間の方が高いと考えられる時代になり、動物崇拝の信仰は衰え、残存した保護精霊の観念が憑きもの持ちの形成に繋がったのだという説。
(守護精霊と守り神……)
一家を守護する精霊のおさきと、家に幸福をもたらす守り神としての座敷童。
(憑きもの持ちの家に、座敷童の正体である子供の霊が発生したことで、優真くんは、守護神の特性を帯び、座敷童となった……。なんて考えるのは、穿ち過ぎかな……)
結局のところ、真実は分からないし、分からなくて良いのだろう。
(真実はどうであれ、優真くんの幽霊が現れたお陰で、市原さんは、優真くんを見つけることができた。だから、きっとそれでいいんだ)
後から理屈をつけてこねくり回すのは学者のトゥイクに任せることにした。
一姫は寺院の墓地の入り口まで戻ると、ふと気がついた。
「あれ……? そういえば、ここって、うちのお墓もある……」
遠い記憶が掘り返された。八歳の頃に父方の祖父母の墓参りのために、ここに来た記憶。古い割に、それがお墓参りの最新の記憶だった。
一姫は引き返して、記憶を頼りに、家のお墓を探した。
お墓参りの記憶で一番新しい記憶が八歳の記憶だというのであれば、一姫は、和希のお墓参りをしたことがないことになる。
(酷い妹……。和希が亡くなってから、一度もお墓参りをしていないなんて)
考えて見ると、不自然だった。
入院していた時期はともかく、退院後はお盆の時に行ってもよかったはずなのに。確かに、毎年ではなかったが、お盆や正月にはフィンランドにあるアイティの実家に行く年があったため、参れない年があっても不思議ではないが、一度も参っていないのは、おかしい。
朧気な記憶を頼りにしていくと、『遠野家』と刻まれた墓石に行き会った。
風雨に晒され続けた墓石は所々に染みを作ってはいたが、管理は行き届いており、苔が付いていたり、灯籠の中に蜂の巣があるなどといったことはなかった。
二段だけの石階段を上って、右側にある墓誌を見る。戒名や俗名、没年月日が刻まれている。
「……これが……、和希の戒名……」
柔い指先を刻まれた戒名の上に滑らせる。
『一蓮童女』
「童、女……?」
一姫の指が大きく彫られた戒名を通り過ぎ、戒名の半分の大きさで彫られた没年月日と俗名に辿り着く。
『平成 二十四年 七月 十一日』
『俗名 遠野一姫 行年 九才』
心臓の中で炸裂したものがあった。
びくりと動揺したように跳ね上がり、衝撃と共に鈍い痛みがやってきた。
地面が傾いた。
後ろに尻餅をつき、その勢いで倒れ込みそうなり、手をついて体を支えた。
丸石が転がる地面についた左の手の平が痛い。
呼吸が浅く、早くなる。
一陣の風が吹くと、それに声が乗って一姫の耳に届いた。
『誰のせいでこうなったと思ってるの……?』
「ぁ……、ぁぁ……」
喉に乾いた空気が貼り付いて、痛い。
空気が通りにくい。
『かず……』
高い声が誰かを必死に呼ぶ。
『たす、助けて……』
水をかく音がする。咳き込むような、吐き出すような苦い声が聞こえる。
『かず……』
声が途切れる。
聞こえなくなる。
静かになる。
雨がさらさらと降る音だけが、残って……、
『和希ィィ――――ッッ!!!!』
小石の上についた左手首を、誰かが掴んだ。
金髪に藻をつけ、びしょ濡れになり、泥の涙を流し続ける一姫が、敷き詰められた白い小石の中から這い出ていた。
うつ伏せになり、這って、手首を強く掴んでいた。
「ああぁぁ……ッ!! ち、違う……。僕のせいじゃ、ない……」
逃れようとする力も沸かず、目をぎゅっとつむって祈るように耐えた。
「許して……、もう許して、一姫……」
「……さん……! 遠野さん!」
市原の声が響いたと思うと、途端に、手首の感触が消えた。
「大丈夫? どうしたの? あなたを探していたら、叫び声が聞こえて……」
心配そうに顔を覗き込む市原を見て、一姫は少しずつ落ち着きを取り戻していった。
「あ……、だ……、大丈夫。ちょっと、転んだだけだから……」
「そう……? それなら、いいけど……」
横目で伺うと、先ほどまでいたはずの和希の姿はなくなっていた。
市原の手を借りて立ち上がると、彼女は墓誌をちらりと見ていた。
「もしかして、遠野さんの家の、お墓?」
「うん。……昔、双子の兄が、亡くなったの。せっかくだから、久しぶりにお参りしようと思って」
「そう……」
「市原さんは、もういいの?」
「ええ……。もう大丈夫。色々と、ありがとう……」
そう微笑んだ市原の顔を見て、一姫はほっと安心した。
「ねえ、遠野さん。その……、昨日、友達って、言ってくれたじゃない?」
「うん。友達だよ?」
「なら、名前で呼んで、くれないかしら……? 私も、一姫って呼ぶから」
「うん! よろしくね。絵美!」
勢いに任せて絵美の手を握ると、彼女も握り返してくれた。
「そういえば、一姫の漢字ってどうかくのかしら?」
「一つ目小僧の一に、瓜子姫の姫で、一姫だよ」
「一番のお姫様で一姫ね。うん。覚えたわ」
「わざとぼかしたのに……。どうして恥ずかしい表現で言い直すの……」
「あら、かわいいじゃない」
「背中がむずむずする」
「いいから、いいから。ほら、行きましょう。いつまでも累を一人で待たせておく訳にはいかないでしょ」
「うん。そうだね」
一姫と絵美は二人で並んで、墓石の中を歩き、墓地を出た。
寺院を出る間際、絵美が微かに後ろを振り返った。
「……見間違い、よね……」
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