第12話 もぉ、いぃーよぉー

「トゥイクが来てたら、大興奮だったろうなあ」


 翌日、学校の帰り、一姫は市原と共に市原家に来ていた。

 市原の家は平屋の日本家屋。竹を添え木にした庭木で囲まれ、屋根は古い瓦、玄関のガラスが入った引き戸は開けるとギギギィと音がし、居間に入ると畳みとほのかなカビ臭さが、心をどこか安心させた。


「古いだけよ。冬は寒いし、雨漏りもするし、虫は入ってくるし。おばあちゃ……祖母がわがままを言うから立て替えていないだけで、祖母が亡くなったらリフォームするんだって、父は意気込んでいるわ」

「もったいなあ」

「それに、曰く付きなのよ、ここ」

「曰く付き?」


 市原が居間の奥の引き戸を開けると、二段ほど床が低くなった台所が現れた。サンダルを履いて、市原は凹みがついたヤカンに水を入れると湯を沸かし始めた。


「祖父母が引っ越してくる前、この屋敷には、狐持ちの一家が住んでいたらしいのよ。遠野さんなら、狐持ちのことは知っているでしょ?」


 いわゆる、憑きもの持ちと呼ばれる俗信の一種。

 狐持ちの家には七十五匹の人狐がいるとも、家族の数だけ狐がいるとも言われており、狐が人を騙したり、お金を咥えて持ってくることで、その家が栄えるのだという。また、恨んだ相手にとりついて病気にする話もある。 

 迷信に過ぎない話だが、日本において、憑きもの持ち家筋の子供が自由に結婚できなかったり、社会的に排斥されていたのは、そう昔の話ではない。


「知ってはいるけど、憑きもの持ちって、土地からも伝染するんだっけ? 結婚をするとその家も憑きもの持ちになるとは聞いたことはあるけど」

「祖母が言うには、祖父と引っ越してきて直ぐに狐持ちだと言われて村八分にされたそうよ。当時の祖父は地主で、しかもかなりケチ臭い性格だったから、余計に疎まれたんだって。もっとも、戦後の農地改革で、不在地主の土地が買収されて没落してからは、あまり言われなくなったらしいけど」


 新来者である新興地主に対する嫉妬と反感が、憑きもの持ち認定の一因となる話は聞いたことがあったが、市原家も例にたがわなかったらしい。

(現代でも、あまり変わらないのかもしれない……)

 市原に対するクラスメイトの反感的な噂話を思い出すと、一姫はやるせない気持ちになった。

 勝手な妄想で暗い気持ちになっては失礼だと思い、一姫は話題を逸らそうと思った。


「祖父母がいるなら、挨拶させてもらっていいかな」

「祖父はとっくの昔に亡くなってるし、祖母は介護施設。だから、今この家には、私と父しか住んでいないの。ちなみに、母は海外出張中」

「もしかして、フィンランド?」

「フランス。パリよ」

「カタツムリとワインの国かあ」

「何その偏ったイメージ。せめて、エスカルゴって言いなさいよ」

「昔のフランスでは公衆トイレをエスカルゴって呼んでたらしいよ。面白い国だよね」

「……遠野さんとは、たまに話が噛み合わないことがあるわね」


 市原はポットに注いだお湯を急須に入れながら、「どう考えてもトゥイクさんの影響だわ」とぶつぶつ呟いていた。


「んでよ、どこから始めんだ?」

 そう切り出したのは、我が家のごとく膝を立ててくつろぐ累だった。


 遺体探し。

 昨日、トゥイクと話して、市原の弟の優真を探すことになったものの、幽霊が彼のものであるのであれば、探すのは彼の遺体となる。いざ探すとなっても、流石に探すのが遺体では、一姫も萎縮する。市原は言うに及ばず。

 ということで、累に応援を要請した次第である。安田先生も、友達のためとなれば、空手の練習を休むのも許可してくれた。


「家の中かしら。座敷童……優真の幽霊が出るのは、家の中だけだから」

「幽霊ねえ。ずるいよな、幽霊は。打撃が利くなら私の敵じゃねえってのに」

「人の弟を退治しようとしないで」

「退治は冗談だとしてもよ、家の中で死んで遺体が見つからないなんてあるか?」


 家の中で子供が亡くなるとしたら、おもちゃや飴などを喉に詰まらせての窒息、階段やベランダから転落しての頭部外傷、風呂場に電化製品を持ち込んでの感電……、どれにしても、遺体が見つからないのは奇妙だった。

 あり得るとすれば、家に侵入した誰かが誘拐、殺害したか……。

「そうなのよね。やっぱり、家の外……取り分け、遺体が見つかりにくい山とか……」


『もぉ、いぃーよぉー!』


 突然のことだった。

 男の子のやけに透き通った声が、わんわんと響いた。


 天井から発せられた声に、三人は同時に見上げて、体を強ばらせた。

 色褪せた梁の上に、小さな男の子がいた。日曜日の朝に放送している戦隊ものの絵柄が入った長袖シャツにジーンズ姿の男の子。真っ青な顔色、目は歪に爛爛(らんらん)と輝き、陽光が当たったその姿はうっすらと透き通っていた。


『あはははっ! そら、逃げろ!』


 男の子はふわりと梁から飛び降りて、市原の直ぐ傍に足をつき、そのまま隣の部屋に続く襖まで走ると、吸い込まれるように襖の中に姿を消した。

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