第11話 若葉の霊
「はい。三年くらい前から、六歳くらいの男の子が梁の上とか縁側を歩いていたりするのが見えるようになりました。その頃から、父の会社が軌道に乗り始めて、それに……」
「家の中からお金が見つかるようになった、か」
市原の言葉を引き継ぐようにトゥイクが言った。
「聞いたことのないケースだね。座敷童が現れてから家が興隆した話はよく聞くけど、家からお金が見つかるなんて話はトンと聞かない。採集できていないだけか、採集する前に知っている人が全員亡くなってしまったのか……。特定のものからお金が出てくるのではなく、家中どこでも見つかるのかい?」
「どこでも、です。大抵、どこかに隠すように置かれています」
「花咲爺の金銀を生む臼は豊穣を意味するけど、お金……富の発生そのものが重要なのか、あるいは、隠されることに意味があるのか……? うーん、やっぱりその男の子が何者なのか、はっきりさせるところから始めようか」
「何者って座敷童じゃないの?」
「では、その座敷童の正体は何か? はい! 絵美ちゃん、ズバリどうぞ!」
「え? 私ですか?」
ちゃっかり勢いで下の名前で呼んだトゥイクに問われて、市原は必死に考え出した。
「……子供の幽霊……でしょうか……?」
「ほう。どうしてそう思うんだい?」
「……子供の姿をしているから、です」
「確かに、座敷童の正体は、間引かれた子供だという説はあるね」
「間引きって……、殺しちゃうってこと?」
「そう、殺しちゃう。口減らしのためにね。日本では飢饉の際に子供を石臼で圧殺して、土間の縁台の下とか、人が踏みつける場所に埋めたそうだ。そんな無残な最期を迎えた子供の霊が屋内に潜み留まり、主に梁の上などに棲んでいるという話さ。民俗学者の折口信夫はこういう霊を『若葉の霊』と呼んでいたね」
「『若葉の霊』……」
産まれてから、そういくつもの年を越えていない、緑葉の子の霊。
「子供の霊以外では、座敷童は河童だという説もある。柳田國男は『
「具体的に、と言われましても……」
「ごめん、トゥイク」
返答に困っている市原を遮って、一姫はトゥイクに言った。
「市原さんには、その、申し訳ないんだけど……、そもそも、座敷童とか、幽霊とかって、本当に存在するの?」
一姫の質問にトゥイクは苦笑いした。
「その手の質問、よくされるんだよねえ。俺が講義の中で妖怪とか幽霊の話を始めると、スレた学生が絶対一人はしてくるんだよ」
「どう答えてるの?」
「よし、それじゃあ、みんな大好き遠野物語から、災害を生き延びた福二という男の話をしようか」
『遠野物語』。佐々木喜善が語り、柳田國男が
福二という男の話は、一姫もトゥイクから話してもらったことがなかったので、しっかり聞く構えを取った。
「彼は災害を生き延びた娘と共に亡き妻の実家にある小屋で暮らしていたんだけど、月明かりに照らされた夜に、用を足すために海辺に行くんだ。『霧の布(し)きたる夜なりしが、その霧の中より男女二人の者の近よるを見れば、女はまさしく亡くなりしわが妻なり』。妻は福二と結婚する前に交際していた別の村の男と一緒だった。妻に呼びかけると『今はこの人と夫婦になりてあり』と言う。『子供はかわいくないのか』と問うと、妻は泣き出してしまう。福二は戸惑って目を落とし、気がつくと二人とも姿を消していた。福二は妻も男も災害で亡くなっていたことを思い出し、『夜明けまで道中に立ちて考え、朝になりて帰りたり』と物語は終わる」
「……寂しい、物語だね」
思いのほか辛く悲しい物語に、一姫の胸は締め付けられた。
「さて、ここで『本当に妻の幽霊はいたのか』と考えると、この話の中では、それはあまり重要じゃないってことが分かるよね。妻の幽霊と出会った福二の心性こそが重要で、現実に存在しようがしまいが、福二には見えたし、聞こえた。大切な人が亡くなったのに自分は生きている罪悪感、突然亡くなったことで動揺して安定しない心、亡くなった人を求める寂しさ、そういう生きている人の気持ちが、幽霊や妖怪を生み出す」
現実に存在しようがしまいが、人は心性にこそ生み出せる。
幽霊を、妖怪を、神様を。
「でしたら、幽霊や妖怪に出会ってしまった人は、どうすればいいんですか?」
「君は、どうしたいんだい?」
「……」
市原は黙って、口を閉じたまま目を泳がせた。
「君は、君が座敷童と呼ぶその男の子をどうしたいんだい? ずっと家にいて欲しいのか、家から立ち去って欲しいのか、それとも、もっと別のことを望むのか。出会ったのが君なら、君が答えを出さなくっちゃ」
市原は迷っているように見えた。トゥイクと一姫の様子を伺いつつ、唇を薄く開いては閉じるその仕草は、回答が出ないことへの迷いというより、話すべきかどうかの迷いに見えた。
「思い悩むということは、それが君にとって大事なことなんだろう。会ったばかりのおっさんに、おいそれと話せる内容じゃないなら、話す必要はないさ」
「……すみません」
「でも、秘めるべき想いと、口にすべき想いの区別はしておくんだよ。でないと、誰も君のことを分かってあげられない。それに、君の言葉を聞きたいと思っている人は、ちゃんとこの世界にいるんだからさ」
「いるでしょうか……。そんな、もったいない人……」
「いるとも。例えば、君の隣に」
市原がトゥイクの言葉に顔を上げて、隣に座る一姫を見た。
「そうでなきゃ、和希くんがわざわざ僕のところまで君を連れてこないでしょ。まあ、和希くんのことだから、渋る絵美ちゃんを半ば無理矢理連れてきたのは目に見えているけど」
「全然強制じゃないよ? ちゃんと同意取ったもん。だよね、市原さん?」
「……残念だけど、あれは半ば強制だったわ」
「そうかな。そんなことないと思うけどな」
不貞腐れる一姫となだめるトゥイクを交互に見やって、市原は含み笑いを浮かべた。
「さっきの……、さっきの問いに、答えます」
市原は潜めるように深呼吸をすると、意を決したように口を開いた。
「あの座敷童は……、私の、弟だと思います。三年前に行方不明になったまま、今も見つかっていない弟、優真だと、思います」
「三年前の行方不明事件か……。確か、かくれんぼをしていた六歳の男の子が行方不明になったんだったね。町内の事件だったから、よく覚えているよ」
「全国区のニュースにも、なりましたからね……。私が中学一年生の頃、夏休みの初日、英会話スクールに行こうとしていた私を、優真がかくれんぼしようと引き留めたんです。私が自分から鬼になると言って、優真がかくれている間に、スクールに行きました。そして、あの子はいなくなりました」
「座敷童の姿は、優真くんと同じ姿、ということかな?」
「顔ははっきりと見ていないのですが、少なくとも、背格好は同じでしたし、何より、着ている服が……、あの時、優真が着ていた服と、同じでした」
着ている服が同じだから、弟だろう。
その市原の言葉に、一姫の心臓がドクリと一つ跳ねた。
「それで、君はどうしたい?」
「あの子を、見つけたいです」
「ふうん。そっか。そうだね。お金を隠すということは、隠された側は探すということ。つまり、遠回しに自分を見つけて欲しいというメッセージだったのかも……っていうのは、ちょっと学者すぎる考えかな」
「遊んで欲しいだけかもしれません。あの子、かくれんぼが大好きですから」
「かもね。子供は大人が思いもつかないことを平気でするし。和希くんだって、マムシを素手で捕まえてきたことあったじゃない。俺も姉さんもびびってんのに、本人はケロッとしてんだもん。いやいや、毒あるんだよ、って言っても聞かなくて、結局噛まれてやんの」
「ああ、あったね、そんなこと。和希って、女の子っぽい見た目だったけど、ちゃんと男の子なところもあったよね」
「いや、君のことなんだけど……」
和希のことを知らない絵美は、二人の会話について行けずにキョトンとしていた。
「さて、方針が決まったところで、今日のところはお開きだ。そういうことだから、和希くん、後は任せたぜ!」
「うん。任されました!」
「任せて、任されましたって……、え? 何を?」
言葉を介さない意思疎通を実践する二人に困惑する市原を見て、一姫は笑って答えた。
「優真くんを探すんだよ!」
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