第8話 座敷童

「よお、ちょっと面貸せや」


 しかし、累のこうした強引な態度は一姫にとって好ましくないものだった。

 昼休み。一時的な休息の時間にはしゃいでいた教室は、累のその一言で、一瞬で静まりかえった。

 しかし、関わりたくないクラスメイトは直ぐに正気を取り戻して、ちらちらと様子を伺いながらも、自分は関係ないと友達とのお喋りや昼食に戻っていった。


 累と彼女の巨大な背中で視界を遮られた一姫は、市原の机の前に立っていた。

 一姫は累の隣に出てきて、笑顔を作りながら市原に話しかけた。

「ちょっと話がしたいなあって思って……」

「いいから、ちょっとだけ面貸せって。昨日の金の話だよ」


 累がそう言うと、周囲にいたクラスメイトの数人が衝撃を受けた顔になった。

「金の無心……?」

「カツアゲ……?」

「どうしよう……。先生に知らせた方が……」

 クラスメイトがこそこそと誤解を受けて囁きを始めた。


「ごめん。累、ちょっと黙っててくれる?」

 混乱を招く累を押しのけて、一姫は市原の真正面に立った。

「昨日の放課後、昇降口であったことについて、ちょっと話をしたいだけなの」


 そう言ってから声を落として、話を続けた。

「あんまり、教室で話すようなことじゃないと思うから……、中庭にでも出て話さない?」

 弁当を広げていた市原は、一姫の顔をじっと見つめたと思うと、重いため息を吐いた。

「……分かったわ」

 短く答えた市原は席を立って、先を歩き始めた。


 一姫と累は後ろに続き、一年の教室がある四階から降りて、各学年の教室や生徒会室がある棟に囲まれた中庭に出てきた。ベンチはすべて昼食を摂る生徒で埋まっていたので、隅に生えた背の高い落葉樹の下まできた。

「最初に、お金を返すね」

 一姫はブレザーの内ポケットに入れていた、封筒に入った五万円を市原に差し出した。

「……私のじゃないって言ったのに、ねこばばしようとか、思わなかったの?」

 市原は封筒を受け取ると、直ぐには仕舞わないで、ぷらぷらと揺らした。


「私の叔父さんが、お金はとっても大事なものだから、一円だって無駄にしちゃいけないっていつも言ってるから」

「そう。私の祖母も、似たようなこと言ってたわね。もっとも、もう口も利けないけど」

 封筒をブレザーの内ポケットに入れながら、市原は言った。

「それで、あなた、名前はなんて言ったかしら。そっちの『尾張の纐纈(こうけつ)』さんはクラスの人が噂していたから知っているけど……、あなた、留学生?」


 一姫の金髪を見ながら市原は聞いた。

「名前は遠野一姫、よろしくね。日本生まれの日本国籍、日本人とフィンランド人のハーフなの。父親が日本人で、母親がフィンランド人。私は母親似だけど、妹は父親似で黒髪だよ。とってもかわいい妹だから、今度市原さんにも紹介するね」

「紹介しなくていいから」

「なんで紹介すんだよ」


 市原と累から同時に否定の言葉が返ってきた。

(かわいい妹を自慢したいと思うのは、家族として自然な感情だと思うけどな)


「それじゃ、遠野さん。お金、拾ってくれてありがとう。もういいでしょ? 私、戻るわね」

「待てよ。話はまだだ」

 累が市原の腕を掴むと、市原は負けじと累を睨んだ。小さい体躯に似合わず好戦的な人のようだった。累のように肉体的な強さはないように見えたが、意思の強さは負けていないようだ。

「……痛いから、離してくれない? 折れそうなんだけど」

「お前がこの場に五分くらい留まって話を聞くなら、折らなくて済むよな」

「累。脅さないで」


 他の人が言うと冗談だったが、累が言うと冗談には聞こえない。有限実行できそうだから。

「遠野さん、こういうお友達には首輪をつけてくれない? ペットが人を傷つけたら、飼い主の責任になるって知ってた?」

「誰が誰のペットだよ。大体、どっちかっていうと、一姫の方がペットっぽいだろ。遠野ゴールデンレトリバーだろうが」

(ワンワン! 毛色しか似てないと思うな)


「……ぷっ」

 累の言葉に市原が突然吹き出した。

「おっ。笑ったな」

「……笑ってないわよ」

「笑った。絶対笑った。遠野ゴールデンレトリバーなんて程度の低いギャグで笑ったな」

「そんな低質なギャグなんかで笑ってないわよ」


 そう言いつつ、図星をさされたのか、市原の顔は羞恥で赤くなっていた。

 どうしてか、貶されているのは累のギャグのはずなのに、一姫は自分が貶されているような気がしてきた。

「じゃあ、そんな遠野ゴールデンレトリバーから、話、いいかな?」

 一姫がそう言うと、市原は顔を伏せて肩を少し震わせてから、ため息をついた。

「ああ、もう、分かったわよ。聞けばいいんでしょ、聞けば」


 累はようやく市原の腕を離してから、腕を組んで姿勢を正した。

 寺院の門に立っていそうだと思った。

「あなたがそうやって立っていると、金剛力士みたいよ」

 市原は一姫がそう思いながらも口に出さなかったことを平然と言った。

「神々しいだろ? 拝んどけ。御利益あるぞ」

「なんの御利益よ。筋肉でもつくの?」


 何故だろう。この短時間で二人は結構仲良くなった気がすると一姫は思った。

 取り残されたようで、少し寂しい。

「えっと……、どうして、落としたお金を、自分のじゃないって言ったの?」

「実際、そうだからよ」

「そりゃ、小遣いは親からもらってんだから、そう言えるかもしれねえけどよ」

「そういう意味じゃないわ」


 市原はそこで言葉を止めると、視線を一姫と累から外して、何か考え始めた。

「……ねえ」

 市原は一姫と累にそう呼びかけ、緊張したように言葉を繋いだ。


「座敷童って、信じる?」


 一瞬、何を言われたのか分からず、一姫と累は顔を見合わせた。

「座敷童って、あれだろ? 家にいると商売繁盛するって神様」

「商売繁盛っていうより、家の盛衰に関わるよね。『遠野物語』にも、二人の童女が豪農の家を出たら、茸の毒にあたって女の子一人を残して一家全員が亡くなった話とか、もっと直接的に神棚の下に座敷童が蹲っていたって話もあるよ」

「おめえの家の話、すげえな」

「いや、私の家は関係なくて、岩手の遠野って地方の逸話とかをまとめた本があるの」


 トゥイクがリビングで垂れ流す講義のお陰で一姫は知っていたが、興味がなければ、普通は知らないのかもしれない。

「その……」

 市原は言いにくそうに言葉を詰まらせながらも、はっきりと口を開いた。

「出るのよ。その、座敷童が」

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