49 女同士の勝負

 もうすぐ四年生になろうという三月のある日。こんなこともあった。奈緒が言った。


「ねえ、楓ちゃんの家に行ってみたいなぁ。千晴くんと四人で、宅飲みしようよ!」

「ええ……千晴はともかく、楓は嫌がると思うぞ?」

「試しに聞いてみてよ! わたし、あの二人とちゃんと話してみたいの!」


 それで、俺は楓に電話した。


「……ということなんだが、ダメだよな」


 だが、予想に反して楓は言った。


「いいよ。その代わり、酒代はあの女持ちな。この際だ、酔い潰してやる」


 楓の家で、女二人は勢いよく缶ビールを一気飲みした。俺も千晴も、呆然と眺めているだけだ。彼女らは、煽り合いながら、どんどん飲み進めていった。楓が言った。


「吐いたら終わりな。絶対勝つ」

「わたしも負けないよ?」


 千晴が俺の肩にすがりついて言った。


「こわい。女の子こわいです。こうなった責任は純が取って下さいよね?」

「まあ確かに俺が悪いんだけどよ……」


 楓と奈緒は同じペースでぐいぐい缶を開けた。そして、意外なところで盛り上がり始めた。奈緒が楓の背中をバシバシ叩きながら言った。


「えっ、楓ちゃんキューブリック観るんだぁー! 趣味いいねぇー!」

「シャイニングとか好きだよ! エレベーターのシーンとか最高!」

「あれって妻役の女優さんに百回以上リテイクさせたらしいね!」

「らしいね! 奈緒もよく知ってるなぁ! やるじゃない!」


 それから、ベトナム戦争がとかミルクバーがとか、わけのわからない話が始まった。俺も千晴も、ちびちびと缶ビールを飲んでいた。もはや彼女たちは、酒の対決などどうでもよくなってしまったらしく、大声でキャーキャー叫びながら、映画について語り合っていた。俺は千晴とベランダに出た。


「なんか、仲良くなったみたいですね?」


 俺のライターはなかなか火がつかなかった。


「あーうん。千晴、ライター貸して」

「僕がつけます」


 千晴に火をつけてもらい、俺はタバコを吸った。ガラス扉越しに、彼女たちの叫び声が聞こえてきていた。千晴が言った。


「楓、酔うと機嫌が良くなりますからね。対決しておいてむしろ正解だったのではないでしょうか」

「あの日も、楓酔ってたからなぁ」

「あの日?」

「俺が千晴と初めて会った日だよ。今から三人で飲むって言われて本当にどうしようかと思った」

「そんなことも、ありましたね」


 そして、俺は就活の話をした。


「もう地元に絞る。業種は特に考えてない。片っ端から、受けてみるよ」

「上手くいくことを願っています」


 俺たちは、なかなか部屋に戻る気がしなかった。それで、三本もタバコを費やした。しかし、いきなり部屋の中が静かになったので、心配になって戻ってみた。楓と奈緒はキスをしていた。


「ええ……」


 千晴は自分の顔を覆った。ヤバい。このまま放っておいたらこれ以上のことをやらかしかねないぞ。俺はとりあえず、彼女たちを引きはがした。


「何やってんだお前ら」


 へらへらと楓が言った。


「だってぇ、こいつムカつくけど、顔は可愛いもん」

「楓ちゃんこそ可愛いよぉ」


 二人とも、目の焦点が合っていない。今度は言い合いを始めた。


「純はあたしが先に手ぇつけたんだからな!」

「名目上の彼女はわたしですぅー! 教授にも認められてるもんねー!」

「もう、飲むしかないですね。はい、純」


 千晴は缶ビールを開けて手渡してきた。俺も酔ってしまおう。ガブガブとビールを飲んだ。奈緒が、セックスの内容がどうのこうのと話し出したので、さすがに口をふさいだ。


「あーあ、寝ちゃいましたね」


 楓と奈緒の勝負は引き分けに終わった。どういう経緯でそうなったのか、俺にもわからないのだが、二人はぴったりくっついてベッドで眠っていた。千晴がメガネを外し、俺に近づいてきた。


「ちょっ、千晴……」

「あれだけ飲んだんです。どうせ起きないでしょう」

「お前、酔ってる?」

「多少は」


 多少の酔いとは思えないほど激しいキスをされた。俺は声を漏らした。


「可愛いです」


 そして、俺の服の中に手を入れてまさぐってきた。俺はされるがままになっていた。その内に千晴も体力が尽きたのか、俺に寄りかかって寝てしまった。


「ったく、何なんだよもう……」


 俺は千晴を床に横たえさせると、ベランダでタバコを吸った。夜は深く、辺りは静まり返っていた。

 もう酒を飲む気など起こらなかった。俺はドリップコーヒーを淹れた。楓がやかましいいびきをたてていた。奈緒が身じろぎをした。千晴はさっきの体勢のままよく眠っていた。

 そもそもの発端は、喫煙所で俺が楓に声をかけたことだ。それから、全てが始まった。俺は彼らの寝顔を一人一人見た。全員、一言では言い表せない関係だ。俺は三人ともが愛おしかった。


「……あたし、昨日何してた?」


 翌朝、ぽかんとした顔で楓が言った。奈緒も起きてきた。


「いてて……あれ……何か記憶飛んでる……」


 千晴も起こし、俺は彼女たちの醜態を説明した。楓と奈緒は顔を見合わせた。奈緒は言った。


「とりあえず、今回は引き分けってことね! 次は負けないから!」


 俺はうんざりして言った。


「もう次はない」

「純くんのケチー!」


 こうして、四人の宅飲みは終わった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る