50 卒業

 四年生になった。俺は地元のベンチャー企業に就職が決まった。そのことを報告するために、楓も一緒に千晴の居るバーにきた。


「就職おめでとう」


 楓は満面の笑みを浮かべ、ビールで乾杯してくれた。千晴も言った。


「純、おめでとうございます。僕も川上さんから、正式にここで修行する許可をもらいました」


 マスターは言った。


「千晴くんの熱意には折れましたよ。これからは厳しくいきますからね」

「はい、よろしくお願いします」


 俺は千晴に聞いた。


「それでさ。会社、ここの近所なんだけど、改めて言うわ。本当に、一緒に住んでもいいのか?」

「ええ、もちろん。家、探しましょうか」

「どういう所がいいかな?」

「互いの個室は確保しましょう。キッチンが広いところがいいですね」

「あと、壁面にボトル並べたいな! 龍介さんがやってたんだ。酒、集めよう」


 ビールが終わった後、千晴が言った。


「そうだ。変わったカクテルをお出ししましょうか?」


 千晴はレモンを持ち、くるくると切り始めた。そして、ブランデーとジンジャエールをグラスに入れ、レモンを丸ごと沈めた。


「ホーセズネックです」


 なるほど、変わっている。俺は写真を撮り、頂くことにした。楓は目を丸くした。


「うん、美味しい!」

「ありがとうございます」


 楓が自分の話を始めた。


「あたし、障害者枠で色々受けてるんだ。身体と違って精神は難しいみたい。書類も通らないところが多いよ」


 千晴が言った。


「まだまだ、偏見も多いんでしょうね」

「だと思う。でも、この病気を持ちながら、元気に働いている人もたくさん居るみたいなの。だから希望は捨ててない」


 楓は足を組み、タバコを取り出した。彼女は強くなった。自分の病気を知り、向き合い、俺たちに頼り、前を向いて進んできた成果だ。

 今後、社会の荒波に揉まれれば、また調子を崩すこともあるだろう。そのときは、俺と千晴で彼女を支えよう。そして、俺がピンチのときには助けて貰おう。桃園の誓いを交わした仲だ。遠慮なんて要らない。俺は言った。


「楓。卒業しても、よろしくな」

「うん。そっか、卒業だよね。寂しいな。ずっと大学生で居られたらいいのに」


 マスターが言った。


「あなたたちの人生はまだまだこれからですよ。社会人になったら、それはそれで楽しいことも苦しいことも待っています。そのとき、頼れる同級生が居るというのは、素敵じゃないですか」


 そして、最後はやっぱりアードベッグを注文した。俺は心の中で父親に言った。

 残念だったな。一緒にこれ飲めなくて。でも、俺にはこいつらが居てくれるから、大丈夫だよ。

 この日は終電までに帰宅した。母親が、リビングで俺を待っていた。


「純、お帰り。楽しんできた?」

「うん。千晴とも、家探そう、って色々話してた」

「母さん、応援するからね。さて、あとは卒論だけだね?」

「そうなんだよなぁ……」


 奈緒に手伝ってもらいながら、俺は卒論を進めた。彼女はマスコミ業界を諦め、銀行に内定を貰っていた。彼女の部屋で、俺は再度千晴と住むことを言った。


「そっか。やっぱりそうするんだ」

「うん。ごめんな、奈緒よりあいつの方が大切なんだ」

「うん、わかってる。それでもいいよ。でも、もし気が変わったら、わたしと住んでよね?」


 残念ながら、その日は訪れないだろう。俺は奈緒とは恋人ごっこは続けていたが、父親の自殺のことや、楓の病気のことは、とうとう打ち明けなかった。

 しかし、奈緒と過ごした日々もまた、きらびやかなものだった。一途に思ってくれている彼女がいること。それは、俺の自信を回復させてくれた。

 俺は、父親が死んでから、どこか自分にフタをしていたのだと思う。楓と千晴に出会ったことで、それがぺりぺりとめくれはじめた。最後に大きくはがしたのが、この奈緒だ。彼女の存在には、本当に感謝していた。俺は言った。


「いつもありがとうな、奈緒」

「うん。好きだよ、純くん」


 俺は何とか卒論を完成させた。諮問での寺本教授の評価は厳しかったが、最後には笑ってこう言ってくれた。


「荒牧くん。よく頑張りましたね。これから先の人生も、ここで得た経験を生かして、頑張って下さい」

「はい」


 そうして迎えた、写真屋のバイトの最終日。俺は重い荷物を持ってきていた。閉店作業は、龍介さんと一緒だった。もうここのカウンターに立つことも無いのだと思うと、目頭が熱くなった。

 本当に最後のとき、俺は一本のボトルを龍介さんに渡して言った。


「龍介さん。楓のこととか、その他にも色々、本当にお世話になりました。これ、せめてものお礼です。癖凄いんですけど、龍介さんなら気に入ってもらえると思います」


 アードベッグだった。龍介さんは、涙で顔をぐちゃぐちゃにしながら俺を抱き締めてきた。


「純くん! おれこそ、楽しい時間をありがとう。社会人になっても、また一緒に飲もう!」

「はい!」


 そして、俺は卒業した。

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