51 ショート・ホープに火をつけて

 就職してから二年目のクリスマス・イブの昼下がり。俺は奈緒と待ち合わせていた。


「純くん、待った?」

「今きたとこ」


 俺たちは、喫茶店に入ってケーキを食べた。コーヒーを飲みながら、奈緒が言った。


「あのさ、純くん」

「何?」

「そろそろ別れようか」

「……へっ?」


 奈緒によると、子供が欲しいから、それを見越して婚活するとなると、もう潮時にしたいとのことだった。


「この四年間、ずっと待ってたんだけどね。もうしんどくなっちゃった。純くん、今の生活に満足しちゃってるでしょう?」

「うん……それはそうだな」


 今の会社は平均年齢が三十代と若い。もうすでに、大きな仕事を任されるようになり、やりがいがある。

 そして、千晴とももちろん、一緒に住むようになった。彼の仕事柄、すれ違うことが多いのだが、たまの休みはどちらかのベッドでまったりと過ごしている。


「純くんが、普通の幸せを願ってないってことはよくわかった。でもわたしは違う。だから、さようなら」


 奈緒は席を立った。


「ここのお代、よろしくね。それじゃあ!」


 あまりにもあっさりとした終わり方に、俺は呆然とした。奈緒の残したコーヒーカップを見ながら、しばらくぼおっとしていた。

 帰宅した俺は、予め買っておいた材料を取り出し、料理を始めた。ジャガイモの皮を剥くのも、見事なもんだ。出来上がった頃に、インターホンが鳴った。


「よう、楓。今開ける」


 現れた楓は、スーツ姿だった。彼女も社会人二年目を迎えていた。障害者雇用で入った会社で、事務をしている。合理的配慮があり、たまに休ませてもらうのだとか。


「あー疲れた。とりあえず着替えるわ」


 俺たちの家には、楓のジャージとパーカーが置いてあった。彼女は着替えてダイニングテーブルに座ると、足をぷらぷらと振りだした。


「こんな日にお偉いさんが来てさ。いきなり面談だよ。薬飲んでるかとか、睡眠取ってるかとか、色々聞かれて面倒だった」

「お疲れさん。まあ、晩メシにしようか」


 クリームシチューを皿に入れ、楓に出した。彼女は匂いをかぐと、うっとりと目を閉じた。


「うーん、美味しそう」

「さっ、食べようか」


 楓はニンジンをスプーンですくって言った。


「星型だ」

「クリスマスだから、特別版」

「何それ、子供みたい」


 俺たちは顔を見合わせて笑った。楓は美味しい美味しいと言いながら、クリームシチューを平らげた。

 片付けが終わり、俺たちはソファで缶ビールを開けることにした。乾杯した後、俺は言った。


「奈緒に振られた」

「えっ、マジで?」


 楓に話すと、彼女はにんまりと微笑んだ。


「最後までやべー女だったね。わざわざイブの日に振る?」

「まあ、奈緒なりの意地悪だったんだろうな」

「婚活するんでしょう? あたし、クズ男に引っ掛かる呪いかけとく」

「あのなぁ」


 それから、楓は俺にぎゅっと抱き付いてきて言った。


「ああもう、長かった!」

「そんなに別れるの待ってたの?」

「あのさ。あたしが何のためにピアスの数減らしたのかわかってんの?」


 俺にはわからなかった。あの時は確か、髪を切ってスッキリしたから、ついでにピアスも減らしたんじゃなかったのか?


「バカ。マジでわかんないの?」

「うん」

「純と千晴のことが好きだからだよ」


 今、好きって言ったか? 俺は身体を離し、楓を見つめた。


「好き? 俺のこと、好き?」

「うん……好き、だよ」

「やっと言ってくれた! 楓、俺も大好き!」


 俺は楓に激しいキスをした。そのままソファで、甘い言葉を囁きながら、愛し合った。彼女のことを、真っ直ぐに「好き」と言える喜びを、俺は噛み締めていた。

 深夜になって、俺と楓のスマホが同時に振動した。見ると、指輪の写真と共に、こんなメッセージがあった。


『婚約しました』


 香織はデザイン系の会社に就職。雅紀も公務員試験に受かり、役所で働いていた。俺と楓は沸き立った。


「結婚式、行くよな?」

「あたしは散々世話になったからね。もちろん行くよ」


 俺と楓はもう一度キスをした。そろそろ千晴が帰ってくる頃なので、俺たちは服を着て、缶ビールを飲みながら彼を待った。

 千晴が帰って来たのは、クリスマス・イブの終わった三時頃だった。彼はずいぶんくたびれた様子で言った。


「イブの夜だというのに、他に行くところ無いんですかね? 忙しかったですよ」


 ソファに座ろうとして、千晴は染みに気付いた。


「もう。純、楓。ベッドでして下さいとあれほど言ってあるでしょう? このソファ、高いんですよ?」


 楓はへらへらと笑った。


「ごめんごめん。めんどかったんだって」


 それから、俺たちはダイニングテーブルで乾杯した。千晴が言った。


「本当に、純は帰らなくて良かったんですか?」

「母さんなら、もう大丈夫。明日帰るよ」


 俺はカメラを取り出し、三人で写真を撮った。毎年の記念にしよう。そう思った。俺は千晴に言った。


「そうだ、奈緒に振られたぞ」

「本当ですか?」


 楓にしたのと同じ説明を俺はした。


「まあ、彼女も図太い性格ですからね。気にしなくても、勝手に幸せになってくれるんじゃないでしょうか?」

「俺もそう思う」


 千晴にクリームシチューを食べさせた後、俺たちはベランダに行った。楓が呟いた。


「純、千晴。今までも、これからも、本当にありがとう。大好きだよ」


 俺たちは三人で抱き合った。


「僕も大好きです」

「俺も、大好き」


 全員が、笑っていた。こんな幸せな日々は、いつまで続くのだろう。それは誰にもわからない。けれど、俺たちはこうして生きよう。生きて、暮らして、笑い合おう。俺たちはライターを構えた。そして、ショート・ホープに火をつけた。

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