47 夜は明ける

 金曜日の夜になった。ありったけの酒を買い、俺は楓の家に行った。千晴がすでに来ていて、床に座ってのんびりとしていた。楓は言った。


「来てくれてありがとう。今日、お母さんの命日」

「そっか。飲んで過ごそうか」


 もう何度目の夜だろう。この三人が出会ってから、まだ一年も経っていなかったが、それにしては濃密な時間を過ごしていた。出会うべくして出会ったということだろうか。そんなことを考えながら、俺はビールを飲んだ。


「あたし、やっぱりこわい」


 楓が呟いた。


「純も千晴もこうして来てくれたし、香織ちゃんや雅紀くん、それに龍介さんも居てくれるのにね。自分が病気だってことが、未だに信じられないし、戦える勇気が無いんだ」


 俺は楓の手を握った。


「そう簡単に病気のことは受け入れられないよ。ゆっくり、やっていこう」


 双極性障害は、一生をかけて付き合っていく病気だ。受容と拒絶を繰り返しながら、向き合うしかない。楓は、俺の手を握り返して言った。


「こうして、幸せなときが一番こわいんだ。永遠なんて無いと思うから。今を閉じ込めたいって、どうしても思っちゃう」


 千晴も俺と楓の手の上に自分の手を乗せて言った。


「僕も、こわいです。明けない夜は無いという言葉があるでしょう? あれ、嫌いなんです。僕も、ずっとこのまま、夜で居て欲しいと思います」


 俺は言った。


「でも、夜は明ける」

「そうです。大学生なんて、一生の内でほんのわずかな期間だと思います。ずっとずっと、続けていたいです」

「あたしも。二人に出会えて本当に良かった。このまま永遠に三人で居たい」


 つうっと楓が涙をこぼした。彼女はそれをごしごしとこすると、とびっきりの笑顔を見せた。


「あー! 吐き出してスッキリしちゃった! とにかく今夜は飲もう、飲もう!」


 新しい缶を開け、俺たちは乾杯した。楓は言った。


「実はさ。病気のこと、父親に言ったんだ。そしたら、年末には帰って来いって。じっくり、話するよ」

「良かったな、楓」

「あたしのお母さんもね、双極性障害だったんじゃないかって父親は疑ってるみたい。遺伝するかはまだわからない病気らしいんだけどね。複雑な気持ちだけど、父親とはもっと話をしてみる」


 すると、楓のスマホが振動した。彼女は画面を見て顔色を変えた。


「お父さん? ちょっとごめん、電話出るわ」


 楓はスマホを耳にあてた。


「どうしたの? うん。うん。あたしは今、友達に来てもらってるよ」


 しばらくして、楓はスピーカーに切り替えた。


「お父さんが、話したいんだって。お父さん?」

「楓の父です。娘がお世話になっています」


 しゃがれた声が聞こえてきた。


「俺、荒牧純です」

「僕は安堂千晴です」

「この二人に来てもらってるの。この前も話したけど、二人とも自死遺族だよ」

「みたいだね。楓を病院に連れていってもらったみたいで、本当にありがとう。本来なら、父である私の仕事だ。済まなかった」


 それから、楓の父親は、こう話し始めた。


「妻が死んでから、楓には寂しい思いをさせてしまった。楓が妻に似てくるのが辛くてね。仕事に没頭してしまったんだよ」


 俺は楓の父親を責める気持ちにはなれなかった。家族が自殺して、それから取る行動は、人それぞれなのだろう。彼の場合は、仕事が逃げ道だった。そうすることでしか、現実を生きられなかったのだろう。


「楓に大切な友人ができて良かった。君たちの存在に、感謝しているよ」


 千晴が口を開いた。


「僕の方こそ、楓には感謝しています。僕は兄を亡くして、自棄になっていました。止めてくれたきっかけは、楓です。彼女と出会えたことで、僕も癒されたんです」


 俺も話し出した。


「俺は父親を亡くしました。どうして俺たちを残していってしまったんだ、という怒りは今も消えません。けれど、同じ境遇の楓や千晴に出会って、前を向けるようになりました」


 スピーカーの向こうから、嗚咽が漏れた。


「お父さん? お父さん、大丈夫?」

「済まない……楓、本当に、済まなかった……」


 楓の目から、また涙がこぼれ始めた。楓の父親は、年末にしっかり話そうと言って電話を切った。楓は鼻をすすって言った。


「ありがとうね、二人とも」


 俺たちはベランダに出た。同じタバコを持ち、同時に火をつけた。千晴が言った。


「お父さんとお話できて良かったです」

「うん、俺も」


 楓はさっぱりした顔で、煙を吐き出した。


「あたし、やっと父親のこと許せるようになってきたかも。辛かったんだよね。仕方ないよね。今までの時間は取り戻せないけど、これからの時間はまだあるよね?」


 俺と千晴は頷いた。夜はまだ深かった。俺たちは部屋に戻り、また飲んだ。床に三人、もみくちゃになって、一緒に眠った。互いの体温が、酔った身体を温めてくれた。

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