45 悪い話

 土曜日の夜、ショットバーで。先に着いたのは俺だった。千晴にビールを頼み、楓を待った。千晴は言った。


「で、何なんですか話って」

「あー、楓が来たら話す」


 十分くらいして、楓がやって来た。彼女もビールを注文した。じとり、と彼女は俺の顔を覗き込んできた。


「どうせ悪い話でしょ」

「ま、まあな……」


 俺は奈緒とセックスをしたことを話した。千晴が言った。


「バカにバカを重ねましたね」


 楓は何も喋らずタバコを吸っていた。銘柄は俺と同じものに変わっていた。俺は言い訳を始めた。


「だって、一年生のときから俺のこと好きだったらしくてよ? わざわざゼミまで合わせてきたんだよ? そりゃ情湧くって」

「この僕が言えた義理ではないですが、純は本当にバカですね」


 俺は八つ当たりをすることにした。


「そうだよ。千晴も女の子のたちの運命狂わせてただろ? お前にバカと言われる筋合いはねぇよ」

「それでも純はここで宣言しましたよね? ちゃんと断ってくると」

「うん……言ったな」


 マスターが助け船を出してくれた。


「まあ、純くんも若いんですし、色々あってもいいのでは?」

「川上さん、甘やかさないで下さい」


 楓は無言で俺の頭に拳を押し付けてぐりぐりしてきた。もうマスターだけが味方だ。


「ですよね? あははっ」


 乾いた笑い声が、ショットバーに響き渡った。俺はとりあえずアードベッグを頼んだ。すっかり見放されたのか何なのか、楓は全く別の話を始めた。


「あたしさ、障害者手帳取ろうかと思ってる。初診から六ヶ月経つと申請できるんだって」


 千晴も俺を無視して話に入った。


「そうですか。手帳を取ると色々有利なんですかね?」

「うん。あたしさ、普通の就職はできないと思うんだ。だから、障害者雇用枠で、双極性障害のことオープンにして、働くつもり」


 楓は自分の病気について、ネットで情報を仕入れたらしかった。双極性障害当事者のブログやSNSがたくさんあるようで、仲間はたくさんいるのだと気付いたのだという。


「転職を繰り返す人も多いんだって。だったら、あたしは最初からオープンでいきたい」

「いいですね。応援します」

「千晴は? 就活するの?」


 千晴はマスターの方を見た。マスターは他のお客さんと話し込んでいた。


「僕は川上さんから全てを教わりたいです。今は、する気は無いです」


 真面目な顔つきだった。千晴の決意は固いのだろう。今度は俺だった。


「やっぱり、千晴と一緒に住みたいからさ。転勤無くて、規模の小さいところにする。ベンチャーとかかな」

「就活、頑張って下さいね。僕は養えるほどの収入は無いでしょうから」

「何なら俺が千晴を養うよ」


 この日も二時まで飲んで、楓の家に行った。千晴が話を蒸し返してきた。


「で、どうするんです? その奈緒とは」

「どうしようかなぁ、ゼミ一緒だしなぁ」


 楓がイライラした様子で言った。


「やり捨てでいいじゃん」


 千晴がこわいことを言った。


「そしたらストーカー化しそうですね?」

「それなんだよなぁ……」


 奈緒はどこまで俺のことを知っているのだろう。もうすでにストーカーじゃないのか。楓は缶チューハイを一気に飲み干すと言った。


「手ぇ出した純が悪い」

「だよな」


 しょぼくれた俺は、とにかくビールをあおった。その内に、床で眠ってしまっていた。

 トントン、と肩を叩かれ起こされた。裸の千晴が居た。


「ゴム、捨てといて下さい。この前のお返しです」

「あーはいはい……」


 頭が痛かった。俺は鎮痛剤を探して飲んだ。楓はベッドで安らかな寝息を立てていた。俺は千晴にコーヒーを淹れた。


「今日はバイトですか?」

「あー、休もうかな。頭痛いし」

「じゃあここでダラダラしますか」


 俺は店長に体調が悪いと連絡をした。そして床に寝転がった。


「マジしんどい」

「僕は昨日の話の方がしんどかったですよ」

「悪かったって」


 タイミングがいいのか悪いのか、奈緒からラインがきた。今度のゼミの後に飲みに行こうという内容だった。俺は黙ったままスマホの画面を千晴に見せた。


「行けばいいじゃないですか。純があと何人抱こうと、僕の知ったこっちゃありません」

「弱ってるんだからもう少し優しい言い方してくれよ」


 結局、俺は行くと返した。というか、行かないとこわい。龍介さんあたりにも相談したくなってきた。しかし、彼にも呆れられそうだ。


「俺、腹減った」

「ゼリーならあったと思いますけど」

「取ってきて」

「自分でして下さい」


 俺はのっそりと起き上がり、冷蔵庫からゼリーを出した。ローテーブル越しに、千晴が口を開けた。俺はスプーンでゼリーをすくって突っ込んだ。

 楓は昼過ぎになってようやく起きた。彼女がシャワーを浴び、髪を乾かし終わるのを待って、三人でラーメンを食べに行った。楓はまだ機嫌が直らないのか、俺と目も合わせてくれなかった。

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