43 ブルドッグ
奈緒の家からの帰り。俺は駅には向かわず、母親にこうラインを打った。
『千晴の店で朝まで飲んでくる』
『ほどほどにしなさいよ』
出迎えてくれた千晴は、俺の顔を見て訝しそうな顔をした。
「純、いらっしゃいませ。どうしたんですか?」
「色々あった。ビールくれ」
「かしこまりました」
俺はしばらくぶりに喫煙をした。そのまま黙っていると、焦れたのだろう、千晴が聞いてきた。
「もう、色々って何なんですか?」
「ここに連れてきた奈緒って子、居るだろ? その子の家に行ってよ……」
洗いざらい話すと、千晴は俺を見下してきた。
「純にその気がないのなら、ハッキリ断ればいいじゃないですか。そんなんだから、モテるのに続かないんですよ」
「うっ」
俺たちの話を聞いていたのだろう、マスターも苦笑いをしていた。
「純くん。自覚ないだろうけど、君もけっこうカッコいいんですからね。女の子に無駄に気を持たせてはダメですよ?」
「マスターまで……」
ダメだ。ウイスキーが飲みたい。俺はアードベッグを注文した。千晴は言った。
「この際楓も呼びましょう。どうせ暇してるでしょうから」
本当に楓もきた。彼女もぷかぷかとタバコの煙を浮かべながら、心底軽蔑している表情で言った。
「純、バカじゃない?」
「うん、俺、バカだわ」
うなだれる俺の頭を、楓はチョップした。
「あたしは一目見ただけでわかったよ。この女、純のこと好きだなって。あんなにわかりやすかったのに、どうして二人っきりになるまで気付かなかったわけ?」
「ごもっともです」
奈緒とのやり取りを、俺は思い返していた。そもそも、ゼミの飲み会の後、二人で飲もうと言われたときから、彼女の誘いは始まっていたのだ。
アードベッグをちびりと飲みながら、奈緒のことを考えた。彼女となら、普通の恋愛ができるかもしれない。けれどそれは、楓と千晴を手放すことになる。それは嫌だ。俺は意を決して言った。
「俺、ちゃんと断ってくる」
楓は俺の背中に触れた。
「うん。そうしなよ。あんな女、どうせすぐ他の男のとこ行くから気にすんな」
「どうして楓はそこまで奈緒のこと嫌いなんだ?」
「うるさいなぁ」
むにっ、と楓が俺の頬をつねった。俺は小さく叫び声をあげた。千晴が言った。
「純って本当に鈍感ですよね」
「何か今日のお前、やけに辛辣じゃね? 優しくしてくれよ」
「じゃあカクテルか何か注文して下さい」
「千晴が適当に作っていいよ」
千晴が出してくれたのは、ブルドッグだった。ウォッカをグレープフルーツで割ったやつだ。果実の酸味が疲れた身体に効いた。楓が言った。
「で? どうせあんたらこの後あたしんとこ泊まる気でしょ?」
俺は言った。
「うん、よろしく」
「仕方ないなぁ」
二時になるまでは、バーで過ごし、それから俺たち三人で楓の家に行った。床に座り、楓が言った。
「ねえ、何か映画でも観る?」
楓が選んだのは、宇宙を舞台としたSF映画だった。冒頭三十分くらいはセリフが無くて、俺は困惑した。これ、面白いのか。楓は言った。
「小説読んだらよくわかるよ。持ってるから、貸してあげようか?」
「うん」
隣を見ると、千晴がぼおっとしていた。バイトの後だし、疲れていたのだろう。床に倒れて寝てしまった。俺は聞いた。
「なあ、ここから本当に楽しくなるの?」
「うるさいなぁ、純。観てればわかるって」
眠いのを我慢しながら、最後まで観たのだが、正直言って意味がわからなかった。最後に出てきた赤ん坊は何なんだろう。
「あー、やっぱり最高だわ!」
楓はご機嫌だった。もう夜が明けようとしていた。俺と楓はベランダに行った。楓は俺のタバコを欲しがった。
「あたしもこれに変えようかな」
「えっ、楓も?」
「千晴も変えたじゃない? あたしだけ仲間外れみたいで嫌だもん」
タバコを吸い終えて、部屋に戻ると、楓がキスをしてきた。そのまま俺たちはベッドになだれこんだ。
「楓、するの?」
「こっそりやれば大丈夫だよ」
しかし、セックスの後、俺と楓は裸のままベッドで寝てしまった。目覚めると、千晴がむっすりとした顔をしていた。俺は明るい声を出した。
「おっ、千晴、おはよう!」
「おはようございます。まったく、片付けくらいして下さいね?」
適当に放り投げていたコンドームは、どうやら千晴がゴミ箱に入れてくれたようだった。楓はぐうぐうといびきをかきながら眠り続けていた。
俺は服を着て、千晴が淹れてくれたホットコーヒーをご馳走になった。千晴は言った。
「奈緒さんのこと。早くした方がいいですよ」
「うん、わかってる。次のゼミの後、きっちり断ってくる」
バイトがあったので、楓は寝かせたままにして、俺は家を出た。やっぱり、この三人が落ち着く。俺は彼らとの関係を続けていきたい。奈緒のことは可哀想だが、男としてきちんとケジメをつけようと思った。
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