39 カシスソーダ

 四月になり、俺は三年生になった。初めてのゼミの日。二十人の学生が、教室に集まった。担当の寺本てらもと教授は言った。


「縁あってここに集まった仲間たちです。切磋琢磨しながらやっていきましょう」


 寺本教授は、四十代くらいに見える男性で、ひょろりと背の高い人だ。彼はまず、俺たちに自己紹介を促した。俺は当たり障りのないことを言った。最後の女の子が、こんなことを話した。


柏木奈緒かしわぎなおです。初対面の人ばかりで緊張してます。でも、皆さんとは早く仲良くなりたいです。グループライン、作りませんか?」


 元々、寺本教授は、初回は交流に費やす予定だったらしい。彼女の呼び掛けで、俺たちは連絡先を交換することになった。俺の番になった。


「よろしく、柏木さん」

「奈緒でいいよ。えっと、純くん、って呼べばいいのかな?」

「いいよ、奈緒」


 奈緒は栗色でふんわりとしたセミロングの髪をしていた。服装は可愛らしく、水色のチェックのワンピースを着ていた。


「なあ、飲み会しよう!」


 誰かが叫んだ。奈緒が花のような笑顔を咲かせて言った。


「いいね。じゃあ日付決めよっか!」


 とんとん拍子に話は進み、寺本教授も交えて、今週の金曜日にゼミでの飲み会が開かれることになった。

 飲み会は、小さな居酒屋を丸々貸しきって行われた。四つのテーブルを順々に回りながら、俺は男たちとジョッキをぶつけ合った。男性比率の方が多いのだ。

 締めの雑炊が出てきた頃、俺は奈緒の隣に居た。今日の彼女は白いブラウスに黒の膝丈のスカートだった。


「純くん、はい」

「ありがとう」


 奈緒は雑炊を取り分けてくれた。俺はほとんど何も食べずに酒だけを飲んでいたので、お腹がすいていた。俺はお代わりも頂いた。奈緒が言った。


「純くんって、お酒好きなんだね」

「うん、好き。奈緒は?」

「けっこう飲めるよ。カクテルとかも好き」

「おっ、そうか」


 寺本教授は焼酎を飲みながら、顔色一つ変えずに、学生たちが騒ぐのをにっこりと眺めていた。お酒が強い人なのだろう。俺はつんつん、と腕をつつかれた。奈緒だった。


「ねえ純くん。この後すぐ帰る?」

「いや、何も考えてなかった」

「わたしともう一杯だけ飲まない?」

「いいよ。友達が働いてるバーがあるんだ。そこ行こうか」


 千晴は三年生になってから、土日の他に水曜と金曜もバイトに入ると聞いていた。奈緒を連れ、中に入った。


「あら、純。いらっしゃいませ。女の子連れですか」

「そう。同じゼミの奈緒。奈緒、こいつは千晴。経済学部」

「初めまして」


 バーは混んでいた。唯一空いていた端の二つの席に、俺たちは座った。俺はビールは飲み飽きたので、何かウイスキーを貰おうとボトルを見渡した。


「決めた。俺、デュワーズで」

「はい。ソーダ割りでいいですよね?」

「おう」

「奈緒さんは?」

「わたしはカシスソーダ」


 俺は奈緒に言った。


「こいつ、すっげーカッコいいだろ?」

「うん、そうだね。びっくりしちゃった」

「この顔で女癖酷かったんだよ」

「こら、純。いきなり下げないで下さい」


 千晴は二台目のスマホを解約した。いじめっ子たちの交友関係を突き止める時間も無くなり、暇になったと言っていた。千晴はカクテルを出してくれた。俺と奈緒は乾杯した。


「純くん。これからゼミ、よろしくね」

「うん。よろしくな」


 俺はタバコを取り出した。奈緒が言った。


「タバコ吸うんだ?」

「悪い、苦手だった?」

「ううん。お父さんが吸うから、大丈夫」


 それなら心置きなく吸わせて貰おう。混み合う店内、マスターは他のお客さんの注文にかかりっきりで、会話ができそうになかった。千晴も忙しく手を動かしていた。俺と奈緒の話は、寺本教授のことになった。


「わたし、さっきの飲み会で聞いたんだけど、寺本教授って、奥さん居るんだって」

「へえ、そうなんだ」

「大学の同級生だったらしいよ。いいなぁ、そういうの憧れる」


 俺は奈緒に尋ねた。


「奈緒は彼氏居ないのか?」

「居たら男の子と二人でバーなんて来ないよ」

「ああ、そりゃそうか」


 流れでなんとなくここまで来てしまったが、彼氏持ちだと気まずいもんな。そして、ここに来た理由は、千晴を自慢したかったから、というのもある。


「千晴とは、共通の友達の家で、しょっちゅう宅飲みしてるんだよ」

「へえ? いいなぁ」

「奈緒は宅飲みとかする方?」

「うん。わたし、一人暮らしだからね。よく女子会やってるよ」


 奈緒は上品な仕草でカシスソーダを口に運んだ。けっこう綺麗な子なのに、彼氏が居ないのか。ゼミの男共が放っておかないだろうな、と俺は思った。

 本当に一杯だけで、俺たちは出ることにした。俺は酒が飲み足りなかったのだが、奈緒だけ帰らせるわけにもいかない。


「送るよ」

「いいの?」

「遠慮すんなって」


 俺たちは、夜風を浴びながら、奈緒の住むマンションへと歩いた。彼女の家は楓の近所だった。ふと、これから楓のところにいきなり寄ってみるか、なんて考えたが、彼女の鬱陶しそうな表情が目に浮かび、やめておいた。

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