37 家族の思い出
桃園の誓いを立ててから一週間後。俺と千晴は楓の家に呼ばれた。宅飲みだ。楓は髪だけでなく耳もスッキリしていた。俺は言った。
「ピアス、減らしたんだ」
「うん。二つだけにする」
コンビニで買ってきたつまみをローテーブルに並べ、俺たちは乾杯した。千晴が尋ねた。
「楓、夜はしっかり眠れていますか?」
「大丈夫。先生に生活リズムを安定させろって言われてるから、朝起きて夜寝るようにしてるよ」
知らない間に、香織にネイルをしてもらっていたらしく、楓の爪は真っ黒に染まっていた。
「えへへ、カッコいいでしょー」
誇らしそうに手をかざし、楓は笑った。こういう姿を見ると、彼女が病気だとはまるで思えない。俺は言った。
「薬、ちゃんと飲んでるか?」
「うん。龍介さんにも言われたしね。なんかね、リチウム? っていう成分が効くんだって。それで、リーマスっていう薬貰ったよ」
双極性障害については、俺もスマホで調べていた。百人に一人が罹ると言われており、かのゴッホもそうだった疑いがあるのだとか。そんなに珍しい病気ではない。
軟骨の唐揚げをコリコリと噛みながら、楓は機嫌が良さそうにしていた。俺はカメラでこの姿を納めたくなった。
「なあ楓、写真撮ってもいい?」
「えー、ダメ」
「僕なら何枚撮られてもいいですよ?」
楓はポンと手を叩いた。
「二人、撮ってあげる。デジカメ貸してよ」
俺と千晴は楓に写真を撮られた。二人とも缶ビールを持って。楓は言った。
「あんたらがそんなに仲良くなるとは思わなかったよ。キスまでしてるのには爆笑した」
「お、おい千晴!?」
千晴の肩を掴むと、彼は呆けた表情をした。
「あれ? 楓には話しましたよ。言ってませんでしたっけ?」
「知らねぇよ! 何で話したんだよ!」
「だって、黙っておけとは言われていなかったので」
「おいー!」
楓が腹を抱えて笑いだした。こいつ、何てことしやがるんだ。俺は今すぐ逃げ出したい気分だった。
「あれでしょ? イブの日にラブホ泊まったんでしょ?」
「そ、そうだけど!」
「あーおかしい! ねえ、今すぐキスしてよ! 写真撮ってあげるから!」
「誰がするか!」
もういい。飲もう。俺はビールを一気に飲み干した。楓はまだ腹を抱えていた。千晴は何が悪かったのか本当に分かっていないらしく、まだぽやんとした顔をしていた。俺は言い訳を始めた。
「イブが父親の命日なんだよ。家に居ると、母親が泣いてるから嫌でさ」
楓が言った。
「あー、うちの父親も、母親の命日にはおかしくなるよ。九月なんだけどね。いつも外行ってて帰ってこないくせに、その日は会社休んで一人で家で飲んでるの」
「僕の家ではカレーを食べますよ。兄が好きだったんです。そのせいで、僕は兄の命日以外ではカレーは食べません」
失った者同士。こうして話が合う。俺たちは、家族の思い出を語り始めた。まずは楓からだった。
「父親が忙しかったから、いつも母親と二人だった。料理がまずくてね。あたしも偏食だったから、しょっちゅう近所の中華料理屋行ってラーメン食べてた」
千晴は言った。
「楓のラーメン好きはその頃からですか」
「うん。あそこのラーメン、特に美味しかったわけじゃないけど、また食べたいなぁ」
次は千晴だ。
「兄とはよくお揃いの服を着せられていましたよ。僕の背が伸びるのが早くて、双子とよく間違われたものです」
楓がちょんと千晴の髪を触って言った。
「何センチあるの?」
「高校入学のときには百八十センチになっていました。今は百八十五くらいですかね」
俺は千晴を肘でつついた。
「いいなぁ、ちょっと分けてくれよ」
「背が高いのも面倒ですよ? しょっちゅうぶつかりますし」
楓がポテチの袋を開けながら言った。
「それは千晴がぼおっとしてるせいもあるでしょ」
そして俺だ。
「父親とはよく釣りに行ってた。夜中から行くんだ。大抵俺は寝ちゃってて、朝の釣れる時間帯になったら起こされて、アジとかサバとか釣ってたよ」
俺はポテチをつまんだ。こんな風に、父親のことを話せるのは、この二人以外に居ないと思った。
父親が死んでから、高校では腫れ物を触るような感覚で、クラスメイトたちは接してきた。俺は虚勢を張って、いつも通りに過ごしていたのだが、余計にまずかったらしい。
大学に入り、誰も父親のことを知らない環境に置かれると、俺はホッとした。それで、浅く広く交友を持とうと決め、商学部の奴らに自分から話しかけるようになった。
「まあ、何だ。こうして父親のことを話せる相手がいて本当に良かったと思うよ」
俺がそう言うと、二人は頷いた。楓が叫んだ。
「あー! 折角の春休みだし、どっか遊びに行きたいなー!」
千晴が言った。
「行きましょうか。香織と雅紀も呼びます?」
楓は身を乗り出した。
「いいね。大人数の方が楽しいし」
そうして、俺たちは遊びの予定を立て始めた。
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