36 誓い

 その日は、楓の診療の日だった。彼女は一人で精神科へ行った。そして、夜になって、俺と千晴は彼女の家に行った。


双極性障害そうきょくせいしょうがいかもしれないって。今だと双極症そうきょくしょうっていうのが正式な名前みたいだけど」


 俺は楓の言葉を反復した。


「ソウキョク……?」

「あたしもよくわかんないから、本買ってきた」


 楓は何冊か本を取り出した。「双極性障害」というのは初めて目にする単語だった。千晴が一冊を手に取った。


そうとうつの波がある病気、ですか」

「うん。あたしはⅡ型になるみたい」


 俺も本を読んでみた。一見調子が良く見えるが、逸脱行動を起こしてしまう躁状態と、うつ状態を繰り返してしまう病気らしい。完治、ではなく、症状が落ち着く寛解を目指すものらしく、服薬はずっと続くのだとか。楓は言った。


「なんか、普通のうつって診断されて、それでも良くならなくて、後で双極性障害だったって言われるケースが多いみたい」


 本から目を離して千晴が言った。


「それなら、楓はラッキーでしたね。誤診されずに済んだ」

「うん。うつとは薬の内容も全然違うみたいだよ。人によるけど、抗うつ剤は飲んじゃダメなんだって」


 俺たちは、しばらく本を読んでいた。家族に向けた記載もあった。まずは、家族もこの病気を知ることから始めなければならないようだった。受容することの難しさについても書いてあった。パタリ、と本を閉じて楓が言った。


「まっ、とりあえず飲みに行かない? あたし、久しぶりに外行きたい」

「いいですね」

「うん、いいぞ」


 俺たちは、大学近くの串カツ屋に入った。カウンター席で、楓を真ん中にして座った。注文は紙に書く方式で、千晴がペンを走らせた。山盛りのキャベツとビールが届き、俺たちは乾杯した。千晴が言った。


「まあ、とにかく、病名がわかってよかったですね」


 楓は口を尖らせて言った。


「んー、あたしとしてはまだ受け入れられないけどね。自分が病気だなんて思ったこと無かったし」

「ゆっくり受け入れればいいですよ。僕たちもそうします」

「ありがと、千晴。それに純も」

「ああ」


 俺は、龍介さんから受けていたアドバイスを楓に伝えた。


「自立支援医療制度っていうのがあるんだって。申請したら、医療費が助成されるらしいよ」

「本当に? 次の診療のときに先生に聞いてみる」


 串カツが届いた。何が何やら分からなかった。俺たちは、適当にかじりついてみて、中身を確認した。もはやそれぞれの注文はごちゃごちゃになっていた。楓は首を傾げながら言った。


「あれ? これジャガイモだった」

「ああ、それ僕です」

「はい、かじっちゃったけど。あーん」


 千晴はジャガイモを食べさせてもらった。ちょっぴり羨ましい。俺はキャベツに手を伸ばした。千晴が言った。


「お父さんに、このことは伝えた方がいいのでは?」


 楓は渋い顔をした。


「やだ。どうせ鬱陶しがられるだけだよ。あたしさ、四月からはちゃんと大学行って、就活する。それで自立する。だから父親の世話にはもうならない」


 それでも、言っておいた方がいいのでは、と俺は思ったが、楓の決心がつくまで待ってもいいのかもしれないとも考えた。

 これは、長い戦いになる。俺たちはもっと、病気について知り、理解を深めていく必要性がある。

 俺と千晴は覚悟を決めている。実の父親が頼れないのなら、俺たちが楓の家族だ。俺は言った。


「楓。千晴。出会いはめちゃくちゃだったけど、この三人で居るの、すっげー楽しい。俺、お前らに出会えて本当に良かったって思ってる」

「僕もですよ」

「うん、あたしも」


 ビールジョッキを掲げ、楓が叫んだ。


「桃園の誓いする!?」


 俺は意味が分からなかった。


「トウエン? 何だそれ?」


 千晴が教えてくれた。


「三国志ですよ。義兄弟の契りです。生まれた日はバラバラでも、死ぬ日は一緒っていうやつです」


 俺たちは、もはや友達ではない。恋人でもない。ならば義兄弟というのなら、確かにしっくりくる気がした。三人で、もう一度ビールジョッキをぶつけ合った。


「あたし、また死にたくなったら、絶対に二人に言う。隠さない。それで、二人に何かあったらあたしが助ける。それでいい?」


 俺は楓の髪をわしゃわしゃと撫でた。


「おっ、調子いいじゃねぇか。それでこそ楓だ」

「もう、伸びっぱなしでボサボサなんだからやめてってば」

「ああ、そろそろ美容院に行った方がいいかもしれませんね。それとも伸ばしてみては?」

「あたし、ショートが一番似合うの。そうだね、明日行こうっと」


 楓はスマホを取り出すと、早速美容院の予約を始めた。身だしなみに気を遣える余裕があるということは、回復しているサインだろう。

 俺たちは、串カツ屋を出た後、楓の部屋でいつも通りに眠った。

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