35 生まれ変わっても
楓の受診という一山を越え、俺は次のステップに進もうとしていた。母親と千晴を会わせるのだ。俺は母親を、ショットバーに連れて行った。
「初めまして。安堂千晴です」
千晴が挨拶をすると、母親は大層驚いていた。
「こ、こんばんは」
どうやら千晴の美貌に参っているようだ。事前に本当に綺麗な奴だぞとあれほど言っておいたのに。千晴はまずはおしぼりを渡してくれた。母親は言った。
「あまりお酒飲めないの。赤ワインくらいかな」
「ええ、ございますよ。純はビールですか?」
「うん。よろしく」
今日母親を連れてくることは、マスターにも言ってあった。
「店主の川上です。ノンアルコールのカクテルも作れますから、お気軽にお申し付け下さい」
「じゃあ、せっかくだから二杯目はそうさせて頂きます」
灰皿は置かれていたが、俺はタバコを我慢した。ビールと赤ワインが揃い、俺と母親は乾杯した。
「何か、変な感じよ。こうやって息子と飲むの」
「そういえば、初めてだよな。父さんとはこういう所来なかったの?」
「付き合ってた頃、少しだけね。だからバーは初めてじゃないの。本当に久しぶり」
母親は、千晴に目を向けた。
「それで、この子と一緒に住みたいんだって?」
「はい。純とは、そう付き合いが長いわけではありませんが、信頼できると思いましてね」
そこからは、打ち合わせていた通りのストーリーを千晴は話した。楓でなく、雅紀の知り合いだったということにしておいた。会話を重ねるにつれ、互いが自死遺族だと知り、意気投合したのだと。母親が尋ねた。
「亡くなったご家族って、どなた?」
「兄です。高校生でした」
「そう……ご両親もお辛かったでしょうに」
「はい。決心がつかないらしくて、遺骨がまだ家にあります」
そこからは、俺も知らない話だった。息子を亡くした千晴の両親は、いじめの実態を明かそうと、高校側と激しい争いをしたらしい。しかし、いじめていた側にも将来があるからと丸め込まれ、彼らは卒業を迎えてしまった。母親は涙ぐんで言った。
「お兄さんには、将来が無くなったっていうのに……」
「ええ、そうです。正直、憎い気持ちは消えません。僕も両親も、それをずっと抱えて生きていくんでしょう」
耐えきれなくなって、俺はタバコを取り出した。母親は何も言わなかった。千晴は続けた。
「兄の分まで生きろと言われて、それが重荷になるときもありました。でも、純と出会って、時間を一緒に過ごして、僕は楽になりました」
「そう。そうだったの」
俺のビールが尽きた。マスターに、アードベッグを頼んだ。俺は言った。
「なあ、母さん。俺、きちんと単位も取って、卒業して、就職するからさ。そしたら、一緒に住むこと、許してくれよ」
「……千晴くんは、就職はどうするの?」
「僕はまだ迷っています。バーテンダーの道を歩みたいとも思っています」
ロックグラスを準備しながら、マスターが口を挟んだ。
「私としては、四年生になってから決めてほしいと思っています。所詮、水商売です。体力が資本でもあります。折角いい大学にいるんですから、就職した方がいいのではと私は思います」
マスターは、アードベッグを出してくれた。心地いい煙たさが俺の鼻をくすぐった。母親は驚いて言った。
「こんなお酒飲めるの?」
「うん。父さんが生きてたら、一緒に飲みたかったな」
母親は千晴に向き直った。
「じゃあ、二人とも。まずはきちんと勉強しなさい。大学でしかできないこと、沢山あるでしょう。進路はまだ決まってなくてもいいわ。じっくり考えなさい」
そう言って、母親はワインを飲み干した。
「さーて、母さんあれ貰おうっと。父さんとバーに来てたとき、いつも頼んでたカクテルがあるの」
「何?」
「シンデレラ」
「プッ」
「あっ、笑ったな?」
マスターは、オレンジ色のカクテルを母親に出した。俺は酒言葉を調べた。「夢見る少女」だった。俺は、付き合っていた頃の二人の話を聞きたくなった。
「どっちから付き合おうって言ったの?」
「父さんから。実はね、一回断ったのよ? 母さん、そのとき他の人と付き合ってたからね。別れてから、もう一度告白されたの」
「マジかよ。父さんやるな」
千晴もリラックスし始めたようで、ニコニコと俺たちの話を聞いていた。
「顔とか全然タイプじゃなかったのよ。でも、ひたむきな所に惹かれてね。今では世界で一番カッコいい男だと思ってる」
「来世でも一緒になりたい?」
「もちろん。その時は、純はまたわたしたちの子供に産まれてきてね?」
ああ、やっとだ。やっと母さんが、戻ってきてくれた。
「うん。そうする。何度生まれ変わっても、父さんと母さんの子供でいる」
俺はタバコに火をつけた。そうしないと、泣いてしまいそうだった。俺は父親のことを想った。
父さん。あんたのこと、許してないけど、愛してるよ。
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