34 受診

 まずは、精神科受診までの一ヶ月が勝負だ。楓は大学に行くのをこわがってしまっていた。俺たち四人以外の人とは会いたくないのだという。

 そこで、交代で文学部に潜り込んで、ノートを取ったり、課題の情報を仕入れたりした。レポートの代筆を、なんと雅紀がやってくれた。

 香織と雅紀は毎日楓の家に行き、料理を作ってやっていた。キッチンには、続々と調味料が揃っていった。醤油とソースくらいしか無かったのに、今ではローリエやクミンまで置いてある。

 俺と千晴も、時折顔を出した。俺は楓と二人きりのときは、彼女を抱き締めた。まだ不安定なようで、涙を見せることが多かった。

 それでも少しずつ、楓の顔には笑顔が戻っていった。五人で小さなノートパソコンに向かい、SF映画も観た。俺が借りた小説の映像版だ。香織は途中で寝てしまい、みんなで苦笑した。

 そして、俺は龍介さんにさらなるお願いをした。写真屋が暇なとき、こう言ってみたのだ。


「龍介さん、ダメだったらいいんです。でも、他に頼める人、居なくて。楓の病院、付き添ってやってくれませんか?」


 楓には、既に了解を得ていた。俺の信頼する先輩なら、間違いないだろうということで。


「うん、いいよ。でもその前に、一度楓ちゃんと会って話してみたいな」

「わかりました。ありがとうございます」


 バイトが無い水曜日の夜、俺は龍介さんを楓の家に連れていった。


「初めまして。荻野楓です」

「おれは清水龍介。純くんから話は聞いてるよ」


 それから、龍介さんは優しく楓に語りかけてくれていた。


「精神科っていっても、そんなに特別な所じゃないよ。待合室に居る人たちだって、みんな普通に見える」

「はい」

「医師との相性は……正直、賭けだけど。合わなかったら変えるのも手。でも、まずは洗いざらい話したらいい。おれは待合室までは一緒に行くけど、そこから先は一人で話すんだよ。できる?」

「やってみます」


 とうとう、受診の日がきた。俺と千晴、それに龍介さんの三人で、楓を迎えに行った。


「今日はよろしくお願いします」


 楓は俺たちに頭を下げた。精神科は、電車で一駅行った所にあった。一階がカフェになっており、その二階だ。俺と千晴はカフェで時間を潰すことにして、楓と龍介さんは精神科に入った。

 俺と千晴はブレンドコーヒーを頼んだ。喫煙スペースが他に設けられているカフェで、交互にタバコを吸いに行った。千晴のタバコは、俺と同じものに変わっていた。


「楓、大丈夫ですかね……」

「龍介さんが一緒なんだ。きっと大丈夫だよ」


 一時間ほどして、龍介さんから、楓が診察室に入ったとラインがあった。予約をしても、それくらい待たされるらしい。千晴が言った。


「あとどれくらい、かかるんでしょう」

「龍介さんが言ってたけど、初診だから色々検査するかもって。三十分はかかるんじゃないかな?」


 俺の言葉通り、三十分後に龍介さんからラインがきた。会計待ちだという。薬の処方もあるから、それが終わったらこのカフェで合流することになった。

 カフェに現れた楓は、清々しい顔をしていた。


「なんか、普通のうつじゃないかもって」


 楓は言った。何でも、幼少期から今までのことを全て話したところ、感情に波があると指摘されたのだという。


「とりあえず今回だけじゃ分かんなかった。一週間後、予約取ったよ」


 龍介さんは言った。


「今度は一人で行ける?」

「はい、大丈夫です」


 楓は無理のない笑顔を見せた。そして、薬の入ったビニール袋を出しながら言った。


「正直、薬とか飲みたくない」


 俺は言った。


「大丈夫だって。きちんと飲めよ」

「うん、でもさぁ……」


 龍介さんが、楓の肩を叩いた。


「飲みなさい」

「あっ……はい」


 やはり、経験してきた人の凄みは違う。俺は龍介さんに来てもらって正解だと思った。龍介さんは先に帰り、俺と千晴は楓の家まで行く途中、コンビニに寄って昼食を買った。パスタを食べながら、楓が言った。


「大学、春休みになっちゃったね」


 楓の課題は、雅紀を中心に俺たち全員でこなした。おそらく単位は取れただろう。楓の履修していた科目はテストが無く、レポート提出だけだったからできた芸当だ。俺は、春休みに入るのはいいタイミングだと思って言った。


「まあ、いい機会だ。ゆっくり療養しながら、四月を目指そう」

「うん、そうだね」


 千晴が尋ねた。


「お医者さんってどんな感じの方でした?」

「んー、見た目は普通のおじさん。歳はわかんなかったな。けっこう淡々としてたけど、あたしの話、最初から最後まで聞いてくれた。いい人だと思う」

「それなら良かったです」


 この日は香織と雅紀が夜に来てくれて、唐揚げをした。雅紀がフライヤーを持ってきたのである。この五人で一緒に過ごすことも、もはや当たり前となっていた。本当の理由を聞いてこようとしない二人のことも、とても有り難かった。

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