31 荷物

 龍介さんや店長に連絡をした後、俺は床で眠ってしまっていた。目が覚めると、千晴が横に居て、俺の手を握っていた。

 こんな形で、千晴のことも知ることになるとはな。

 千晴が、あんな復讐心を抱いていたなんて、夢にも思わなかった。ショックではあったが、今までのことに整合性がついて、納得もできた。

 俺は立ち上がってキッチンへ行くと、コーヒーを淹れた。時刻は朝七時だ。俺は千晴だけを起こすことにした。


「なあ、千晴。俺ちょっと、信頼のおける先輩に、このこと相談してみる。楓があんなことまでしたんだ。正直、俺たちだけじゃ対処できないだろう?」

「僕も、それは思っていました。精神科までの一ヶ月間、どうすればいいか……」

「うん。それも含めて、相談してくる」


 俺は一旦家に戻った。母親が、しかめっ面をしていた。


「もう、純ちゃん。また泊まり?」

「悪い悪い。雅紀の奴がまた風邪ひいてよ」


 本当のことは、まだ母親には言わない方がいいだろう。楓と千晴との関係からまず説明せざるを得なくなる。精神科についての情報も欲しかったが、いきなり聞いたところで怪しまれるに違いない。


「じゃあ俺、風呂入ったらまた出るから」

「夕飯は?」

「要らない」

「もう、明日はちゃんと家に居なさいね?」


 俺はシャワーを浴び、自転車で龍介さんの家に行った。インターホンを押し、オートロックを開けてもらった。


「済みません、休みの日に」

「いいのいいの。どうせダラダラするだけだったから。それより、何か大変なことでもあった?」


 楓が自殺未遂をしたこと。三人全員が自死遺族だったこと。精神科の受診は一ヶ月後だということ。それらを順を追って話した。龍介さんは、髪をかきあげ、口を結んだ。


「とにかく、この一ヶ月間は俺と千晴が交代で側に居ようと思ってます。でも、実際どうすればいいのか……」

「大変だったんだね。純くん、よく頑張ったよ」


 龍介さんは、温かい紅茶を持ってきてくれた。そして、語りだした。


「おれの元婚約者もな。精神を患ってたんだよ。オーバードーズってわかる? 薬を大量に飲んでな。何度も病院に搬送された」

「そうだったんですか」

「おれは、一人で抱え込んだ。彼女のことをどうにかしてやりたい。力になってやりたい。そう思った。でも、無理だった。それでおれまで薬の世話になることになった」

「龍介さんも?」

「うん。今は飲んでないけどな。それで当時勤めてた会社も辞めることになって、婚約も破棄して、二年くらい無職だったよ。そうして入ったのが今の写真屋だったってわけ」


 どんなに明るく元気そうに過ごしている人にも、重苦しい過去があることだってある。それを今、俺は目の当たりにしていた。


「だからな。正直、純くんのことが心配なんだよ。おれのようにはなってほしくない。楓ちゃんのこと、本当に受け止められるか?」

「俺は……俺には、千晴も居ますから」

「うん。それがおれとは違うところかな。でも、千晴くんも重いもの抱えてたんだよね。それについてはどう思った?」

「まだ、消化できてないです」

「だろうね」


 こうして話していると、どんどん頭が整理される。龍介さんに頼って良かった。俺は紅茶を一口含み、言った。


「覚悟、決めたいと思います。俺にとって、楓も千晴も大切な存在なんです。俺はあいつらに、生きていて欲しいんです」

「そっか。なら止めない。でも、ダメだと思ったら手放すんだ。自分まで引き込まれちゃいけない」

「分かりました。ありがとうございます」


 最後に龍介さんは、こう聞いてきた。


「なあ、楓ちゃんって他に友達居るのか?」

「えっと……俺と共通の大学の友達が居ますね」

「そいつらも巻き込めよ。全ては言わなくてもいい。重い荷物はみんなで持て。これ、おれが若いときの自分に言ってやりたい言葉」

「本当に、ありがとうございます」


 俺は龍介さんの部屋で昼食をご馳走になってから、楓の家へ向かった。合鍵は俺が持ったままだった。それを使って入った。楓はベッドに横たわっていて、千晴が上半身をベッドに預けて眠っていた。


「楓、起きてる?」

「ん……起きてる」


 楓はベッドから身を起こすと、千晴の頭を撫でた。彼女は言った。


「こんなときでも、お腹は空くんだね」

「そう思って、色々買ってきた。当分持つだろ」


 冷凍のパスタを楓は食べた。しかし、胸が詰まると言い、半分残した。彼女はまたベッドに戻り、ぽつりと言った。


「あたし、母親みたいにはなりたくないって思ってたのになぁ……」


 俺は言った。


「楓は生きてる。死ななかった。だから、お母さんとは違うよ」

「でも、あたしも薬を飲むことになる」

「うちの母親だって飲んでる。俺の先輩も、昔は飲んでたって言ってた。何も特別なことじゃないさ」


 俺は心の底から、そう思っていた。どうにかして、楓の薬への拒否感を無くせないものか。そればかりを考えていた。

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