30 述懐

 楓の母親は、酒と薬を大量に飲んで死んだとのことだった。そのとき楓は小学四年生。何があったのか理解できる年頃だった。


「お母さんが何に悩んでたのかは知らない。遺書も無かったしね。ただ、あたしの存在はお母さんを繋ぎ止めることができなかった。だから自分のことを下らない存在だと思うようになった」


 それからの楓は、女友達の輪から外れ、一人で過ごすようになったという。転機は高校生のとき。一つ上の先輩に付き合ってほしいと言われ、それを受けたらしい。


「彼のことなんて、どうでも良かったんだけどね。ただ、セックスのときは違った。あたしは必要とされてるって思った。だから、のめり込んだ」


 楓のあけているピアスの数は、セックスをした男の数だった。新しく開けた十個目は、俺だったというわけだ。楓はそこまで話すと、千晴に目を向けた。


「次、あんたが話しなよ」

「……僕ですか」


 千晴の兄は、二つ上だったらしい。彼はとても優しく、弟思いだったという。


「兄は高校で壮絶ないじめに遭いましてね。それを苦に自殺しました。いじめっ子たちには、何の咎めもありませんでした。だから、復讐しようと思ったんです」


 ヒロキと名乗り、千晴はいじめっ子たちの恋人を次々と寝取っていった。奴らには幸せな家庭など築かせない。そういう思いだったという。


「この顔が役に立ちました。女の子たちを落とすのは簡単でした。いじめっ子たちと破局する度、僕は確かに満足感を得ていました」


 俺は尋ねた。


「でもよ……それって、千晴自身の幸せをも奪ってないか?」

「僕はもう、諦めていますよ。僕も幸せな家庭など要りません」


 二人の視線が、今度は俺に注がれた。


「俺の父親は、ビルから飛び降りたよ。それから、母さんがおかしくなった。俺にすがるようになった。それがずっと重荷だった」


 楓が言った。


「そっか。あの旅行って……」

「うん。父さんと過ごしたことをなぞろうと思った。何とかして、母さんを立ち直らせたかった」


 俺はポケットからタバコを取り出した。


「これ、父さんのタバコ。俺はこれしか吸わないって決めてるんだ」


 楓が呟いた。


「ショート・ホープ……」

「そう。これは俺にとって希望だし、お守りみたいなもん」


 そして、俺たちはベランダに行った。俺は自分のタバコを二人に分け与えた。楓は言った。


「これが、純のお父さんとの繋がりなんだね?」

「うん。この匂いに包まれていると、安心する」


 三人同時に火をつけたので、終わるのも一緒だった。俺たちは部屋に戻った。ローテーブルを囲んで座り、千晴が言った。


「楓。あなたは精神科に行った方がいいと思います」


 楓はふるふると頭を横に振った。


「そんなとこ行っても、変わらないよ」


 俺は言った。


「いや、行けって。こんなことしでかしたんだぞ。ちゃんと行って、薬とか飲め」

「薬かぁ……」


 千晴が楓の肩に触れた。


「何なら、僕が予約しますから」


 予約、と聞いて俺は口を出した。


「でも、初診の受付までけっこうかかるぞ。精神科はどこもいっぱいだ。母さんのときが、そうだった」

「なら、早くしないとですね」


 千晴はスマホで調べ始めた。そして、楓の父親のフリをして、とある精神科に予約を入れた。


「一ヶ月後だそうです」

「うん、やっぱりそれくらいかかるよな」


 時刻は夜七時になっていた。千晴がコンビニで夕食を調達してくると言い、俺と楓は部屋に残った。


「なあ、楓。千晴も言ってたけど、死ねなかったってことは、結果の一つだよ」

「うん。そうだね。あたし、まだ生きなきゃダメなんだね」

「俺も千晴も居る。生き残ったなりに、きちんとケジメつけろ」

「うん……」


 俺はドアノブにひっかかったままだったロープをほどき、ゴミ箱に捨てた。千晴が帰ってきて、三人でコンビニ弁当を食べた。食べている途中で、千晴が言った。


「あっ……今日僕バイトでした」

「行ってこいよ。俺がついてるから」

「そうですね。お願いします。終わったら、戻ってきますね」


 千晴を見送り、俺は楓を抱き締めた。彼女は俺にささやいた。


「ねえ、一人にしないで」

「うん。分かってる。俺と千晴が交代でついててやるから」


 楓の小さな身体は震えていた。俺は優しくキスをした。それ以上のことはしなかった。

 ベッドに行き、手を繋いでいると、楓は眠った。俺は母親に連絡をしていなかったことに気付いた。慌てて泊まるとラインを送ると、了解と返ってきた。

 さあ、これからどうしたらいいだろう?

 俺はベランダでタバコを吸いながら、スマホでバイトのシフト表を見た。明日、龍介さんは休みだった。彼に連絡した。


『相談事があるんで、明日家に行ってもいいですか?』

『いいよー! おれ一日空いてるから、純くんの都合のいい時間で』

『朝の十時でも大丈夫ですか?』

『オッケー!』


 それから、店長に明日のバイトを休ませてほしいとお願いした。元々、日曜日はパートのおばちゃんたちだけで十分回っているので、難なく許可が降りた。

 これはもう、俺たちの手に負える範疇を超えている。そう感じたからこそ取った行動だった。

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