28 その日の彼女

 楓には、お土産を渡すという大義名分があった。それで俺は、木曜日の夜、彼女に連絡した。


『お土産渡したいんだけど、明日暇?』

『大丈夫』

『直接家行ったらいい?』

『いいよ』


 翌朝、俺はリュックにカニ煎餅を詰め、大学に向かった。今日は一限から四限までみっちりある。特に、三限は所属するつもりのゼミの教授の授業だ。何一つ聞き洩らすことのないよう、しっかりとノートを取った。

 四限が終わり、俺は楓にラインをした。


『何か食べ物買ってこようか?』

『コンビニのラーメン』


 俺はコンビニに寄り、ご要望通りラーメンと、自分が食べる分のうどん、それに楓が好きな缶チューハイを買った。


「よう、楓」


 楓は、いつもの黒いパーカー姿だった。様子も普段と変わりないように見えた。


「お腹空いた。早くレンチンして」

「はいはい」


 何度も通うにつれ、俺も楓の家のことが大体わかるようになってしまっていた。先に楓のラーメンを温めて出した。


「これ美味しいんだよね。ありがと」

「うん」


 遅れて俺もうどんをすすりはじめた。食べ終わり、俺はリュックからお土産を出した。


「はい、カニ煎餅」

「おおっ、サンキュ」


 それをつまみに、俺たちは一杯やることにした。


「お母さんと行ったんだよね。仲いいね?」

「まあ、ほんの思い付きだよ。俺んとこ、父親死んでてさ。家族で最後に行ったのがその温泉だったってわけ」

「そっか。いいなぁ。あたし、お母さんとの思い出ろくなの無いからね」


 これは、聞いてもいいのだろうか。俺は緊張した。まだその時ではない気がした。なので、少し話を反らした。


「お父さんとは? どうなの?」

「あの人はね。お金で何でも解決できると思ってる人だから。学費と仕送りに関しちゃ感謝してる。けど、それだけの存在だよ」

「うん、そっか」


 少し前の俺なら、父親を大切にしろとか説教を垂れていたかもしれない。でも、今は違う。楓には楓の事情があるのだ。家族のことに触れるのは、もう少し先でいい。それとも、触れずにこの関係を続けるか。それは、楓次第なのかもしれないと俺は思った。俺は全く話を切り替えた。


「そうだ。香織が、また一緒に宅飲みしたいって言ってたぞ」

「あっ、いいね。あたしもあの二人には会いたいと思ってた」

「結婚式には一緒に呼ばれるか?」

「えー、結婚式とかめんどい。純だけ出て」


 それから、俺は今読んでいる小説の話をした。


「それならあたしも読んだよ」

「マジで? 俺まだ半分くらい。けっこう難しくない?」

「そうだね。暗いしね。映画も観たよ。再現性高くて良かった」


 そして楓は、映画について思いのたけを語り始めた。主演の俳優が渋くてカッコいいらしい。ストーリーやキャラクター配置は小説と少々違うが、雰囲気がいいし、ラストも印象的なのだという。俺は言った。


「なあ、今度一緒にそれ観ようか」

「うん、いつかね」


 俺はリュックから、デジタルカメラを取り出して見せた。


「これ、買ったんだ」

「ふぅん」

「楓のこと撮っていい?」

「ダメ。あたしが古くなるじゃない」

「何それ?」

「そういう歌があるの」


 ありのままの楓を残しておきたかったのだが、俺たちは恋人ではない。断られたからには、すんなりと引っ込むのが道理だろう。俺はカメラをしまった。

 そして、ねっとりとセックスをした。今回は長く焦らしてみせると、楓は切なそうな目をした。そして、俺の手を自分の手に持っていった。

 ……そういうことか?

 俺は、楓の首を軽く絞めた。彼女は口角を上げ、俺の瞳を貫いた。そのまま動かすと、彼女はひゅうっと呼吸をした。


「なんでああいうことしたの?」


 終わってから、俺は聞いた。


「純なら、してくれると思って」


 楓は俺の肩をつうっと撫でた。彼女が俺を信頼してくれていることの証なのだろうか。それならば、嬉しい。


「今度はもっと強くしようか?」

「ん、それでもいいよ」


 裸のまま、俺たちはまどろんだ。目が覚めると、まだ四時だった。俺はベッドに楓を残し、服を着てタバコを吸った。中途半端な時間だ。スマホでゲームでもするか。

 俺にふと、悪い考えが浮かんだ。こっそり楓の寝顔を撮るのだ。彼女を起こさないよう、そっとリュックのファスナーを開け、カメラを取り出した。そうして一枚撮った。

 これは俺だけの宝物にしよう。

 それから結局寝られず、俺は朝まで起きていた。


「楓。俺バイトだから、そろそろ出るけど」


 トントンと肩を叩いて起こし、俺は言った。楓は眠い目をこすりながら、うん、とだけ言い、のろのろと下着をつけ始めた。


「駅まで送るよ」


 楓と連れ立って冬の道を歩いた。春が来るのが待ち遠しい。三年生になったら、また俺と楓の関係も変わるのかもしれない。本当なら、歩いているときは手を繋ぎたい。あと数センチ、近付けたなら。

 改札口で、楓はこう言った。


「純、バイバイ」

「ん? またな」


 小さな違和感があった。しかし、それが何かわからないまま、俺は電車に乗った。変な時間に目覚めてしまったせいで、眠かった。

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