26 思い出の旅行

 ネットでささっと予約を済ませ、俺は母親と電車に揺られていた。温泉旅行を提案してから一週間後のことだ。我ながら、フットワークが軽い。

 リュックの中には、龍介さんに見繕ってもらったキャノンのデジタルカメラが入っていた。利便性を重視してコンパクトのやつだ。


「母さん、ポテチ食う?」

「ううん、要らない。純ちゃんったら、今からそんなに食べてたらカニ入らなくなるよ?」

「大丈夫だって」


 冬の温泉地はいい。俺も段々、ここに来たときのことを思い出していた。


「なあ、母さん。あっちに確か足湯があるんだよ。行こう」


 俺は母親の手を取り、駅を出て右手に向かった。


「あっ、本当だ」


 母親は、お湯を手ですくった。すかさず俺はカメラを構えた。


「純ちゃん?」

「あー、そのまま、そのまま」


 それから、二人で足湯に浸かり、その様子も写真に納めた。駅の看板の前で、他の観光客にツーショットも撮ってもらった。


「純ちゃんったら、いきなりどうしたの? カメラには興味ないって言ってた癖に」

「気が変わったの。それに、写真屋でバイトしてる手前、やっぱりカメラの知識があった方がいいと思ってさ」


 旅館までは、土産物屋の通りを歩く。カニまんじゅうが売っていたので、それも写真に撮り、母親と一緒に食べた。


「これ、父さんと食べたやつかも」

「マジで? 俺覚えてねぇや」

「うん、確かにそう。父さんったら、唇火傷したもん」


 それから母親は、三人で行ったときの思い出話を始めた。中学生だった俺は、あまり乗り気でなく、終始不機嫌だったらしい。


「無理矢理連れ出して悪かったなぁって、父さん何度も言ってた」

「まあ、その頃は家族旅行なんて恥ずかしいって思ってたんだろうな」

「きょうだいが居たら、別だったんだろうけどね」

「いや、俺は一人っ子で良かったって思ってるよ? こうして母さんのこと自由に連れ回せるし」

「あははっ」


 母親は少女のように笑った。そうして旅館に入った。父親と来たのと同じ所だ。ロビーにドリンクバーが備え付けてあって、ソフトドリンクを自由に飲める。おおっ、色々思い出したぞ。


「俺、廊下にジュースぶちまけたよな?」

「そうそう! 欲張って三つも入れるから」

「今回は一つずつにします」

「よろしい」


 部屋に着き、夕食までの間に、温泉に行くことにした。前は父親と来たはずだが、何の会話をしたのか、湯に浸かっても思い出せない。記憶が出てきたのは、休憩所だった。


「ああ……そうだった」


 あのとき、俺は水を飲みながら、好きな女の子ができたことを話したのだ。母親の湯は長く、ずいぶん根掘り葉掘り聞かれたことをやっと思い出した。

 その子とは、残念ながら想いが通じ合うこともなく、卒業で別れてしまった。今、彼女はどうしているだろう。俺と同じように、大学生をやっているのだろうか。


「純ちゃん、お待たせ」


 色浴衣を着た母親は、メイクも落としているはずなのに、なぜか若々しく見えた。俺は母親を湯ののれんの前に立たせ、写真を撮った。


「もう、スッピンなんだから恥ずかしい」

「どうせ他には見せねぇよ」


 夕食のカニも、もちろん写真を撮りまくった。母親があんぐりと口を開けているところも。もちろんこれらはバイト先でプリントしてアルバムにはさむつもりだ。社割もきくしな。

 ビールも注文した。こういうところでは瓶のやつだ。母親に注いでもらうと、彼女はしんみりしはじめた。


「純ちゃんって、本当に父さんそっくり」

「そうか?」

「純ちゃん、お酒だとビールが一番好きでしょ?」

「そうだな」

「そういうところよ」


 カニを食べ終わると、母親はもう横になりたいと言い、布団に入ってしまった。俺はロビーへ行き、タバコを吸った。父親が生きていた頃は、ちょくちょく喫煙で席を外す彼を鬱陶しく思ったものだ。

 一本終わったが、まだ物足りない。このタバコは短いのだ。二本目を取り出したところで、スマホが振動した。


『今日暇?』


 楓だ。


『母親と温泉来てる』

『いいね』

『カニ食べた』

『よかったね。羨ましいな』

『お土産買ってくる』


 それきり、返信は無かった。楓のことだ。千晴か、他の男を誘うのだろう。そういう意味では、今の関係が楽ではあった。楓は俺を縛らないが、俺も楓に縛られない。

 二本目を吸い終わり、部屋に戻ると、母親が話しかけてきた。


「今回は本当にありがとう。嬉しかった」

「俺も、父さんのこと色々思い出せた。良かったな。あのときも今日も、ここに来れて」

「うん……本当だね。本当にありがとう、純ちゃん」


 翌日は、楓へのお土産を探して店をうろついた。彼女のことだから、食べ物がいいだろう。カニ煎餅を買って帰った。帰りの電車の中でも、母親は機嫌が良かった。


「なあ、母さん。また一緒に旅行しような」

「うん。今度はどこがいいかなぁ……」


 そうしてゆったり目を閉じる母親を、俺は安らかな気分で眺めていた。

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