23 ジントニック

 楓からの誘いは、一週間経っても無かった。身体がまだ本調子ではないのか。大学には行けているのだろうか。気がかりなことはいくつもあったが、何も連絡を送れないでいた。

 一方で、図書館で借りた文庫本を電車の中で読むようになった。物語に没頭しすぎて、乗り過ごすこともあった。楓もこんな風に、本の世界を渡り歩いているのだろうか。そう思うと、読書はより楽しくなった。

 そして、土曜日になり、バイトが終わった後、俺は千晴に連絡した。


『今日、バーに居る?』

『居ますよ。来てくれるんですか?』

『うん。今から行く』


 一人で訪れるショットバー。二回目だから、さほどこわくはなかった。階段を降り、重いドアを開けた。


「いらっしゃいませ」


 二人連れのお客さんの姿があり、マスターは彼らと話していた。千晴がおしぼりを渡してくれた。


「どうします?」

「ビールで」

「かしこまりました」


 千晴の注いでくれたビールを飲みながら、俺は言った。


「母親に、お前と一緒に住むことを話したよ」

「どうでした?」

「それがよ……」


 俺は千晴に、母親のことを打ち明けた。父親の死後、不安定で、薬を飲んでいるということ。ずっと一緒に居てほしいと泣かれたこと。千晴は神妙な顔付きでそれを聞いていてくれた。


「お母さんが落ち着かれたら、僕も挨拶に行きましょうか」

「そうだな。まだ先の話になりそうだけど。お前の話も聞けていないしな」


 あの、殴られた一件のことだ。千晴はまだ、話したくないらしい。千晴は話を反らしたかったのか、こんなことを言った。


「そうだ。僕、いくつかのカクテルならもう出してもいいとお墨付きが出たんですよ」

「本当に? じゃあ何か作ってくれよ」


 千晴はグラスに氷を入れ、少しかき混ぜた。そして一本のボトルを取り出した。それをグラスに注ぎ、ライムを絞った。この辺りで、彼が何を作ろうとしているのか俺にもわかった。


「ジントニックです」


 ライムの酸味が心地いい一杯だった。しっかりと炭酸もきいている。


「美味いよ」

「ありがとうございます」


 それから、話は楓のことになった。


「あれから楓から連絡きたか?」

「僕の方には無いです。純は?」

「病院には行ったって。それっきり」

「心配ですね……」


 酒の勢いのせいなのか、ふと俺は思い付いた。


「今からここ来いって言ってみるわ」


 俺は楓にラインを送った。なかなか既読がつかない。俺はジントニックを飲み干してしまった。


「何かお作りしましょうか?」

「そうだな。同じの、もう一杯。練習にもなるだろ?」

「ええ。ありがとうございます」


 そうして出来上がった二杯目のジントニックの写真を俺は撮り、楓に送りつけた。


『千晴が作ってくれた。美味いぞ』


 すると、返信があった。


『お風呂入ってた。髪が乾いたら行く』


 俺は千晴にスマホを見せた。


「楓、来れるってよ」

「嬉しいですね」


 三十分ほどして、楓が店にやってきた。


「いらっしゃいませ」

「よっ、千晴、純」


 今日の楓はいつになく機嫌が良さそうで、うきうきとしているのがすぐに見てわかった。


「あたしにもさ、そのカクテル出してよ!」

「いいですよ」


 楓は俺の隣に座り、タバコを取り出した。いつもと銘柄が違った。俺は尋ねた。


「タバコ変えたの?」

「いつものやつが売って無くてさ。適当に買ったやつ、消費しようと思って」


 それからの楓はお喋りだった。大学は二日間休んだといい、その間のノートを手に入れるのに苦労したんだとか。


「あたしさ、文学部だとなーんかこわがられてるみたいなんだよね」

「そのピアスのせいじゃないか? ん?

何か増えてない?」

「やっと気付いた? 十個になったよ!」


 髪をかきあげ、楓は自慢そうにしていた。ジントニックが出来上がり、彼女は満面の笑みでそれを飲んだ。


「んー! 美味しい!」

「それは良かったです」

「俺ももう一杯頼もうかな。さすがに別のやつで」

「では、そろそろウイスキーでもいきますか?」


 俺はずらりと並んだボトルを眺めた。この前飲んだのはデュワーズだ。あれはハイボールで頂いた。でも、今はロックで飲みたい。俺は言った。


「何か、癖の強いやつロックで欲しいな」

「ふむ、そうですか。川上さん」


 千晴はマスターを呼んだ。


「癖の強いやつ? スモーキーなやつとかいけます?」

「スモーキー?」

「そんなタバコ吸ってるから、いけるんじゃないかと思いましてね」


 マスターが出してくれたのは、アードベックというものだった。好き嫌いが別れるらしい。確かに煙たい香りがする。


「うわっ……すごっ」


 むせ返りそうだ。でも、美味い。


「気に入りました?」


 マスターが微笑んだ。俺は頷いた。父親が生きていたら、一緒にこんなウイスキーを飲みたかったな。そう思わせてくれる味だった。

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