19 信頼

 正月休みが終わった。俺は久しぶりに会う商学部の奴らと挨拶を交わしていた。クリスマスはどうしたのか、と聞かれたので、バイトだったと適当に嘘をついた。

 また、勉強が始まる。四月になればゼミにも入る。就活と卒論を両立させたいし、今の内から気合いを入れておこう。俺は真面目に黒板に向かった。

 四限が終わり、帰る前に校内の喫煙所に立ち寄った。千晴がそこに居たので、俺は話しかけた。


「よう、千晴。今日はもう終わり?」

「はい。純は?」

「帰ろうと思ってたとこ。寄り道するか?」

「いいですね。どこかタバコの吸えるところ行きましょうか」


 俺と千晴が連れ立って校門へ歩いて行くと、金髪の派手な男が立ちはだかった。


「おい。お前か? ヒロキは」


 ヒロキ? 誰のことだ? 俺は千晴の方を見た。彼はにこやかに微笑んでいた。


「はい、そうですよ」


 どういうことだろう。俺が戸惑っていると、男はいきなり千晴の顔を殴り付けた。俺は間抜けな声を出した。


「へっ……!?」


 千晴は尻餅をついてへたりこんだ。驚いた俺は、とにかく彼の背中を支えた。俺は男を睨み付けて言った。


「なんだってんだよ!」

「関係ねぇ奴はすっこんでろ! モエのことだよ!」


 モエ? また分からない名前が出てきた。確かに俺は関係ないのかもしれない。けれど、いきなり友人を殴られて、俺も正気ではいられない。代わりに一発お見舞いしてやろうか。浮き足立つ俺を、千晴が止めた。


「僕の本当の名前は安堂。安堂千晴です」

「安堂……?」


 男がひるんだ。そして、そのままどこかへ逃げていってしまった。千晴の表情を見て、俺は背筋が凍り付いた。彼は笑っていたのだ。今まで俺が見たことがない、冷ややかな笑顔だった。

 周囲の目線が、俺たちに集まっていた。まずはここを離れよう。俺は千晴と前に行ったナポリタンの喫茶店へと彼を連れて行った。店員の女の子は、目を丸くしながら席に案内した後、にゅっとアイシングバッグを突き出してきた。不愛想だが、気は利くらしい。


「おい千晴、何だったんだよ、さっきの」


 頬にアイシングバッグをあてながら、にこやかに千晴は言った。


「ああ。まあちょっとしたことですよ」

「どこがだよ。殴られたんだぞ? ヒロキって何だ? モエは?」

「ヒロキは僕の偽名です。モエにはそう名乗っていました」


 ますますわけが分からない。乗り掛かった舟だ。ここはとことん事情を聞いてやる。


「つまり、お前はヒロキって名乗って女の子と遊んでたってことか?」

「はい。他の女の子に本名を明かす義理は無いですからね」

「じゃあ、さっきのはモエの彼氏ってことか?」

「そうですよ。僕は相手の居る女の子しか狙いません」


 これには深い理由がありそうだ。スマホを二台持っているというのも怪しかった。あの傷のことだって気にかかる。俺はどんどん追及した。


「なんでそんなことするんだよ?」

「今はちょっと……言えません」

「ハァ? 俺たち一緒に暮らすって言ったろ? 隠し事は無しだ。言えよ」

「卒業するまでには、話しますから」


 店員の女の子が、所在なさげに突っ立っているのが見えた。そういえば、まだ何も注文していなかった。


「俺、ホットコーヒー。千晴は?」

「僕も同じものを」


 俺と千晴はタバコに火をつけた。今はこれ以上問い詰めても、らちが明かない気がした。コーヒーが運ばれてきて、俺たちは同時に口をつけた。千晴はのほほんと言った。


「いやあ、メガネが割れなくて良かったです」

「そっちの心配かよ」


 さっきの出来事を、俺は何度も思い返した。千晴が本名を名乗った途端、あの男は血相を変えた。それが何を意味するのか、考えても考えても分からなかった。そして、俺は悔しかった。どうして千晴は教えてくれないんだろう。俺がうつむいていると、千晴は言った。


「別に、純を信頼していないから、言いたくないわけじゃありません。ただ、今まで一人で抱え込んできたことなので、まだ言う勇気が無いだけです」

「じゃあ、俺のこと信頼してんのか?」

「もちろんです。純は僕にとって特別ですから」

「お世辞はよせよ」

「本当のことです」


 しばらく、無言の時が流れた。他の客もいない、音楽も流れていない喫茶店は、とても不気味だった。店員の女の子は、あくびをしながらスマホをいじっていた。俺はゆっくりとコーヒーを飲んだ。

 俺は二本目のタバコに火をつけた。千晴は頬を冷やしながら、スマホをいじりはじめた。そして、フフッと笑いをこぼして言った。


「モエとはもう、終わりましたよ」

「そっか」

「僕が女の子を寝取り続ける理由。それは必ず話しますから」


 俺は唇を噛んだ。そして、赤くなった千晴の頬にそっと手をあてた。彼は言った。


「男前が台無しですね?」

「自分で言うなよ」


 顔を見合わせて俺たちは笑った。千晴が必ず話すと言うのなら、俺は待とう。彼は俺の事を特別な存在だと言ってくれた。俺だってそうだ。だから待とう。それが俺たちの信頼の証だから。

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