18 ホワイト・レディ
一月三日。まだ正月気分が抜けない街中を、俺は歩いていた。
楓とは、軽く腹ごしらえをしてから行こうということで、前に行ったラーメン屋に向かった。今度は混んでいて、二十分ほど並んだ。年が明けたとはいえ、楓の態度はいつも通りだった。おめでとうの挨拶はラインで済ませたから、それに言及することもなかった。ラーメンを食べている途中、俺は尋ねた。
「どうして千晴の店行く気になったの?」
「なんとなくね。そろそろ、いいかなぁって」
楓は普段と変わらない服装だった。黒のニットに、黒のスキニーデニム。俺は白のシャツに黒いカーディガンを羽織っていた。パーカーとかだと、ショットバーという場では浮きそうな気がしたのだ。
地図を頼りに、店に着いた。地下一階にあるらしい。階段の側には、メッセージボードが置いてあり、「Meteolight」という店名と、季節のカクテルの名前が書かれてあった。俺は緊張した。楓と一緒じゃなかったら、とてもこの階段を降りる勇気がなかっただろう。
扉を開けると、目に入ったのは、大量のボトル、ボトル、ボトル。天井にまで積み上がっていたし、カウンターにも飛び出していた。ウイスキーのボトルが多いな、と素人目にも分かった。白いシャツに黒いネクタイを締め、黒いベストを着た千晴がそこに居た。
「いらっしゃいませ」
楓はすんなりと中央のカウンター席に腰かけた。他にお客は居ない。もう一人、三十代後半くらいの、黒髪をオールバックにしたメガネの男性がおり、彼がどうやらマスターのようだった。
「来てくれたんですね。ありがとうございます」
「おっ、千晴くんの知り合い?」
「そうです、
千晴は俺と楓におしぼりを差し出し、コースターと灰皿をカウンターに置いて言った。
「あけましておめでとうございます」
「うん、おめでとう」
「今年もよろしく。さーて、何作ってもらおうかな」
楓はぐるりとボトルを眺めて言った。
「僕はまだ、簡単なものしか許されていないんですよ。ビールとか」
「じゃあ、あたしビールでいいよ。純は?」
「俺もビールで」
「かしこまりました」
そう言うと、千晴はグラスを二つ取り、ビールサーバーでビールを注いだ。余分な泡を、長いスプーンですくいとり、コースターの上に置いてくれた。その一連の流れを、俺は凝視していた。鮮やかだ。
「お待たせしました」
俺と楓はビールで乾杯をした。千晴はミックスナッツの入った皿も置いてくれた。これがチャームというやつらしい。実は予め、調べてきていた。座っているスツールには背もたれがなく、自然と背筋が伸びた。俺はさりげなく店内を見渡した。狭いが、いい店だと思った。ボトルが並んでいる以外には、余計な装飾が無く、ここのマスターは本当に酒好きだということが分かった。話し始めたのは、楓だった。
「もう三日からお店開けてるんですね」
答えたのは、川上さんと呼ばれたマスターだった。
「この辺の店はまだ休みのところが多いんですけどね。うちは毎年三日からです」
楓が尋ねた。
「このお店っていつからあるんですか?」
「今年で十年目ですよ」
「節目の年ですね」
俺は千晴に話しかけた。
「千晴はいつから入ってんの?」
「半年経ったくらいです。ようやく、カクテルの練習をさせてもらえるようになりました」
「へえ、千晴の作ったやつ飲みたい」
「まだまだ、お客様にお出しできる腕ではありませんよ。川上さんなら、何でも美味しいものを作ってくださいますから、お願いしてみては?」
そう言って、千晴はちらりとマスターの方を見て微笑んだ。マスターは苦笑して言った。
「千晴くん、ハードル上げるなぁ」
「そんなつもりは無いですよ」
「あたし、シャカシャカするやつ見てみたいです」
楓がそう言うと、マスターは後ろを向き、ボトルを眺めて言った。
「そうだなぁ。強いのでも大丈夫ですか?」
「はい」
ビールを飲み終わり、楓のカクテルが作られることになった。俺は千晴が作ったものがいいと言った。ハイボールならできるとのことで、それを注文した。
「おおっ、シャカシャカ!」
楓ははしゃいだ。マスターは真面目な顔つきでシェイカーを振っていた。小気味良い音が店内に響き渡った。中から出てきたのは、白いお酒だった。
「ホワイト・レディです」
俺はこっそりと、スマホで検索した。カクテルには、酒言葉というものがあるらしい。ホワイトレディは「純心」。マスターは、このことを知っているのだろうか。きっと知っていて出したのだろう。
そして、俺の前には千晴の作ったハイボールと、デュワーズのボトルが置かれた。
「これ、飲みやすくて僕もよく飲むんですよ」
確かに口当たりがいい。妙な癖もない。一口で俺は気に入った。隣の楓も上機嫌でカクテルグラスを傾けていた。
その日は店で解散になった。どこかで楓の部屋に呼ばれることを期待していた俺は、ちょっぴり物足りなさを感じながら家路についた。
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