16 年末

 身体中に、千晴の感覚が残ったまま、俺は帰宅した。母親は、ソファで寝てしまっていた。ローテーブルの上に、空のコップとワインの瓶があった。飲めない癖に、一人で開けたのか。俺は母親を揺さぶった。


「母さん。起きてよ」

「あ……純ちゃん」


 母親は頭を押さえていた。痛むらしい。俺は鎮痛剤を探した。どこにも無かった。


「大丈夫だよ、純ちゃん」

「何が大丈夫だよ。鎮痛剤、無いなら買ってくるけど?」

「本当に大丈夫。だから、家に居て」


 昨夜は丸々空けてしまったのだ。さすがに罪悪感があった。俺はキッチンをあさった。レンジで作れる冷凍のうどんがあった。俺はそれを作って、母親に差し出した。


「食う?」

「ううん、要らない」

「じゃあ俺食うわ」


 うどんをすすっている間、母親は何も話さなかった。いつもなら、食器をそのままにしておくのだが、俺はシンクにそれを持っていき、洗い始めた。


「純ちゃん? どうしたの?」

「あー、これくらい、やっとかねぇとって思ってさ」


 今の母親に、千晴と暮らす話をしたところで、泣きつかれるのがオチだろう。俺は適当に濁した。あと二年で、俺はこの家を出る。それまでに、母親のことを何とかしないと。

 それからの日々は、バイト漬けで過ごした。イルミネーションの写真がちらほらきた。こうしてわざわざプリントするような人たちは、よほどの写真好きか、子持ちかのどちらかだ。駆け込みで、年賀状の依頼もきた。質がそこそこでいいのなら当日中にできる。

 大晦日まで、俺は働いた。龍介さんも一緒に閉店作業だ。明日は父親の実家へ行かなくてはならない。それが憂鬱だった。それが顔に出ていたのか、龍介さんがこう声をかけてくれた。


「純くん、メシ行く? 忘年会ってことで」

「いいっすね」


 俺は母親にラインを打った。予想していたのだろう。了解、とだけ返ってきた。それから、俺と龍介さんは焼鳥屋へ向かった。


「かんぱーい!」


 店は混んでいた。年末のこういう賑わいはいい。俺たちはカウンター席に通されたのだが、ボックス席の団体客が、どわっと大声をあげながら飲んでいた。


「龍介さん、今年一年お疲れさまでした」

「純くんもお疲れ。年賀状、前年より増えたから、店長喜んでたよ」


 しばらくは、バイトの話をしていた。俺ももう二年目だ。店のことは大体わかるようになっていて、店長も本部との板挟みでしんどい思いをしていることを理解していた。ビールが三杯目になり、俺は龍介さんに聞いた。


「帰省とかしないんすか?」

「おれはしないよ。面倒なんだよなー、親戚付き合い。この歳で独り身だろ? 行ったら色々言われんの」

「俺は父親の実家に行きますけど、本当に面倒っすよね」


 それから、話は龍介さんの結婚についてのことになった。


「おれさ、二十代のときに婚約者居たの」

「マジっすか」

「色々あってダメになったけどね。写真サークルの後輩の子でさ。未だにその子のことグチグチ言われんの」

「それは大変っすね」


 俺も、就職していい歳になれば、結婚がどうだとかとやかく言われるのだろう。祖父母にとっては唯一の孫だし、期待をかけられているのは分かっている。けれど、結婚なんて遠い話のように思えた。好きになった女の子にはその気が無い。男友達と一緒に住む約束をしている。これじゃあ、龍介さんのように独り身になるんだろうな、と俺は思った。龍介さんは続けた。


「まあ、親の後始末はキッチリつけたいから、親より先には死なないつもり。とか言いながら、タバコ吸ってんだけどな」


 龍介さんは、自分のタバコの箱をトントンと叩いた。俺は言った。


「子供が先に死ぬのは絶対ダメっすよね。まあ、事故とかなら仕方ないですけど」

「だよな。せいぜい病気しないように、オジサンもそろそろ気ぃ使うわ」


 そう言って、龍介さんは枝豆を食べた。俺もつられて手を伸ばした。龍介さんは聞いてきた。


「それで? 純くんは、例の彼女とは進展あるの?」

「たまに誘ってくれますけどね。クリスマスは、断られました」

「じゃあ、イブの日とかどうしてたの? バイト休んでたけど」

「男だけで過ごしてましたよ」


 千晴とのことは、言えなかった。俺だって、どうしてあいつとキスをして、一晩過ごしてしまったのか、よくわからなかった。酔った勢いにしては、俺、積極的すぎだろ。ただ、千晴は他の男友達と何かが違う。そんな気がしていた。俺は嘘を並べた。


「一人暮らししてる奴の家に行って、宅飲みしてました」

「へー、いいなぁ。宅飲みとか懐かしい」

「龍介さん、一緒にします? 部屋呼んで下さいよ」

「おっ、いいぞ。また今度な。片付けとく」


 帰宅すると、母親はもう寝ていた。明日は早い。俺もさっさと寝よう。カウントダウンなんて、する気が無かった。ただ、楓はどう過ごしているのか、それが気にかかった。

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