13 甘ったるい一日

 それから、週に一度のペースで楓からお誘いが来た。俺からは誘うことは無かった。講義を受け、バイトに行き、その合間に彼女の部屋に行った。その日は宅飲みがしたいとのことで、俺はビニール袋いっぱいに酒とつまみを入れ、インターホンを押した。


「よっ、純」


 黒いパーカー姿の楓が顔を出した。キッチンからはソースのいい匂いがしていた。俺は尋ねた。


「何か作ってくれてるの?」

「うん。焼きそば。普段は料理なんかしないんだけどね」


 ローテーブルの上に、俺は買ったばかりの缶ビールと缶チューハイを並べた。何度かここを訪れる度、楓の好みは分かってきた。彼女は焼きそばを皿に盛りつけ、出してくれた。


「足りなかったら追加でかけて」


 楓はソースをどんと置いた。一口食べたが、確かに少し物足りない。俺はソースをかけ、かきこんだ。


「美味い」

「ありがと」


 ここで過ごすときはいつも無音だ。そもそも楓の部屋にはテレビが無かった。何か映画を観たいときは、ノートパソコンで観るのだという。食べ終わり、片付けもそこそこに、俺たちはセックスをした。狭いシングルベッドの上で寝転がりながら、俺は楓に聞いた。


「もうすぐ冬休みだけど、帰省とかするの?」


 楓はふるふると首を横に振った。


「どうせ帰っても父親しか居ないしね」

「そっか」


 俺はというと、正月に父親の実家に顔を出すことになっていた。まだ父方の祖父母は生きていた。叔父や叔母も集まるだろう。それは俺にとって気の重いことではあったが、毎年恒例だから仕方がない。そして。俺は思い切って言った。


「楓、クリスマスは? 予定ある?」

「ある。一人で映画観て過ごす」

「……うん、そっか」


 他の男と過ごすのなら、楓は正直にそう言うだろう。本当に一人で過ごしたいらしい。ならば俺も水をささないでおこう、とこの話題は打ち止めにした。服を着てタバコを吸い、そろそろ帰ろうかと思ったとき、楓が言った。


「純。今夜は泊まってよ」

「いいのか?」

「うん」


 俺は母親にラインを打った。友達の家に泊まってくる。ただそれだけだ。母親からは既読がつかなかった。もう夜の八時だが、まだ仕事なのだろうか。俺は床に座り、新しい酒を開けた。楓は食器を片付け始めた。

 女の子と二人きりだというのに、俺は別なことを考えていた。父親のことだ。彼の命日はクリスマス・イブ。この日が近付く度、母親はぐっと不安定になる。俺だってそうだ。ジングルベルが街で聞こえてくると、怖気がする。だから、楓と過ごしたかったのだ。いや、楓でなくてもいい。誰か、母親以外の人と過ごしたい。

 そんな物思いにふけっていると、楓がちょこんと俺の隣に腰をおろした。


「何難しい顔してんの?」


 そう言って、俺の頬を人差し指でつんとつついた。


「俺だって、色々考えたくなることあるの」

「ふーん」


 それから、楓は俺のピアスを触りだした。まだまだピアスは定着していない。彼女の指は、耳たぶから顎を伝い、唇へと伸びてきた。俺は彼女の指をくわえた。そして、俺も彼女の口に指を突っ込んだ。彼女は唾液をからめ、俺の指を吸った。

 二人ともが指を離し、俺たちはしばし見つめ合った。彼女の明るい茶色の瞳を見ていると、吸い込まれそうな感覚に陥った。余計な言葉は必要無かった。彼女は缶チューハイを一口含み、そのままキスをしてきた。口内の中身がどろりとなだれこんできた。ソーダ味だ。俺はそれを飲み込んだ。彼女は悪戯っぽく微笑んで言った。


「美味しい?」

「うん」


 楓は俺の頭を撫でた。俺のスマホが振動した。それに構うことなく、俺はキスの続きをした。彼女の舌を追い詰め、息も満足にできないように。それが彼女の好みだということを、ここ何回かの交わりで熟知していた。ようやく唇を離すと、彼女は言った。


「今夜はあたしが寝るまで起きててよ? 先に寝たら許さない」

「わかった」


 それから俺たちは一緒にシャワーを浴びた。楓と同じ石鹸を使うことがたまらなく嬉しかった。同じ匂いになれる。俺たちは、互いに身体を洗い合った。そしてそのまま、髪もろくに乾かさず、今日二回目のセックスをした。

 ベッドでぐったりとした楓は、もうそのまま寝てしまいそうだった。俺は彼女に毛布をかけ、トントンと背中を叩いた。くふっ、と彼女は笑った。そのまま叩き続けていると、彼女は本当に眠ってしまった。俺は服を着て、ベランダに出た。


「はぁ……」


 幸せなのに。こんなに甘ったるい一日を過ごしたのに。大きなため息が出る。俺はタバコに火をつけた。いつもの匂いがまとわりつき始めた。落ち着く。部屋に戻った俺は、ぬるくなった缶ビールを飲み干し、スマホを見た。母親から、早く帰ってくるようにとラインが来ていた。

 それから俺は、ベッドにあがり、裸のままの楓を抱き締めた。今は。今だけは。俺だけのものだから。けれど、どうしても、千晴のことが浮かんだ。彼はどうやって楓を抱くのだろうか。俺が思い出していたのは、初めて夜を過ごしたときの、彼の手の柔らかい感触だった。

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