12 ボルドー・ネイル

 バイトとレポートに忙殺され、一週間が過ぎた。やっとの思いで締め切りギリギリにレポートを提出し、俺は校内の喫煙所で一息ついていた。


「あっ、純」

「よう、千晴」


 今日もにこやかに挨拶をしてくる美男子は、ぴったりと俺の横に立ってきた。少々混んでいたのだ。俺は言った。


「やっとレポート提出できてさ。ホッとしてるとこ」

「純、これから空いてます? 僕空きコマなんです」

「帰るとこだったけど、いいよ。付き合う」


 俺と千晴は経済学部のカフェテリアに行った。この大学は学部ごとにカフェテリアがある。ここに来たのは初めてだった。


「へえ、ちょっと品揃え違うのな」


 俺はメニューを眺めた。千晴が言った。


「僕はキャラメルラテにします」

「俺はブレンドコーヒーでいいや」


 俺たちは二人がけの席に向かい合って座った。またも、女子たちの視線が千晴に注がれているのがわかった。綺麗な顔に産まれるというのも大変そうだ。


「純は最近、楓とは会っていないんですか?」

「うん。ピアスをあけてもらった以来は特に」

「僕の方も、めっきり誘いが減りましたよ」


 楓のことなら、ずっと気になっていた。こちらから連絡しようにも、どうすればいいのか分からなかった。俺と彼女は付き合っているわけじゃない。あまり連絡しすぎて、がっついているとも思われたくなかった。


「純のこと、楓はけっこう気に入っているみたいですよ」

「本当に?」

「僕からはそう見えます」


 すると、俺のスマホが振動した。画面を見た。


『今日暇?』


 それだけだ。俺は飛び上がって喜びたい気分になったが、抑えた。そして、千晴に言った。


「楓からお誘いきたわ」

「ほらね? やっぱり気に入られているんですよ」

「そうだといいけど」


 俺は楓に暇だと送り、返信を待った。やりとりの後、居酒屋に行くことになった。俺が楓とラインをしている間、千晴も何やらスマホをいじっていた。俺は気付いた。


「あれ? 千晴、スマホ替えた?」

「いえ、これはもう一台の方です」

「お前二台スマホ持ってんの?」

「そうですよ」


 どういう使い分けをしているのかは聞くまい。それから、俺と千晴は勉強の話をして、時間になったので千晴は席を立った。俺は楓との待ち合わせまで、もう一杯コーヒーを注文し、ここで時間をつぶすことにした。

 楓とは、直接居酒屋で合流した。彼女は黒のもこもこのブルゾンを着ていた。


「よっ、楓。久しぶり」

「うん。今日はいっぱい飲もう」

「今日も、だろ」

「あははっ」


 子供っぽい笑顔を見せ、楓は肘で俺の腰をつついてきた。うん、可愛い。まずは一杯目のビールを頼んだところで、俺は彼女の爪が深い紅色に染まっているのを見た。


「これ、香織ちゃんにしてもらったんだ」


 あいつ、本当にネイルをしに行ったらしい。女の子同士の気安さもあるだろうが、そういう行動に出られることが羨ましい。俺は言った。


「うん、似合うよ」

「でしょ? ネイルなんて初めてだったけどね。ハマりそう」


 ビールジョッキが運ばれてきた。俺と楓は乾杯した。エイヒレのマヨネーズにたっぷりの七味をかけ、楓は言った。


「あたし、女友達居ないんだよね。女の子って鬱陶しくってさ。でも、香織ちゃんみたいなタイプは別だな。ああいう子、好き」

「俺も香織、っていうか香織と雅紀のカップルが好きだな。あいつら見てると飽きねぇもん」

「ふふっ、雅紀くんのぶっちゃけ話も色々してもらったよ。楽しかった」


 香織はどのくらいぶっちゃけたのだろうか。雅紀が可哀想だから、聞かないでおこう。俺は話を変えた。


「そういえば、楓ってバイトとかしてんの?」

「ううん、してない。仕送りなら十分貰ってるし、お金の使い道といったら酒くらいだしね」


 ゴクゴクとビールを飲み干し、楓は二杯目を要求した。俺も慌てて自分の分を飲んだ。楓は聞いてきた。


「純は写真屋さんでバイトしてるんだっけ?」

「そうだよ。仲のいいフリーターの人がいてさ。けっこう楽しくやってるよ」

「へえ。そういうのもいいね」

「うん。他の年代の人と交流できる機会って他にないと思う」


 楓は机に肘をついて手を組み、その上に顎を乗せて言った。


「あたしもバイト、始めようかなぁ……」

「いいね。どういうのがいい?」

「ピアスオーケーのとこ」

「あー、そうなると飲食とかはキツいかもなぁ」

「そもそも接客やりたくない」

「となると、けっこう限られるぞ?」


 そんな話をしながら、俺と楓は三杯飲み、さも当然かのように楓の家へ向かった。

 玄関で、靴も脱がないまま、俺は楓にキスをした。彼女は小さく笑った。そして、ボルドー色に染まった爪で、俺の頬を引っ掻いてきた。

 それから、次々と服を取っ払い、激しいセックスをした。全身が楓で満たされていく、この感覚。俺はもう、逃れられない。これは恋なのか、劣情なのか。それすらもわからない。落ちるところまで落ちてやる。

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