10 ピアス

 翌日、俺は四限目が終わるのを今か今かと待っていた。香織と雅紀も一緒に授業を受けていた。船を漕ぐ香織を、雅紀が起こそうとしていたが、無駄だった。後から雅紀にノートを写させてもらうんだろうな。

 俺ははやる気持ちを抑えながら、喫煙所へ行った。楓はまだ来ていなかった。震える手でタバコを取り出し、火をつけた。すると、千晴が現れた。


「こんにちは、純」

「よう、千晴」


 どうせ楓も来る。取り繕うのも変だろう。俺は千晴に正直に話した。


「今日、楓にピアスあけてもらうんだ」

「そうですか。僕はそういうの、こわくて無理ですね」


 千晴の白い耳たぶを俺は見た。ピアスとか、似合いそうなツラなのにな。一本目のタバコを吸い終える頃、楓が来た。


「悪い。待った?」

「ううん。別に」

「……って千晴も一緒かよ」


 楓は俺と千晴の顔を交互に眺めた。それから、タバコに火をつけた。俺ももう一本、取り出した。千晴が言った。


「ピアスをあけてあげるんですって?」

「そうだよ。純、どんなの買った?」

「これ」


 俺はリュックから紙袋を掴み、中を見せた。楓は目を細めた。


「へえ、いいじゃない」

「本当に痛くないよな?」

「大丈夫だって」

「じゃあ、僕はこれで」


 千晴が喫煙所を出て行った。俺は楓に着いて、彼女の家まで行った。


「うわっ、またチラシ溜まってる」


 集合ポストで、楓はチラシの束を引き抜いた。カラン、と音がして、何かが床に落ちたのが見えた。俺はそれを拾った。鍵だった。


「純、ありがとう」

「これ何の鍵?」

「ここの合鍵。忘れたときにすぐ取り出せるようにと思って」

「不用心だなぁ」


 そんな会話をしながら、二階の楓の部屋まで階段を上った。中に入り、俺がダウンジャケットを脱ぐと、楓はそれをハンガーにかけてくれた。そして、俺は床の上に座った。ローテーブルには、消毒液と脱脂綿がすでに置かれていて、彼女が準備万端だということがわかった。後は、俺の決意だ。俺は尋ねた。


「どんな感じ? やっぱりチクッとする?」

「多少はね。でも本当に一瞬だから」


 楓は俺の耳たぶを消毒し、ピアッサーの封を開けた。俺は思わず目を瞑った。彼女がプッと吹き出すのが聞こえた。


「純ったら、こわがり」

「うるせぇ」


 両耳のピアスをあけるのは、あっという間に終わった。拍子抜けだ。俺は一度立ち上がり、廊下にある姿見のところへと行った。黒いピアスが輝いていた。そっとそれを触った。冷たく、硬い感触だった。


「うわぁ、本当にあいてる」


 俺が言うと、鏡越しに見える楓はニッコリと微笑んだ。


「似合ってるよ」


 そして、俺の頭をくしゃくしゃと撫でてきた。


「よく頑張りました」


 俺と楓は、呆れるくらい長いキスをした。彼女は時折、あけたばかりのピアスを触ってきた。俺は、彼女と一つでも共通点ができたことで、優越感のようなものを感じていた。ベッドに行き、貪るように彼女を抱いた。

 これでいいんだ。

 今、この時だけは、俺が楓を独占できる。彼女が腹の中でどんなことを考えているのか、実際のところなんか構わない。彼女が今、触れ合っているのは、この俺なのだ。抱き締める腕の力が強くなった。彼女は小さく呻いた。俺はそれが聞こえないフリをした。


「……何か飲むもの、いる?」


 全てが終わった後、楓は俺の顔を覗き込んで言った。


「そうだな。冷たいもの、飲みたい」

「水取ってくる」


 楓は冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを取り出した。フタを開け、俺に一口飲ませた後、自分でもゴクゴクと飲んでいた。ぷはぁと息をつき、彼女は叫んだ。


「あー! タバコ吸いたい!」

「吸おうか」


 俺たちは服を着て、ベランダに出た。もう陽がすっかり傾いていた。俺は大きくタバコの煙を吸い込んだ。喫煙者の女の子はいい。セックスの後のタバコは最高だ。楓が尋ねてきた。


「純、夕飯どうする?」

「考えてなかった」

「ラーメンでも食べに行かない? 近所に美味しいとこあるの」

「いいよ、行こっか」


 そうだ、また母親に連絡しておかないと。俺はラインを打った。了解、とだけ返ってきた。楓の案内で、カウンター席しか無い狭いラーメン屋へ行った。白湯スープの店だった。俺は大盛を頼んだ。


「おっ、確かに美味いわ」


 俺がそう言うと、楓はしたり顔だった。


「でしょ? 本当ならここ、けっこう並ぶんだよ。今日は空いててよかった」

「そうだな」


 俺たちはそのまま、ラーメン屋を出て駅までの道で別れた。楓の姿が見えなくなってから、俺はピアスを触った。彼女に証を刻まれたようで、とても心地よかった。帰宅すると、母親はすぐにこのことに気付いた。


「純ちゃん、それ……」

「うん。友達にあけてもらった」

「そう」


 それ以上、母親は何も言ってこなかった。本当は言いたいことがあるだろうに。俺は彼女の視線を無視して、シャワーを浴びた。

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