03 夜を越えて
千晴は酒に強い方らしかった。二杯目のハイボールを作り、ニコニコと床に座った。俺は聞いた。
「なあ、床で寝るしかない感じ?」
「ですね。僕も泊まるときはいつも床です。そうだ、ブランケット出しましょうか?」
クローゼットを開け、千晴はブランケットを渡してくれた。この手慣れた感じが何とも腹立たしいのだが、俺も彼も楓にとってはただのセフレだ。無駄に張り合わないでおこうと俺は決めた。ブランケットをたたんで枕にして、俺は床に寝転がった。千晴が聞いてきた。
「純はバイトとかしてるんですか?」
「写真屋でバイトしてるよ」
「へえ。カメラとか好きなんですか?」
「いや、全然? 時給の割に楽だからやってる」
地元の写真屋はとても暇だ。お客のいないときは、無駄話をして過ごしている。人間関係も悪くなく、大学を卒業するまであそこにいようと思っている。俺は千晴に尋ねた。
「千晴こそ、何かバイトしてんの?」
「ショットバーで。ほんの手伝い程度ですけどね」
こいつ、この顔でショットバーとかお洒落なところで働いてるのか。ダメだ、自尊心がどんどん削れていく。千晴は続けた。
「大学の近くですよ。純も来てください。場所、送りますから」
千晴はラインを送ってきた。俺はそれを確認した。店の名前は「Meteolight」とあった。俺は尋ねた。
「これ、何て読むの?」
「メテオライトです。カウンター十席の店ですよ。純はショットバーって行ったことありますか?」
「いや、ない」
「じゃあ、楓と来ては? 楓、一回も来てくれてないんですよ」
なんでそうなるんだ。俺はあくびをした。千晴は構わなかった。
「マスターもいい人ですし、肩肘張らずに過ごせると思いますよ」
「じゃあ、いつかな」
俺は適当な返事をした。千晴はまた、チョコレートに手を伸ばした。このまま寝てしまいたいのだが、どうにも眠りがおりてこない。千晴も同様のようで、なおも話をしたがった。
「純はなぜ商学部に?」
「就職に有利かなーって思って選んだだけ。特に意味はねぇよ」
「僕も似たような理由です。嫌ですよね、就活。もっとのんびり大学生やっていたいです」
俺は楓の方をちらりと見た。うつ伏せの姿勢のまま、よく眠っていた。
「楓は何で文学部なんだろうな?」
「さあ。聞いたことないです。レポートを書くのは得意だから楽だとは言っていました」
「へえ、俺はレポートの方が苦手。テストの点なら取れる」
「僕もです」
それから、話は入試のことになった。
「そっか。千晴も一般入試組か」
「推薦枠が元々無かったので。まあ、勉強は得意でしたから、苦労しませんでしたけど」
「俺なんてけっこう無理したぞ。現役で通って良かったよ」
まるで大学入学当初の普通の会話だな。知り合ったきっかけが少々、いや、かなりおかしいけど。それから俺たちは、勉強の話をした。俺も千晴も、講義にはまあまあ真面目に出る方で、単位も申し分なく取れているということがわかった。
「純とは何だか気が合いますね」
千晴は微笑んだ。穏やかな月のような笑顔だ。これに数多の女の子たちがひっかかっているのかと思うと、一発くらいぶん殴ってやろうかという気になってくる。
しかし、気が合う、というのは確かだった。こんな滅茶苦茶な出会いではあったが、千晴のことを嫌いにはなれない自分がいた。俺はスマホを確認した。もう二時だ。
「千晴、そろそろ寝ようか」
「そうですね」
よっこいしょ、と千晴はローテーブルを脇に寄せた。そして、メガネを外し、俺の隣に横になった。まあ、そこしか場所が無いから仕方がないんだが……近い。楓を抱き締めて寝ようと思っていたのに、どうしてこうなった。
「純」
「なんだ」
俺は目を瞑ったまま返事をした。
「これからも仲良くしてくださいね。僕、男友達少ないので」
女友達なら多いという嫌味だろうか。いや、短い間に分かったが、こいつはそんな回りくどいことをする奴ではない。本当のことなんだろう。俺は優しく答えてやった。
「まあ、よろしくな」
「ありがとうございます」
千晴の熱が伝わってきた。手を握られたらしい。俺は何となく、それを握り返した。フフッ、と千晴が笑い声を漏らした。
「払いのけられるかと思いました」
「まあ、俺も酔ってるし眠いし、頭回ってないんだわ」
そのまましばらく、手を握っていると、千晴は寝息を立て始めた。俺は目を開けて彼の寝顔を見た。彫刻のようにくっきりした目鼻立ちだ。俺とは顔のタイプがまるで違う。
楓はなぜ、俺の誘いに乗ったのだろう? 男なら誰でも良かったのか? でも、既にこんな綺麗な顔のセフレが居るのに? 疑問は尽きなかった。
考えている内に、ようやく意識が遠のいてきた。そして、俺は夢を見た。父親が出てきた。父親は、家で缶ビールを飲んでいた。ただそれだけの夢だった。
作者より
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