鐘人の王

篠崎れもん

鐘人の宴

2023年10月4日 さくらテレビにて、神田グループ会長、神田正徳氏の手書きのメッセージが、同日19時15分からの約15分間、彼の副音声と共に公開された。当日の視聴率は10%未満であったが、公開後、このメッセージは瞬く間に人々の間で話題となった。


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拝啓、鐘人(しょうじん)の皆々様へ。


~祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵におなじ。~


『平家物語』をご存知だろうか。平安時代後期、かの有名な鎌倉幕府が始まる直前期、日本では武士が国家権力として台頭し始めた。その頃の武家の中でも他を圧倒し、この世の全てを1度は掌握した男、平清盛。彼とその一族である「平家」は、政治権力を束ね、あらゆる豪遊を尽くし、京の都を我がものとした。「平家に在らずんば人に在らず。」人々は平家の名に伏した。

しかし、先述の通り「平家」もその後「源氏」によって壇ノ浦で滅ぼされ、源頼朝によって鎌倉幕府が成立した。

話を戻して『平家物語』は、かつて華中にあった「平家」を中心に描いた物語である。「祇園精舎の鐘の声…」で始まる句は「平家」隆盛をよく表現している。

和鐘は通常、銅と錫の合金である青銅を用いて作られる。青銅を型にはめて部品複数作り、それらを接合することで完成する。それが木槌によって打たれて生まれる重音、身体を振動が響き渡るあの感覚。しかしその重音さえも、たちまち無音へと変わっていく。この儚さは美しいだろうか。そんなことは心底どうでも良い。

金に童と書いて「鐘」と読む。「金」はここでは金属の意。「童」は幼い子どもという意味もあるが、元々は目を貫かれたことで視力を奪われた「奴隷」のことを指す。「鐘を撞く(つく)」という言葉があるように、「撞くことで音が発生する金属の塊」。鐘の語源はそのようなところだ。

ところで、「この世は金が全てだ」とは思わないだろうか。厳密には「現世は」と言うべきだろう。「この世は愛が全てだ」という意見もある。よくその2つの意見を持つ人々が対立しているのを見てきた。ならば、金の対極は愛か。

現世の愛は金で育まれている。恋人と会う為には金が要る。食事しかり、映画しかり、買い物しかり、行為に必要な付け物も、みな全て金の管轄下であり、それらを入手する為には金が必須である。食事の代金とは食事そのものの代金ではなく、「恋人と食事をしている空間」に支払う代金である。以下同様、恋人と共に時間を過ごす為には金が必要だ。逆に金に愛は必要ではない。愛は人を錯乱させ、金を稼ぐ行為を阻害することがある。逆に「愛を営むために稼ぐ人」は「金で造られた愛のために稼ぐ人」だ。故に、金の対極は愛ではない、と言うより対極など「存在し得ない」。この世の全ては金だ。

人に命を与えるのは神か。神は守銭奴の創造主なのか。金で得られる食事で命を賄い、金を得るために働く。億万長者と呼ばれる私のような人々は働く必要がなくなる。金で金を稼ぎ娯楽に生きることができる。しかし、娯楽には金が必要でその金は金によって生み出されている。現世の人々は金に縛られて生きている。私達は皆等しく「鐘人」だ。

「鐘人」とは私が作り上げた造語、ここでの「金」は金銭の意。「童」は盲目の、というより「盲目に近い」奴隷の意。金に眩まされた奴隷。「鐘人」とは、金に支配された奴隷のこと。

そして私は「鐘人の王」を決めるべくしてゲームを開始する。ゲームの脱落者は、残念ながら死んでいただく。しかし、あらゆる強者を出し抜き、王となった者には、私の財産から5000億円を差し上げよう。

皆々様のゲームへの参加を請い願う。


敬具 2023年10月4日 神田正徳



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