第38話
黒野の相談を聞いてから三日が経った。
現在は木曜日の放課後。放送室で話しをしてからも黒野は、生放送の当日に備えてアドリブの訓練は続けていた。
俺たちが用意した質問やリクエストに答えるという名目で、さながらお便りも貰ったパーソナリティーのようにこなしていた。たぶん、当日もパーソナリティーとの会話はこなせるだろう。
大勢の前で話せるようになりたい。というのが黒野の相談だったが、それはまだ解決できていない。
高校生が大勢の前で話しをする機会なんてのは限られている。教室で何かを発表する時くらいだ。だけど、黒野は教室では話しをする相手がいないようだ。そんな黒野に、いきなりクラスメイトの前で話しをしろ。なんて事は言えない。
放送室での一件以降、同じことクラスの木下とは話すようになったみたいだが、それはあくまで、クラスに打ち解けるための一歩目といったところだ。
そこからクラスに馴染んでから、クラスメイトの前で話せるようになる。それが黒野にとって負担の少ない克服の仕方だと思う。
「やっぱ……当日に手助けが必要かな」
木製の長椅子に腰掛けながら、独り言を呟く。
俺は今、黒野が生放送を行うショッピングモール内の特設スタジオの前にいる。
学校が終わって、当日の下見がてらこの場所を見に来た。
特設スタジオのブース内は、内側のカーテンで遮られており、中を覗けるはずのガラス張りの面には、ベージュの布しか見えない。
収録を行う時以外は、いつもこうなっているようだ。
黒野は明日、この場所で公開生放送を行う。辺りを見回すと、収録もイベント等も開催されていないにも関わらず、十人ほどの人が長椅子に腰掛けている。
休憩するために座っているだけだろうが、平日にも関わらずこれだけの人が集まっている。
恐らく、当日は公開生放送を目当てで集まる人もいるだろうから、今よりもさらに人は増えるだろう。
放課後に山下先生を説得しに行った時の事を思い出す。
『苦手を克服するためには、時に背中を押してあげる事も大事よ』
その言葉は、たぶん正しい。
泳げない人に、水中に潜るのをためらうのを後押しするように、時には強引なやり方も必要な事もある。
だけど、もしも泳げない理由がトラウマによるものだとしたら話しは別だ。
過去に溺れた経験がトラウマになっていれば、水中でパニックを起こして、さらにトラウマを強めて克服から遠ざかる事もありうる。
山下先生が黒野にしている事は、それと同じように思う。
『黒野さんは、苦手を克服するために放送部に入ったのよ。だったら、その手助けをするのが教師の役目でしょ』
山下先生なりに、黒野のためを思っての発言だろうが……何故、他にもやり方があるのに、それが正解のように押し付けるんだ。
長年教師を続けてきた経験がそうさせたのか知らないが、黒野にとって適したやり方があるはずなのに。
特設スタジオを眺めながら、山下先生に対して憤りすら抱きはじめてきた。
「とうとう明日だね」
座ったまま一人で黙り込んでいると、聞き覚えのある声が飛び込んできた。
「彩也香?」
俺が腰掛けている長椅子の隣に、彩也香がいつの間にか座っていた。
「何でここに?」
「バスからけいちゃんを見かけたから、一個先のバス停から戻ってきたの」
「わざわざ戻ってきたのか?」
ショッピングモールの前にもバス停があり、その近くにショッピングモールの駐輪場がある。たぶん、そこに自転車を駐めている時に俺を見つけたんだろう。
「このタイミングで、一人でこんな所にいるんだもん。きっと、明日の事考えてるんだろうな~って思ったんだけど……合ってるでしょ?」
「だからって、バス停通り過ぎてまで戻ってくるか?」
呆れ顔で隣に座る彩也香に視線を送る。
笑顔を浮かべたままの彩也香は、俺を見つめたまま言葉を返した。
「けいちゃん……何か企んでるでしょ?」
その言葉には、確信めいた意思を感じた。
「なんで……そう思う?」
企んでいる。そう言われると否定はできない。それは、黒野から相談を受けたと時、俺は『勝手に動く』そう言ったからだ。
「そうだな~……まず、黒野さんの相談を解決するために、大勢の前で話す機会を与えなかった事と……後は、けいちゃんだからかな?」
人差し指を顎にお当てながら、考える素振りをしながら話す彩也香。
「前半はともかく、後半の理由はおかしいだろ。なんだよ、俺だからって」
俺がそう返すと、彩也香はクスクスと笑いだして言葉を返した。
「けいちゃんって、昔から他の人と考え方が違うから」
「なんだよそれ。馬鹿にしてる?」
「してないよ……覚えてる? 小学生の時の運動会」
「運動会?」
話しの流れからして、場違いなフレーズが出てきて、思わず首を傾げながら答える。
俺の反応を見て、彩也香は過去を思い起こすように語りだした。
「小学校六年生の時、クラス対抗でリレー走したよね?」
「あぁ……あったな」
「私とけいちゃんは同じクラスで、結果は負けだったの――」
そうだ……思い出した。
確か……走るのが苦手な女子が転んで、そのせいで負けたとクラスの雰囲気が最悪だった事があった。
「――転んだ女の子が、目立ちたがりな男の子から責められてる時、私がどれだけなだめても全然収まらなくて、責められてる女の子も泣き出しそうになってたの――」
彩也香は、当時から面倒見が良かった。というより、お人好しだったな。
女子を責める男子相手に、クラスで一人だけかばっていたっけな。
「――私もどうすればいいか分からなくて、凄く困ってたけど、けいちゃんがそれを解決してくれたんだよね……その時の事、覚えてる?」
「確か……俺が責めてる奴を褒めたんだっけ?」
「そうそう、その時のけいちゃん、男の子に『カッコよかったぞ』って急に褒めだしたの」
そうだ……そんな事があったな。
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