あなたが好きなのは右のおっぱいですか?それとも左のおっぱいですか?

立入禁止

あなたが好きなのは右のおっぱいですか?それとも左のおっぱいですか?

 私には長年の幼なじみがいる。家は隣同士、同い年、保育園、小学校、中学校、なんなら今通っている高校も同じだ。

 そんな幼なじみは少々頭が弱い。勉強が出来る出来ないの問題ではなく頭が湧いているのだ。

 今だって……。

「結衣が好きなのは右のおっぱいですか? それとも左のおっぱいですか?」

 夕暮れ時の放課後。委員会が遅くなると言っていた千紘を置いて帰ろうとしたら、「待ってて」と半泣きで縋り付いてきたのだ。なんだかんだと千紘に甘い私はため息をつきつつ待っててあげることにしたのが一時間前。その間、待ちくたびれて机に伏せって寝ていたら、委員会が終わった千紘に起こされたのが五分前。そして、わけの分からない質問をされているのが今だ。

 その口振りに、昔見た絵本を思い出した。あれは確か、斧だったなと。

 ちらりと幼なじみを一瞥した。右手で右乳を持ち上げて、左手で左乳を持ち上げている。それに加えてドヤ顔の千紘に若干の苛立ちを覚えた。

 こいつは毎回なんなんだ。頭が痛い。

「はぁ……」

 深く深く息を吐く。

 結衣、落ち着け。私がここで取り乱れたら相手の思うつぼだ。現に幼少期にはここまでではないが、千紘のこういう突拍子のない行動に幾度となく動揺して笑われてからかわれていたではないか。

 そのうち、耐性がついて慣れてきたのもあるが、まともに取り合ったら駄目だということを学んだ。

「結衣はどっちのちっちーが好き?」

 右、左と持ち上げてくねくねと近づいて来る千紘を避けつつ鞄を持ち席を立つ。

「バカなこと言ってないで帰るよ」

 先に教室の扉まで行けば、「まってよぉー」と情けない声で着いてくる千紘の声を後ろに聞き、下駄箱まで歩いて行く。

「あーん、結衣ちゃんがかまってくれなぁい」

 階段の踊り場で追いついた千紘は、泣き真似をしながらも、ちらっちらっと、私の様子を伺っているが無視だ。

 下駄箱で靴を替えて学校を後にする。隣で今日あった事を一から話し出す千紘の言葉を右から左へと流していく。

 幼なじみの千紘は見た目は悪くない、と思う。本人からは聞いた事が無いが、高校二年目にして既に何度か告白されているようだ。勉強も出来ないわけじゃない。なんなら、勉強している私よりも成績がいい。たぶん、高校ももうワンランク上にいけた気がする。本人に言えば「そんなことないよぉ」なんて言っていたが、中学の頃、たまたま先生と千紘が話しているところに出合わせて聞いてしまった。もう一つ上を目指さないかと説得されているのを。

 このこのとは千紘には言ってないし、別に言うつもりは無い。何処に行くかなんて本人の自由だからだ。それに、どうせ聞いてもからかわれるだけだろう。

 ニタニタと笑いながら「結衣ちゃんは、私がいないとさみしいんですかぁ」って言ってくるに違いない。

 見た目も頭も悪くないのに。別の意味で頭が悪い。ギャップ。そういうところがまわりから好かれる秘訣なのだろう。私と違い、千紘には友達も多い。わざわざ私にこだわる必要も無いのに。

 それは私にも言える事だった……。

 今日だって今日じゃない日だって、今までだって千紘に言われたからと言って待っている義理もない。分かっている。けど、あの顔で頼まれるとどうしても甘やかしたくなってしまうのだ。

 私は千紘の困り顔に弱い。

「じゃあ、またあとでねー」

「いや、今日は一人で宿題やるから」

「なんで?」

「一人でやりたいから」

「……えーん。わかったよぉ」

「じゃあね、おやすみ」

 いつも一緒に宿題をやっているからか、夜の挨拶はその時に言うが、こうして夕暮れ時に言うのは久々だった。千紘は不満そうな顔のまま「おやすみ」と言ってしょぼしょぼと自分の家へと帰って行った。

「ただいま」

 家に帰れば大学生の兄が既に帰っていて、「おかえりなさい」と出迎えてくれた。

「結衣、おやつ食べる?」

「食べる。今日はなに?」

「良くぞ聞いてくれた。今日はピーチゼリーだ!」

 じゃじゃーん、と嬉しそうに冷蔵庫から出してくれたピーチゼリーは桃が四分の一入っていて、ピンク色のした可愛いゼリーだった。

「お兄ちゃんすごい。急いで着替えてくる」

「だろだろぉ。ピーチゼリーは逃げないからゆっくり着替えておいで」

 階段をのぼって二階の自室へ行こうと歩みを進めた瞬間、兄に呼び止められる。

「今日はちーちゃん来るの?」

「来ないよ」

「そっか。こんな可愛いのが食べれないなんて可哀想だな」

「ねっ……」

 次こそは着替える為に自室へと歩みを進めた。


「んー、美味しい」

「は?」

 着替えて戻ってきたら千紘がゼリーを食べていた。さっき「今日は一人でやる」って伝えていたはずだ。なのになぜ、ここに。

「結衣も早く食べなよ。美味しいよ」

「あ、うん」

 いつもご飯を食べる定位置の席につけば、既にお兄ちゃんが用意してくれていたゼリーに手を伸ばす。

「いただきます」

「うんうん、召し上がれ」

 ゼリーを食べている私らを見てお兄ちゃんは嬉しそうだ。実際かなり嬉しいんだろうけど。千紘も千紘で兄とも幼なじみなわけだから、仲がいい。二人共、社交的で明るくていつの間にかまわりに人が集まっている。性格的に似ている部分が多い。明るいわけでもなく、内向的で当たり障りなくひっそりと生きていきたい私とは正反対だ。

「やっぱり、結衣はこの後ちーちゃんと勉強するんだね」

 んぐっ、と喉にゼリーをつまらせそうになった。

「いや、今日はしないって伝えたよ」

「そうなの? ちーちゃんがするって言ってたからてっきり……」

 横目で千紘を見れば舌を出してやっちゃった的な顔で笑っていた。その様子に毎度ながら大きなため息が出てしまう。ゼリーを食べ終え、片付けてから自室に戻ろうとすると。

「あの……ゆ、い?」

 そういう顔をしないでほしい。声だってさっきのはつらつした声とは違い元気なさげの情けない声で呼ぶのもやめてほしい。私は何一つ悪くないのに悪いみたいじゃないか。

「はぁ……千紘の好きにして」

 なにより千紘を強く拒めない自分が嫌になる。嫌いでは無い。けど、大きくなればそれなりに棲み分けはされる。千紘と私とでは違う生息地だと歳を重ねれば重ねるほど目の当たりにするのだ。

 机に勉強道具一式を広げて今日の宿題に取り掛かる。

 コンコンと部屋の扉がノックされたあと、小さな声で私の名前が呼ばれた。

「結衣、入ってもいい?」

 嫌だと言ったら帰るんだろうか。ふとそう思ってしまうが、あいにく私は千紘に弱い。こんなに弱々しい声を出されたら開けてしまうに決まっている。

「入ってもいいよ」

 ゆっくりとドアノブが回され、控えめにドアが開いて千紘が顔を覗かせた。それを見届けてから宿題に取りかかる。私がなにも言わないからだろうか。どこか落ち着かない様子で部屋に入り私の真正面に座った。いつもなら隣に来るのに。

「怒ってる?」

 怒ってるか怒ってないかで言えば怒ってはいない。千紘のそういう行動には慣れているから。けど、千紘はそれをよく分かってないみたいで、いまだにこうして聞いてくる。千紘という人間は昔からそうなのだ。凝りもせず毎回同じようなことをしてしょげる。やらなければいいのにと思う。励ます方の身にもなってほしい。

「怒ってないよ」

 お決まりのやり取り。この後に続くのは「本当に?」だ。

「本当に?」

 ほら。そして私が「本当に」って返して千紘が「ごめんね」って謝って「いいよ」で終わる。毎回同じパターンなのを千紘が気づいていないわけが無い。たぶん。けどなんだか、今日は虫の居所が悪くていつも通りのやり取りをしてあげようなんて思えなかった。

「結衣?」

 無言。言葉にしたら酷い言葉が出てきそうで咄嗟に口をつむいだ。別に怒ってはいない。いないはずなのになんでこんなにモヤモヤするんだろうか。と考えれば思い当たるのは一つで。それなら私もやり返しせばいい。

「千紘が好きなのは右のおっぱい? それとも左のおっぱい?」

「えっ?」

「ほら、早く」

 簡単にそういう冗談を言う千紘に腹が立っていたのだと気づいたのは今になってからだった。戸惑う千紘に追い打ちをかけるように詰めよれば「ストップ」と止められた。

「自分もやったくせに」

「私は目的があっでしたからいいの。けど結衣はダメ」

「なんで? 私も千紘に同じことをし返しただけだよ」

「だからダメなの」

「だからなんでって聞いてんじゃん」

「だって、触りたくなるからッ」

 …………はい?

 私の戸惑いを他所に千紘は勝手に独白を始めていく。

「私がそれをしたのはさ、そのね、友達に相談したの。そしたら私にはセクシーさが足りないんじゃないかって言われて。だから意識してもらうために頑張ったんだけど、全然ダメで」

 いや待って。

「相談ってなに?」

「相談は相談だよ。結衣にそういう風に意識してもらうにはどうしたらいいかっていう相談」

「ばっ、」

「かじゃないよ。超真剣の大まじめ。色んな人に相談したんだよ」

 肩の力がどっと抜けて項垂れた。色んな人って誰だよ。千紘のコミュ力のことだ。本当に色んな人に相談して色んな人が知っているんだろう。時々すれ違う元クラスメートや、委員会の繋がりで知り合った人達に「頑張って」と声を掛けられるのはそのせいか、と腑に落ちた。

「千紘推しの人達のやっかみとか受けたくないんだけど」

「きちんと説明してるから、その心配はないよ。安心して」

「説明って……。余計に怖いんだけど」

「大丈夫。結衣には指一本触れさせないように手配はしてるから」

「……この、コミュ力おばけめ」

 最初の頃はいい意味で目立つ幼なじみのせいで、少しばかりの嫌がらせを受けたことがある。今では微塵もないが、それでもその時の嫌な感じは忘れられない。後に友人づてに知ったのは、この幼なじみがその人達と話し合いをしていたらしいと言うことだけだった。それを知ったところで、この幼なじみに聞くことも、ましてやお礼を言うこともなんとなく出来なかった。

 今の会話も色々とツッコミどころが多すぎて悪態をつくことしか出来ない。

 私が気づかなかっただけで外堀りは、人当たりが良くて要領のいい幼なじみに着々と埋められていたらしい。くそったれ。

「ねぇ、結衣」

 いつもより割増の甘い声で名前を呼ばれて背中がぞわりとした。

「意識してくれた?」

「……しないよ。わかんなかったし。いつも通りネジがぶっ飛んでるのかと思ってた」

「ひどーい。まぁ、そうだよね。今までの態度がそうさせてるんだもんね。それよりもさ、意識してほしいって意味わかってる、よね?」

 意識する。それ即ちそういう対象ということだろう。恋愛沙汰に疎い私でもわかる。けど、やっぱり癪に障るから。

「わからない」

 ピシャリと言い返せば千紘は項垂れた。

「……言葉にされないとわからないし」

 どことなく気恥ずかしくて言葉尻に声が小さくなってしまった。それでも千紘の耳にはしっかりと届いていたようで、ガバッと顔を上げた目には涙の膜が張っていた。咄嗟にいつも通り撫でようとしてしまうがその衝動を抑え込んだ。

「ずっと、ずっと結衣のことがすきだったの。ずっとずっと片思いで。幼なじみとして、いれればいいと思ったけど、結衣はどんどん綺麗になるし、他の人も可愛いって言ってるし。もうむりぃ。幼なじみとか嫌だ。好き。大好き。付き合いたい。お願い、付き合って」

 最後にはポロポロと両目から涙を流して、しまいには鼻水まで垂らしていた。

 そのうちに嗚咽混じりになった泣き声を閉じ込めるように、千紘を抱きしめる。鼻水とかなんて気にしない。私達には今更なのだ。

 ……面白くなかった。私に関してのことを私に言ってくれず、他の人たちに相談していたこととか。全部私に言ってくれればいいのにって。子供じみた独占欲だ。千紘のことを責める資格もない。千紘が言った言葉は私の言葉でもあった。

 千紘が泣き止むまで暫くそうしていた。

「ごめん、汚れちゃった」

 千紘の涙は止まったらしいがいまだにグズグズと鼻を鳴らしていた。

「今さら気にしないよ」

 本当に気にならない。千紘のならって意味だけど。本人はたぶん気づいて無さそうだ。

「結衣は、その、困ったよね」

 さっきの告白のことだろうか。全く困ってない。

「千紘」

 名前を呼べば目を合わせてくれる。たぶん涙でグシャグシャの顔は私しか知らない。私しか知らない顔がもっとあればいいのに。

「好き」

 千紘が目を大きく開いて、涙の膜がまた厚くなっていく。その姿がとても綺麗で目が離せなかった。が次の瞬間、ガバッと千紘に抱きつかれ、私は耐えきれずに背中から床に倒れ「うげっ」と可愛くない声が出た。

「わ、私のおっぱいだけじゃなく、結衣に全部あげる」

「はいはい。私のおっぱいもあげる」

 次はガバッと離れて間を取られた。千紘は忙しいなと思って見ていれば、ぶわりとみるみる顔が赤く染っていった。口を開けたり閉じたりとパクパクしている姿に笑ってしまう。そんな幼なじみに悪戯心がついつい顔を出してしまう。

「おっぱいがいい? それとも私がほしい?」

「そんなのッ、結衣に決まってんじゃん」

「そっか。じゃあ、私の全部貰って?」

 人間こんなにも赤くなるのかと思うくらい真っ赤にした顔をして、激しく首を縦に振る千紘に耐えきれなくて声を上げて笑ってしまえば、千紘も嬉しそうに目を細めた。



 私達は今日から幼なじみ兼恋人となった。





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