第2話
一年生の夏休み明けに転校してきた白木茉莉花は、ほぼ完成していた教室のヒエラルキーに落ちてきた爆弾だった。
本人いわく、四分の一か八分の一(もしくはもっと少ないらしい)外国の血が入っているという彼女は、人形みたいに愛らしい外見をしていた。
うねりなくまっすぐに伸びた長い栗色の髪、白い肌、クスクスと笑いを漏らしているように弧を描いた薄い唇、ハシバミ色の大きな目。
彼女の一挙手一投足に、みんなが目を奪われた。
「はじめまして。白木茉莉花です」
見た目に似合わない低めの声で放った最初のその一言で、男子も女子も、たぶん先生も、彼女の虜になった。
物怖じせず、人懐っこい性格の茉莉花は、あっという間に人気者になった。休み時間になるたび、他のクラスからどころか、階が違う上級生さえも、彼女を一目見るために教室に押しかけた。
それを面白く思わなかったのは、茉莉花によって破壊されたもともとのヒエラルキーで上位にいた
「あいつ、調子乗ってるよね」
「まじムカつく」
トイレの鏡の前でメイクを直しながら彼女たちがそう愚痴っているのを、私も何度か見かけた。
一カ月もすると、数人の男子が茉莉花に恋心を抱き始めた。お互いがお互いを牽制しながらも、あわよくば出し抜いてやろうといつも目をギラつかせていたから、みんなにもバレバレだった。女子の多くは、それを冷ややかな目で見ていた。
そんなある日、茉莉花が美術教師の
「しかもヌードだったらしいよ!」
「うえー、キモい! よりによってブタ岡?」
藤岡先生は三十八歳の独身で、めちゃくちゃ太っていた。体重はおそらく百キロを越えている。だからちょっと歩くだけで汗だくになるし、呼吸が荒くなる。それが「ぶぅ、ぶぅ」と聞こえるから、生徒はみんな陰で「ブタ岡」と呼んでいた。
それから、茉莉花についての噂が絶えず流れてくるようになった。
サッカー部のキャプテンが中学から付き合っていたマネージャーと別れたのは茉莉花のせいだとか、金持ちの大学生に貢がせてるんだとか、駅前でスーツを着たおじさんと一緒にいたとか、ブタ岡だけじゃなくて他の教師とも付き合って成績を上げてもらってるらしいとか、前の学校でも同じことをしていて、それがバレて転校してきたんだ、とか。
みんな――特に、結子と莉奈は嬉々としてその噂に飛びついた。
噂が増えて広まるにつれ、茉莉花はじわじわとヒエラルキーの底に沈んでいき、一人でいることが多くなった。
ある日の朝、茉莉花の机には、黒い油性ペンででかでかと「ヤリマン」と書かれていた。犯人こそ分からなかったが、結子と莉奈を中心にした数人が、ニヤニヤしてそれを見ていた。その数人の中には茉莉花を好きだったはずの男子もいた。
登校してきた茉莉花はそれを見て右眉をちょっと上げた。みんなが茉莉花に注目していた。
泣くのか、怒るのか、誰かに助けを求めるのか、先生に言いつけるのか、あきらめてそのまま座るのか。
けれど、茉莉花が選んだのはそのどれでもなかった。
茉莉花は机を思い切り蹴とばした。勢いよく吹っ飛んだ机の中から「ブス」「消えろ」「ウザい」などと書かれた紙が飛び散った。
ニヤニヤ笑っていた連中に向かって机が吹っ飛んでいき、みんなが慌てて逃げ出す様子は、ボーリングでいえば完璧なストライクだった。
結子は床に散らばった「死ね」の紙に足を滑らせて転び、逃げるときに椅子に引っかかってパンツ丸出しになった莉奈は「ありえないんだけど!」と金切り声を上げている。
「ねえ、机って壊れたら交換してもらえるよね」
茉莉花の清々しい宣戦布告に、私はジャスミンの甘い香りをかいだ気がした。
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