第8話 妹と初体面

 さて、カフェを出るなり、須和田さんと大野さんと別れてから、僕は公園の方へ向かった。


 目的はもちろん、果歩だ。


「果歩」


 僕がやってきた場所は池を見渡せるベンチ。果歩はひとり、ひっそりと座っていた。


「果歩」


 僕が正面に回り込むと、果歩は両頬を膨らませたまま、目を逸らす。


「お兄ちゃん、嫌い」


 ぽつりとつぶやいた妹の言葉に、僕はショックを受けつつも、何とか堪えた。


「そのう、果歩。さっきのは」


「お兄ちゃん、大野さんとデートしてた」


「デート?」


「カフェの窓」


 果歩の声に、僕は「いやいや」とかぶりを振る。


「いや、今日のは何というか、そのう、ちょっとした相談みたいなもので」


「果歩に内緒で大野さんに相談……」


「内緒って、たた単に頼まれ事をされただけで」


「どんな?」


 見れば、果歩がベンチに座ったまま、僕をじっと見つめてきた。


「お兄ちゃんに隠し事されるの、果歩は悲しい」


「いや、別に大したことでもなくて」


「それでも」


 果歩の追及に、僕はため息をついた。


「そのう、今度、弥市の彼女と会うから、どういう人か、見てきてって」


「偵察?」


「いや、そんなスパイとかじゃないけど」


「面倒なら断るべき」


「さっき、引き受けたから、今さら断るのはちょっと」


「大野さんなら大丈夫」


「大野さんならって……」


 果歩は僕を振った大野さんに対して、大層厳しいようだ。


 僕はおもむろに、果歩の横に腰を降ろした。


「果歩は大野さんのこと、悪く思い過ぎだと思うけど」


「それはお兄ちゃんが優しすぎるだけ」


「僕は別に普通だと思うけど」


「果歩がお兄ちゃんなら、大野さんはあの世にいない」


「いやいや、それは」


「果歩は本気」


 妹の真剣そうな表情に、僕はただ乾いた笑いを浮かべることしかできない。


「僕としてはその、果歩に対する大野さんのよくない感情をなくしてほしいって思ってるんだけど」


「それは未来永劫無理」


「未来永劫ね……」


 どうしたら、果歩の大野さんに対する強い嫌悪感を除くことができるのか。


 僕はベンチの背もたれに寄りかかり、周りに視線を移した。


「あっ」


 僕が気づいた頃には、果歩は既に眉間に皺を寄せ、険しげな表情に変わっていた。


 視界にはこちらへ走ってくる通学用のリュックを背負った女子生徒がひとり。


「よかった。まだ近くにいて」


 やってきた彼女は、先ほどカフェで話していた大野さんだった。


「大野さん?」


「もしかしたら、公園にいるかなって思って。さっき別れた時にこっちの方へ行ったから」


 大野さんは言うなり、僕の横にいる果歩に気づいたのか、顔を移す。


「もしかして、宮久保くんの妹さん?」


「まあ、うん」


「いるなんて知らなかったよ。こんなかわいい妹さんがいたんだね」


 大野さんの誉め言葉に、果歩はうっすらと頬を赤く染めた。だが、不機嫌そうな表情のまま、無言で目を逸らしてしまう。


「ああ、ちょっと、果歩は今機嫌が」


「お兄ちゃんは大野さんに優しすぎ」


「妹さんに怒られちゃったね、宮久保くん」


「いや、そのう……」


 妹とクラスメイトの女子に異なる反応をされ、戸惑ってしまう僕。


「お兄ちゃんを振った人」


 果歩はつぶやくなり、大野さんを睨みつけた。


「なのに、こうして声をかけてきたのは変」


「変?」


「変」


 大野さんと果歩のやり取りに、僕は内心、慌てふためいていた。


「振ったのなら、もう、お兄ちゃんとは関わらないようにするべき」


「宮久保くんの妹さん、厳しいことを言うね」


「お兄ちゃんが優しすぎるだけ」


「果歩」


 僕が止めようとするも、果歩は動じる雰囲気すらない。どころか、ベンチから立ち上がり、大野さんと正面から向かい合った。慌てて僕も腰を上げ、そばに近寄った。


「果歩としては、お兄ちゃんに近づいてほしくない」


「妹さんはお兄さんのことが大好きみたいだね」


「そ、そういうわけじゃない」


 大野さんの言葉に恥ずかしくなったのか、ぎこちなく否定をする果歩。顔が真っ赤だけど。


「宮久保くん、ごめんね。妹さんとの時間を邪魔して」


「いや、僕は別にそんなことは」


「ひとつ伝えたいことがあって」


「伝えたいこと?」


 僕の問いかけに「うん」とうなずく大野さん。


「一応、誤解しないでほしいなってことなんだけど、わたしは真間くんと副会長が絶対に別れてほしいだなんて、思ってない」


 大野さんは真面目そうな表情で淡々と語った。


「だから、もし、副会長が真間くんとお似合いないい人なら、わたしは応援するよ」


「応援……」


「だから、そうなったら、わたしは真間くんのことを諦める。だから、その時は宮久保くんに協力してほしいことがあるの」


「お兄ちゃん、協力はダメ」


 僕と大野さんの間にいた果歩が目を向けるなり、首を横に振る。


 一方で僕は、果歩の声を聞きつつも、大野さんにも耳を傾けた。


「協力って?」


「その時は、須和田さんが真間くんと副会長を別れさせようとするのを一緒に止めてほしいなって」


 大野さんの頼み事は、須和田さんを裏切るような行いだ。


 まあ、曽谷先輩が弥市の彼女としていいかどうかによるけど。


 僕は頭を掻き、悩んでしまう。


「今、回答はしなくてもいいから。その時になったら、協力してくれるかどうか、教えてほしいなって」


「わかった」


「その返事が聞けただけでもよかったよ」


 大野さんは言うなり、顔を綻ばせると、おもむろに果歩の方へ視線を移す。


「ごめんね。お兄さんとの時間を邪魔して」


「用件済んだのなら、いなくなってほしい」


「そうだね。わたしはお邪魔みたいだからね」


 大野さんは声をこぼすと、何かを思い出したかのように、「宮久保くん」と呼びかけてくる。


「何?」


「一応、伝えておこうかなって思うんだけど、あの便箋、やっぱり、まだ捨てずに持っておこうかなって」


「そう、なんだ……」


「未練がましい女だよね。でも、それは」


「話、終わり」


 大野さんの言葉を遮るようにして、果歩が口を挟む。


「果歩」


「お兄ちゃんはお兄ちゃんで果歩と話」


「みたいだね。じゃあ、わたしはうん、帰るね」


「そのう、色々と、わかったってことで」


「わたしも宮久保くんのことや妹さんと会えてよかったかなって」


 大野さんは言い残すなり、手を振って、場から立ち去っていった。


「お兄ちゃん」


「大野さん、別に悪いような人じゃ」


「怪しい」


 果歩は訝しげな調子で声を漏らした。


「それよりも」


「何? 果歩」


「楓先輩、弥市先輩と新しい彼女さん、別れさせたいって話、本当?」


「ああ、それね……」


 僕は頬を掻きつつ、「まあ、本当だね」と白状をする。


「やっぱり、まだ隠し事してた」


 果歩は頬を膨らませると、目を逸らしてしまう。


「お兄ちゃんは優しすぎ」


「いや、まだ、大野さんの頼み事を引き受けるかどうか、まだわからないし……」


「なら、弥市先輩の新しい彼女さん」


「次第ってことだけど」


「もし、いい人なら、お兄ちゃんは大野さんの頼み事、引き受けそう」


 果歩は口にすると、おもむろに家の方へ歩き始めた。


「果歩」


「後、『便箋』って言葉」


「ああ、それは……」


 果歩の後ろをついていく僕は答えづらい気持ちになり、即答ができない。


「お兄ちゃんはまだ、隠し事ありそう」


 どこか虚しさが入り混じっているような果歩の声。背を向けているので、表情はわからないけど。


 こうして、大野さんと果歩の初体面は、可もなく不可もない形で終わったのだった。僕としては、果歩の一方的なわだかまりをなくしてほしかったのだけれど。

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