第4話:レジスタンス

 その日、塔の外が騒がしかった。

 いつも通りマリーはエリイと発声訓練をしていると、窓から喇叭ラッパの音と太鼓の音、そして複数の男達の野太い歌声が聞こえてきた。


 ――行こう! 祖国の子達よ

 ――栄光の時が来た

 ――私たちに対して 暴政の

 ――血まみれの旗が上がった

 ――血まみれの旗が上がった


 マリーは眉を顰め、嫌悪感で胸がいっぱいになる。


 これは革命軍の歌だ。一人の名も無き兵士が作詞したという歌。革命委員会はこの歌を口ずさみ、町を闊歩する。

 時に民衆にも歌うことを強要し、歌えないものは牢に入れ、ギロチン送りというのも決して珍しくない。


 ――聞こえるか 戦場の

 ――残酷な軍人のうなりが!?

 ――彼らは私たちの腕の中まで来て

 ――私たちの息子や妻の 喉を掻き切って殺す


「よくもまあ……」


 エリイが同じく嫌悪に顔を顰めて呟く。

 革命委員会から派遣された衛兵が聞き耳を立てているのではっきりとは言えないが、エリイや王政復古を叫ぶ民衆は、この革命の独裁的で暴力的な面を嫌っていた。


 この革命が起きて四年ほど。最初こそ自由・博愛・平等を詠っていた運動は、次第に血なまぐさくなっていった。

 それは王族を武力で襲撃しただけでなく、委員会の長が反対勢力を次々とギロチン送りにし、時に大規模な虐殺も厭わなかった。


 革命という狂気のなか、一体何人の命が失われていっただろう。

 あるものはギロチンで首をはねられ、あるものは身体を切り刻まれ、あるものは虐待され命を落とした。

 王族以外に犠牲になったものは、きっと千人以上になるだろう。


「あいつら、きっと嫌がらせにきたのですわ」


 エリイの言葉に、マリーは首を傾げて「……嫌がらせ?」と問い返した。


「最近王政復古が唱えられてから、委員会は規模を縮小させられ、かつての勢いはありません。それでも革命を推し進めたい強硬派は、王政復古のシンボルであるマリー様が収容されているこの塔に向かって革命歌を歌うことで、マリー様のお心をくじけさせようとしているのですわ!」


 静かに怒りながら解説するエリイの言葉に、マリーは怒りが身体の内奥からマグマのようにたぎってくるのを感じた。

 暴政? 血まみれの旗? 馬鹿言わないで。暴力でこの国を治めようとしたのも、国旗を血まみれにしたのも全部革命軍だ。

 国王であったお父様は、決して民衆に銃を向けることはなかった。怒り狂った民衆が城まで武装してやってきても、バルコニーに立って彼らを収めようとした。

 お父様も、お母様も、貧しい民衆にパンを与え、屈辱的な彼らの要求を呑んできた。

 これ以上何がほしい? お父様とお母様、叔母上に弟の命を奪っておいて、今度はこのあたしの首が欲しいのか?


「……冗談、じゃ、ない」


 マリーが拳を握りながら呟く。


「冗談、じゃない! あたしは、殺されない! 絶対、絶対、あいつらに、屈したりするもんか!」


 怒りのまま、マリーは叫んだ。

 これ以上、革命委員会の好き勝手にさせない! これ以上、奪わせない! あたしは、誰からも殺されない!


「ならば、歌いましょう」


 怒り心頭のマリーに、エリイが提案した。


「うた、う?」

「そう。いつも歌っている賛美歌を、塔の外の奴らに聴かせてやりましょう。我々は決して屈しない、マリー様のお心は決して折れたりしないと、歌で委員会にレジスタンス反抗を起こすのですわ!」


 ※

 ※

 ※


 強硬派は革命歌の一番を歌い終え、二番を歌い、三番まで歌い終えた。


 ――武器を持て 市民よ

 ――軍隊を組め

 ――向かおう 向かおう!

 ――汚れた血が

 ――私たちの田畑をうるおすまで!


 アコーディオンが演奏を止め、歌った男達は水を飲んで喉を潤す。

 ちらり、と男達は塔の窓が開いているのを確認し、いやらしそうににやりと笑った。


「塔の姫さんに、この歌は届いているかな?」

「そりゃあこれだけ大声で歌ったら、あのオンボロの塔に響き渡っているよ」


 男達が笑う。

 実を言うと、男達はマリーの姿を一度も見たことがなかった。

 しかし委員会から金を受け取り、こうやって歌うことを仕事にしている男達にとって、姫君の本当の姿などどうでも良かった。


 必要なのは、民衆の声。委員会の意向。それによって作られたイメージ偶像


 革命軍とて、王や王妃、王族たちの本当の姿を見たものはごく一部だろう。

 しかしそれでいいのだ。横暴な王と贅沢三昧の王妃というイメージがあれば、民衆は簡単に暴徒へと変わる。そうなればあとはトントン拍子にことは進み、こうしてこの国は共和制へと移行した。


 革命委員会の強硬派は、革命歌を歌って塔の姫を精神的に追い詰めろと言った来たが、すでに二年間もたった一人で塔に幽閉されている十六の少女が、今更歌を聴いて反抗したり塔から脱走するわけはない、と男達は踏んでいた。


 しかし、その目論みはすぐに外れてしまう。


「……おい、なんか聞こえねえか?」


 男の一人が言うので、合唱隊の男達は耳を澄ませる。

 そうすると、確かに風に乗って塔から女の歌声が聞こえたのだった。


「いつくし~~~み~ふか~~~~き、と~~~もなるイエスはぁ~~~~」


 それは賛美歌であった。神を讃える歌。

 女の高音は塔から大声で発せられ、男達の鼓膜を揺さぶる。


「つ~~~み、とが~~~、うれ~~~~いを~~~~、と~~~りさりたもう」


 まさか……

 男達が互いの顔を見合う。

 この歌は、塔にいる姫が歌っているのか?


「こ~~ころのなげき~~~を、つ~~つまずのべ~~て~~~」

「な~~~どかはおろさ~~~ぬ、お~~えるおもにを~~~」


 なんとか音程は合っているが、大声なので歌っていると言うより叫んでいるといったほうが正しい。

 しかしその叫びからは諦観も憂いも感じなかった。

 感じるのは、決しておまえらに屈して生るものか、という反抗の意思レジスタンス。そして生を謳歌する瑞々しさであった。


「……なめやがって」


 眉を寄せた男達は、楽隊に演奏を始めるように言う。

 太鼓が叩かれ、喇叭が鳴らされ、アコーディオンがメロディーを奏でると、男達は革命歌の続きを歌った。


 ――祖国の神聖な愛よ

 ――私たちの復讐の手を導いてください

 ――自由よ 愛しき自由よ

 ――あなたの守るものと共にいざ戦わん!

 ――御旗の下、勝利は我々の手に!


「ら~~~らららら~~~~らららら~~~~」


 対抗するかのように、塔のマリーとエリイは大声でアカペラで歌う。

 毎日の訓練で、マリーの喉は開ききり、大きな声が出せるようになっていた。


(絶対に、あいつらに屈してなるものか!)


 ――我々は進みゆく 先人達の地へ

 ――彼らの亡骸と美徳が残る地へ

 ――延命は本意にあらず

 ――願わくは彼らと棺を共にせん

 ――取らずや先人の仇、さもなくば後を追わん

 ――これぞ我々の崇高なる誇りなり


「あ~~~あああ~~~あああ~~~あ」


 外の合唱隊に負けるもんか、と、マリーはエリイとともに歌っていた。いや、もうほとんど叫んでいたというのが正しいか。

 十六年分の命の謳歌、姫というあたしの生まれ、勝手にイメージされて、勝手に殺そうとするお前達なんかに絶対屈したりしない!


「ららら~~~らら~~~ら~~~」

「ああああ~~~~ああ~~~~あ~~~~あ~~~~」


 喉が悲鳴を上げ、腹筋がつりそうになり、汗が滝のように流れていっても、二人の女は歌うことを止めなかった。

 塔に幽閉された姫と、その家庭教師ガヴァネスが唯一できる反抗、それが歌うことであった。

 言葉は原初の命。命の賛歌。この革命で奪われていった全ての命を讃えるように、マリーは歌う。この声が天の国へのお母様とお父様達に届くように、ずっと。


「……リー様、マリー様!」


 エリイに肩を揺すられ、マリーははっと意識を取り戻し、隣のエリイの顔を見た。

 汗まみれのエリイは、にっこりと笑いながら頷く。

 そこでマリーは、いつの間にか外の革命歌の合唱が止み、代わりに民の賛美歌が聞こえてきているのを知った。


 マリーが憎んでいた民衆が、塔のマリーに向けて祈りの歌を捧げているのだ。


「合唱隊は引き上げたそうです。やりました! マリー様! 私達の反抗が勝ったのです!」


 エリイが嬉しそうにマリーの手をとり、二人は勝利のワルツを踊る。

 十六の姫の初めての反抗レジスタンスが勝利し、王妃が得られなかった民衆からの支持を得られているのを喜び、二人は夜が更けるまでワルツを踊ったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る