第2話

風花フウの部屋って、いつ見てもなんもないよねー。こざっぱりしてるって言うか……なんというか……」

凪咲ナギの部屋がごちゃごちゃしすぎなんだよ。物置じゃん」



 幼い頃から付き合いの長い二人。部屋に入るのも、入られるのも、お互いにもう何度目か分からない。それでも凪咲なぎさは、何度見ても風花ふうかの部屋に驚かずにはいられなかった。ベッドと、勉強机と、本が数冊といった最低限のものしか置かれていない。特筆すべきことがあるのだとすれば、ベッドの脇に置かれたウォンバットのぬいぐるみくらいだろうか。そのほかは、ほとんど新居同然だ。綺麗好きとか、整理整頓されているという次元ではなく、本当に必要最低限のものしか置いていない。それこそ、部屋を物置のように使っていて、寝る場所を僅かに確保していればいいやと考える凪咲なぎさとは対称的だ。


風花フウってば、高校に入ってから文芸部になったから、もっと本とか増えるかと思ってたんだけど」

「読むよりも、書くことの方が中心だから。読みたきゃ借りるし」

「ふーん。そんなもんかねぇ」


 床にも関わらず、ごろーんと寝転ぶ凪咲なぎさ。足の踏み場がなく、移動が困難になっている自室では、こんなことはまずできない。


「いーなー。広い部屋もらえて」

「間取りを見る限りじゃ、凪咲なぎさの部屋の方が広いんだけど?」

「まじ?」

「私の部屋は、隣がバルコニーになってるから、そのぶん狭いんだよ」

「羨ましいなぁ」

「そんなことないよ。布団を干す度に、家族に通り道にされるし」

「あー、だからいつも奇麗にしてるのかー」


 ごろごろと床で転がる凪咲なぎさ。「それもあるけど――」と言いながら、バルコニーへと通じるドアを開ける風花ふうか。黒紫色に染まった山のと、風花ふうかの髪を揺らす山風が、天体観測の始まりを告げる。


「――世界ってのは、きっと余白でできてるんだよ」




 *****



「余白ねぇ……。それって、作家・湖上こじょう風花ふうかとしてのモットー?」


 持ってきた天体望遠鏡をバルコニーにセットする凪咲なぎさ。自称・天文部の部長を名乗るだけあって、彼女の手つきは手慣れたものだ。その横で、風花ふうかは持ってきたコップに適当な飲み物を注ぐ。秋の虫の聲を聞きながら、夜空を見上げるというのは風物詩だが、それでも月を見るならまだしも、星を見るのは少し面白みに欠ける。春はアークトゥルス、スピカ、デネボラ。夏はデネブ、アルタイル、ベガ。あとは、アンタレスやヌンキ。冬は一番面白くて、ベテルギウス、シリウス、プロキオンは言うまでもなく、リゲルに、アルデバランに、ポルックスに、カペラ……主人公級の星々が夜空を彩るものだから、星空版オールスター状態になる。それに比べて、秋の星空は少々味気ない。だから、月見の季節だと考えた昔の人々は、夜を楽しむことに長けた人たちだったんだなと思う。


「団子が食べたいなー」

「そう言うと思った。ほら、どうぞ」

「分かってるじゃーん。流石は私の……私の……うーん?」

「何?」

「私のアルタイル!!」

「うわ、恥っず」


 目を逆三角にして不快感を示した風花ふうかだったが、凪咲なぎさは「うーむ。確かに、アルタイルではないね」と恥ずかしげもなく別の例えを考え始める。


 よく「動物に例えると?」なんてことがあるが、風花ふうかは猫っぽい犬だ。どっしりと構えているくせに、いつも気だるげで、雪の日なんかにはコタツで丸くなるような性格だ。とはいえ、基本は犬なので、感情を表に出さなくても、代わりにポニーテールが揺れていることがたまにある。あるいはウォンバット。どこかふてぶてしさもありながら、のんびり屋さんで、昼寝をする姿が可愛らしい。そんなわけで、小さい頃に凪咲なぎさ風花ふうかにウォンバットのヌイグルミをプレゼントしている。「別に私は、鼻は平らじゃないし、ケツも堅くない」と文句を言った風花ふうかだったが、ボロボロになりながらも、数少ない持ち物として風花ふうかの部屋に大事に置かれていた。


 とはいえ、「星に例える」となると少し難しい。風花ふうかは十一月六日生まれの蠍座だから、それをもって蠍座α星アンタレスとか蠍座λ星シャウラとか言うことはできるかもしれないが……単に蠍座なだけで、適切な例えかと言われると微妙だ。それこそ、「余白」というのならば、宇宙空間に存在する「余白」――ヴォイドVoidということになるが……。


「空っぽな場所があるんじゃない。本来、宇宙は空っぽなんだよ」


 なにも、それは宇宙規模のことではない。話を聞きながら、団子を空に放り投げては口でキャッチする凪咲なぎさ。そんな団子の大きさを原子核だとした時、原子そのものの大きさは野球ドーム程の大きさになる。それほどまでに、原子核とそれを回る電子の距離は離れている。その間には何もない。無だ。スカスカだ。そんな原子によって構成されている人間も、星も、宇宙も、スカスカだ。存在よりも、何も無い領域の方が広い。それゆえに世界は余白でできている――それが風花ふうかの宇宙観だった。


「けど同時に、余白は可能性に満ちた空間。確定していないからこそ、何でも描くことができる。星と星の間には何もない。けれど、線を引いたから、星座を描くことができた」


 もし未来の色が、何も描かれていないキャンバスと同じ白だとすれば、きっと過去の色も同じ白なのだろう。未来と過去は同じ色をしている。人は、未来と同様に過去を描く。歴史家や歴史小説家が描く過去は、実際に存在したものではなく、存在したはずのものを再構築した物語。それは、一種の仮想現実だ。未来はもっと真っ白で、星座になる前の星々を描くことだってできる。


「それこそが創造性クリエイティビティ――人間を人間たらしめるものだよ」


 未だなお、世界は甚だしくも白いままだ。だからこそ、人は自由に世界を描き、構築することができる。確かに、創造はエネルギーを使う苦しいことかもしれない。ありていに言えば、生みの苦しみというやつだ。けれども、人間が本来備えた創造性を、自ら放棄した世界とは何だろうか。思考を、創意工夫を、創造における過程を、放棄した世界とは何だろうか。苦しみのない世界とは何だろうか――それを人は「彼岸」と呼ぶのではないだろうか。


「世界は本質的に空虚Void。だから、私の空想で、その空虚を溢れさせる。創造物で満たす。――私は、凪咲ナギの望む世界を描くよ。凪咲ナギは私の明けの明星だから」



 *****



「昔っから、風花フウは口数少ないくせに、饒舌になった途端、恥ずかしげもなく凄いこと言うよねー。若干重たいし」

「……まぁ、そんな感じ……です」

「いいよ、いいよ。風花フウらしいっていうか……。でも、極端ではあるかなぁー。秋の夜空だってさ、何もないわけじゃないんだよ?」


 ほら、覗いてみ? 望遠鏡のセッティングが終わった凪咲なぎさは、風花ふうかに覗くように促す。そこに映る星は――いいや、銀河だ。


 アンドロメダ銀河だ。


 天の川銀河から最も近い距離にある銀河。数多くの星を束ねては、渦を巻くその姿は、宇宙の神秘そのもの。


「行ってみたいって思うよね!!」








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