第一章 中学時代

第3話 あだ名はユッキー?


「初めまして、佐々村雪音です。皆さん、どうぞよろしくお願いします」


 教壇の横に立って丁寧なお辞儀をするその声は、少し緊張気味に掠れながらも優しく透き通るような音色だった。


 その仕草、その声、その佇まい、すべてが俺のハートを波立たせる。

 肩までの真っ直ぐでつややかな髪の毛とか、夏の名残の日焼けした小麦色の肌とか、やや子供っぽい丸みを帯びた驚くほど小さな顔とか、戸惑ったように視線の定まらない黒目がちの瞳とか……。

 言い挙げればきりがないくらい、どこもかしこも魅力的だ。


 あたりの風景がすーっとぼやけて行き、彼女だけがくっきりと目に映る。

 その存在は妙に現実感がなくて、なにかふわふわとした夢見心地にさせる。

 もう彼女に釘付けだった。


「ささむらゆきねちゃん? じゃ、ユッキーでいい?」

 レミンが勢いよく立ち上がって教室のみんなを見渡す。

 真っ先に盛り上げ係となるのはレミンこと岡本玲美れいみ。いつものことだ。

「ん〜、ささゆきとか?」

 他の生徒が別案を出す。

「ゆきねちゃんは、前にはなんて呼ばれてたん?」

 別の子が本人に尋ねる。

「え、あの……普通にささむらさんとか、ゆきねちゃんとか……ですけど」

「そっか〜」

「じゃったらユッキーでええよね?」

 レミンが、これで決まりというドヤ顔で佐々村さんを見る。

「え? え?」

 パクパクと金魚のように口を開け閉めしながら返答に困っている。そんな表情もえらい可愛い。

「しんしん、とか……」

 思わずボソッとつぶやいた俺の声が、間隙を縫ったようにレミンに届いた。

「ん、しんしん? なんでなん、パッツ?」

 パッツとは俺のことだ。はなつという名前の音読みと訓読みを混ぜこぜにしたのが由来。

 このクラスでは全員があだ名呼びが暗黙のルールになっている。

「雪の音だから。しんしんと雪が降るって言うじゃろ?」

「おお、詩人やんか! パッツ」

 後ろの席からそう茶化すのはビッシーこと原大海ひろみだ。大きな海→Big Sea→ビッシーというわけ。

 ビッシーとレミンがこのクラスの中心であり、二人は彼氏彼女という間柄でもある。

「こらこらお前ら、そういうんはあとにせい。佐々村はそこの空いちょる席に座ってっちゃい」

 担任のスーケン=数学教師の斉藤けんがそう促すと、彼女はみんなの注目から逃れるようにそそくさと席に向かった。


 窓際の前から二番目の席。

 俺の左列の三つ前。

 座った後ろ姿がほどよく見える。

 背筋がピンと伸びた後ろ姿もきれいだ。


「お〜し、今日から二学期だ。つまり受験まであと半年ってことだぞ。夏休み気分をきっぱり切り替えて頑張れよ。で、明日の放課後から出席番号順に五人ずつ進路面談やるからな。以上、何かあるか?」


 朝のHRが終わるやいなや、みんな一斉に佐々村さんの席の周りに群がる。

「ねえねえ、ユッキーはどっから来たん?」

 もちろん最初に声を掛けるのはレミン。すでにユッキー呼びだ。

「えっと……と、東京です」

「やっぱしー! そうだと思ったお〜、なんか垢抜けちょるもんねえ!」

 周りの女の子たちも目をキラキラさせて頷いている。

「わ〜しは岡本玲美。レミンっち呼んで〜な。うちらんクラスめっちゃええクラスやっから、なんも心配せんでええよ〜」

 レミンの言葉通り、イジメもハブもクラス内カーストもない素晴らしくまとまったクラスだ。

 レミンとビッシーがいるおかげが大きい。

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