第2話

そんなことを考えて俯いていて、前を見ていなかったからだろう。


「あっ! 」


わたしは前方からやってきた人とぶつかって地面に倒れこみ、外れた眼鏡が地面に転がる。


 やっぱり今日は最悪だ。そんなことを思いながらわたしは地面に転がった眼鏡に手を伸ばすと。


「ご、ごめんなさい! 今ちょっと考え事してて……」


 そう言ってぶつかった相手がわたしの眼鏡を差し出してくる。それを受け取りながらわたしは


「い、いえいえ。わたしの方こそ、前を見てなくてごめんなさい……」


と謝った時だった。


「……もしかしてあなた、瀬名さん……の双子の妹の雪奈ちゃん? 」


 目を丸くしてわたしとぶつかった少女が聞いて来る。そう聞かれた瞬間、わたしは後悔する。高校に入ってからわたしは人前では絶対に眼鏡を外さないようにしていた。お姉ちゃんだと間違われるのが嫌だったから。額に冷や汗が浮かぶ。どう言い訳しよう? そんなことを必死に頭を回転させて考えていると、不意に彼女はわたしの手を取ってくる。


「そうよね! きっとそうだわ、だって双子の妹さんでもなければ、ごんなにかわいい人がこの世に2人といるわけがないもの! 今日のあたしはついているわ! 」


「あの、えっと……」


 一方的に盛り上がる目の前の女の子に困惑するわたし。でもそんなわたしのことなんて目の前の少女は気にする素振りも見せなかった。


「あたしは堀川花音。雪奈ちゃんと同い年の高校2年生で、入学式で瀬名さんを一目見た時から、瀬名さんに一目惚れしちゃったの。だから、ゆ、雪奈ちゃん! 瀬名さんの妹である雪奈ちゃんに折り入って頼みたいことがあるんだけれど……瀬名さんの『妹』として、あたしの恋を応援する『友人キャラ』になってくれない? 」


「はい? 」


「友人キャラよ、友人キャラ。雪奈ちゃんだったら瀬名さんの妹なんだから、瀬名さんの好きなものとかタイプの女の子とか知ってるでしょ。そんな雪奈ちゃんに協力してもらって、恋愛相談とか乗ってもらったりして、あたしは瀬名さんとお付き合いできる可能性を少しでも上げたいの」


 懇願してくる堀川さんにわたしは最初、冗談じゃないと思った。わたしは優秀すぎるお姉ちゃんとはなるべく関係を持たずに生きていきたいのだから。でも。堀川さんはわたしの手をとる力を少し強めて、潤んだ目でわたしのことを見つめてくる。


「これは、『妹』である雪奈さんしか頼めないことなの。だから、お願い」


 『わたしにしか頼めない』、その言葉はわたしにとって反則だった。


 ――この人はわたしをお姉ちゃんと間違えてるんじゃない。お姉ちゃんの『妹』として、わたし自身のことを必要としてくれてるんだ。


 自分でもわかっていた。そう言葉を飾ったところで堀川さんだってわたし自身を必要としているわけじゃない、あくまでお姉ちゃんの付属品としてのわたしを求めてるだけなんだって。でも。これまでお姉ちゃんに間違われては失望され続け、誰もわたしを『瀬名雪奈』として見てくれなかったわたしにとって、その言葉は嬉しいと感じてしまうものだった。


「わかった」


 そう小さく返事するわたし。そうして、わたしはなし崩し的に堀川さんの『友人キャラ』に内定してしまったのだった。




 その日以来。わたしは週に2回ほど堀川さんのお家に呼び出されては、堀川さんがお姉ちゃんに振り向いてもらうための相談を受けた。わたし達は学校では直接会話することはなくって、堀川さんがわたしのことを呼び出す際はその日の昼休みまでにスマホのチャットアプリに連絡が入るようになっていた。


 堀川さんがわたしを自室に呼び出してまで聞くことはお姉ちゃんの好きな花だったり、好きな食べ物だったり、好みのタイプだったり、正直しょうもない話が多かった。そんな中でも1つ、堀川さんには変わったところがあった。それは、お姉ちゃんのことを聞く際は大抵、わたしのことも『ついで』として聞いてきたがること。例えば。


「お姉ちゃんの好きな花? スイカズラだったと思うけど」


 堀川さんにお姉ちゃんの好きな花を聞かれた時、わたしがそう答えると。


「へえっ。で、雪奈ちゃんはどうなの? 」


と堀川さんは聞いて来る。


「……べつにわたしのを聞いたところで何にもならなくない? 」


 何気なしにわたしがそう答えると何をムキになったのか堀川さんは


「ついでよついで! で、どうなの? 」


と強い調子で聞いて来る。わたしはそんな堀川さんに早々に観念する。


「花、ね。強いて言うならパンジーだけど」


 わたしがそう答えると堀川さんはさして興味もなさそうに「そう」と答えただけだった。あれだけ聞いてきておきながら反応薄っ! って思わなくもないけれど、そんなことが続くと次第にわたしも気にしなくなっていった。


 


 そしていつからだろう。いつの間にか、堀川さんに呼び出されるのが楽しみになっているわたしがいた。堀川さんの部屋は自宅以上に心地よいと感じるようになっている自分がいた。そして、帰る時間がやってきて堀川さんと2人きりの時間が終わると、どこか名残惜しさを感じる自分がいた。


 ――わたし、堀川さんとなるべく長い間、2人きりでいたいんだ。


 その気持ちを自覚した瞬間。わたしの頭から血の気が失せた。今のわたしが抱いている感情は、行ってしまえば堀川さんに対する恋愛感情のようなもの、でもそれは、考えるまでもなく許されないものだった。だって堀川さんが好きなのはあくまでわたしのお姉ちゃんで、堀川さんにとってわたしは本命の相手に振り向いてもらうための『道具』に過ぎない。堀川さんに対するわたしのこの気持ちは絶対に報われないし、その気持ちを少しでも表に出してしまったら――今のわたしと堀川さんの関係はいともたやすく崩れ落ちてしまう。


 そのことが分かっていたから、わたしはそんな感情を必死に抑え込もうとした。でも。そんな緊張の糸はある日、ぷつんと切れてしまった。




 その日。わたしはいつものように堀川さんの部屋に呼び出されていた。


「ちょっと飲み物とってくるね」


 そう言って堀川さんが立ち上がり、部屋には一人きりになる。1人きりになった途端。わたしは妙にそわそわして部屋の中を見まわしていると、ふと壁にかけられた鏡が目に入った。そこに映る冴えない女子高生を見て思う。


 ――わたしがお姉ちゃんと同じ容姿になったら、ほんの一瞬かもしれないけど、堀川さんははわたしのことを恋愛対象として見てくれるかな。


 その思いが頭を過った次の瞬間。わたしは眼鏡を床に投げ捨て、三つ編みを解いていた。そして次の瞬間。鏡には自分で言うのもアレだけど、学年一の美少女・瀬名美月とそっくりの美少女が映っていた。と、その時。


「雪奈ちゃん、何やってるの? 」


 氷のように冷たい声がしてはっとする。振り向くとそこには堀川さんが立っていた。額に汗が滲む。そして。


「その……眼鏡を落としちゃって、パニックになっちゃって」


 結局、わたしは誤魔化し笑いを浮かべて言い訳することを選んだ。地面に這いつくばって眼鏡を手に取って掛け直し、三つ編みを編みなおす、そんなわたしのことを堀川さんは怪訝そうに見つめていたけれど、それ以上にわたしを追及してきたりはしなかった。堀川さんが口にした言葉はただ一言だけ。


「……そう。まあ余計なことはしないでよ」


 この日。わたしはもう二度と余計なことはしないと誓った。

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