第309話 茜の涙

「ああ、あのことか。あの時はお互い自分のことで一杯一杯だったから気にしないで。ていうかそんなことより、あれから二か月も経ったけど、まだ、大丈夫じゃないんでしょ? お母さんは?」と茜を心配するように問う。


「……お母さんも、立ち直るまで時間かかるかもね。お互い愛し合っていたから。今となっては、私もお父さんのこと尊敬してるし。だから多分、一生続くと思う……でも、いつまでも引き摺ってるんじゃ、今まで育ててくれたお父さんに申し訳ないし。


真に利用されていたとはいえ、たくさん許されない重い罪を犯して、色んな人の人生を狂わせて、深い傷を負わせてしまった。そのことを自覚して、一生かけてでもちゃんと責任を取って償っていかないといけないし。そのためにはまず何をするべきなのかを、これから時間をゆっくり考えていきたいと思ってる」


 と毅然としているように見せているが、握っている拳が小さく震えているのを洸太は見逃さなかった。


「今まで辛かったよね。泣きたいときは泣いて良いんだよ。僕の前では我慢しなくていいから」と茜の手にそっと手を置いて安心させるように言うと、茜が堰を切ったように号泣し始めたので、すかさず自分の方へ抱き寄せる。


 これまで僕らが過ごしてきた日々は、苦難と不幸に満ちていて、特に茜にとって、ここ最近の出来事は、一人の女の子が経験するにはあまりにも残酷で悲惨なものばかりだった。


 その殆どが彼女の意志によるものであったが、それは元カレである城崎と付き合っていることで城崎の悪い部分に彼女が染まっていったのと、好きな人のためなら何でもするという彼女の大きすぎる愛が合わさって意思決定に大きく影響を及ぼしてしまった。


 それを証拠に、こうして反省して心を入れ替えて前を向こうとしている。これまでのような、犯罪も厭わない氷のように冷徹で刺々しく、我儘で歪んだ思考を持っていた茜はもう影も形も残っていない。


 だがその代償として、城崎との関係は断ち切れたものの、自分の父親の唐突な最期を経験し、城崎の最愛の母親のあまりにも残酷な死に間接的に関わることになってしまい、そしてあろうことか、父親だと思っていた人が実のお父親ではないことを知らされ、茜の精神は容赦なく木っ端微塵に粉砕されてしまった。


 そしてそれらの悲惨な出来事を経て僕らは再会を果たした。事件からある程度の時間が経っているとはいえ、彼女の心はまだ癒えていない。彼女の言うように、恐らく一生かかるのかもしれない。茜がこれまでどれほどの思いを抱えて過ごしてきたのか計り知れない。


 話せる人がいなかったから自分の中で溜め込むしかなくてとても苦しかったことだろう。思い切って感情を曝け出し、本音を打ち明けられる人が欲しかったのだろう。そうとも知らず、自分は良かれと思って茜と距離を置いていたのが間違いだった。そんな茜の胸の内を察することが出来なかった。

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