第256話 茜と「まこ」

 こんなところで、あんなおっかないものをぶつけられて死ぬなんてあまりにも呆気なさすぎるが、ここで死んでも別に構わないと自らの死を受け入れる自分もいた。


 その時、ふとずっと握りしめていた絆創膏を見た。あの日、あの公園で助けてくれたのは城崎ではなかった。


 「まこ」という名前の一部とハンサムな容姿とその温もりと包容力から、てっきりあの日の彼かと今の今まで信じて城崎を好いて付き合ってきたが、いざ蓋を開けてみれば、ヒーローとは真逆の自分至上主義の最低最悪のサイコパスだった。


 これまで溜め込んできた想いを打ち明けて漸く決別出来たが、例の彼が城崎ではないと分かった以上、また振り出しに戻ることになる。今にしてみれば、人生で最も恥ずかしい盛大な勘違いだったとともに、愚かにも城崎に自分の思い描いていた、こうであってほしいという理想像を重ねていただけだった。


 そんなものは空虚な幻想に過ぎなかったと思い知らされ、これまで過ごしてきた時間と労力は何だったんだろうかと無性にむしゃくしゃする。とはいえ、もう探す気力も残っておらず、こんな状況でそんなことに気に掛ける余裕もない。もしかしたら、もうこの世にいないのかもしれないと思うことで漸く諦めがつくだろう。


 そしてあろうことか、自分のこの恋愛感情はくだらないとまで言われてしまった。自分の全てを否定されたような気分で相当ショックを受けたが、今までの自分の言動を振り返れば、そういうふうに言われても仕方ないと思えた。


 その上、今まで育ててくれた義父も目の前で亡くなり、同じく目の前で城崎の母親が雅人に斬首されたところを目撃してしまった。そんな地獄絵図のような状況に晒され、もうどうしようもないくらいに心と体は打ちのめされて憔悴し切っていた。


 もう使う予定の無い絆創膏に、これまでの「まこ」という男への思いを乗せることにした。


 そうしてピークに達した恐怖が受容に変わり、自らの死を悟って絆創膏を強く握り締めたその時、


≪助けて、誰か……≫


 と心の中で祈るように呟いた。何故そのようなことを希ったのか分からない。きっと無意識のうちにまだ生きたい、死にたくないという本能的な願いが込み上がってきたからなのではないかと茜は思った。


 単純に考えてみれば、自分のこれまでの言動は万死に値するものであるため、ここで残酷な死を迎えても致し方ない。だが、もし、それでも絶体絶命の状況からまだ生き延びられる方法が残されているとするなら、誰かに助けてもらうしかない。


 しかし、そのような根っからの善良な者がいるとは思えない。誰かに向けて祈ったわけではない。気付いてもらえるなら、神でも何でも良いから助けて欲しいと願う。だが、神や悪魔に祈ったところでどうせ見捨てられてしまうだけ。今の自分はそれほどまでに愚かだった。


 唯一にして最大の希望であった「まこ」なる初恋の男がもういないと分かった以上、助けてと願うのは無駄な祈りでしかない。だが、それでも、助かりたい、生きたいと願わずにはいられなかった。


 どこかで「まこ」なる男が来てくれるのではないかと、一瞬でも思ってしまった。


 きっと、絶対的な死を前に、自分の感情がおかしくなってしまったのかもしれない。この極限の状況で、死への感覚が麻痺してしまっただけなのかもしれない。


 いい加減、この矛盾する心に終止符を打って、自分の最期を受け入れようと目を閉じたその時、塊が猛スピードで落ちていった。落下した瞬間に「ガシャアアン!」という轟音を立てて木っ端微塵になり、大量の粉塵が巻き上げられた。


「そんな……市宮さあああん!」


「いや、待て。上空に人がいるぞ。誰だ?」と東と陽助は二人して空を見上げた。雅人も何かを感じ取ってパッと振り返り、目を丸くして驚いた。

 

 轟音がかなり下の方に聞こえると感じた茜が閉じた両目を開けると、自分が誰かに抱えられて空に浮かんで漂っていることを知る。今何が起きていてどういう状況なのか理解できず戸惑っていたその時、茜がすかさず助けてくれた人の顔を見て目を疑った。あの飛んできた塊から助けてくれたのは他でもない洸太だった。


「助けに来た。もう大丈夫だよ」

 

 洸太の口からその言葉が聞ける日が来るなんて考えもしなかった。それと同時に、その信頼できる安心感のある声と台詞に、穴の空いた茜の心に一筋の光が差し込み、ついハッとなって全身の鳥肌が総立ちする。


 唯一の手掛かりであった「まこ」というのは下の名前ではなく、「みつやまこうた」の「まこ」だった。まさか、ずっと探し続けてきた「まこ」の付いた男が城崎ではなく、今までずっと近くにいて、事あるごとに助けてくれた洸太だったということに気付いた茜は、まだ信じられない様子。


 そして今かけてくれた言葉は、あの公園で膝を擦りむいて、雨の中地面に座り込んで泣いていた自分を助けてくれたあの日から、心の中でずっと想い続けてきた少年が発した台詞と全く同じだということに感極まって一筋の涙を流し、洸太をギュッと抱き締める。

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