第250話 一芝居

「茜、お前ぇ……」とあまりの悔しさに歯ぎしりをして、眉間に皺を寄せて歯痒そうに茜を睨む。「フー、フー」と殺気立った猛獣のように荒い深呼吸を繰り返す。茜は観念したように顔を上げ、そんな城崎の憎悪と殺意に満ちた視線を受けてつい身震いしてしまった。


 本当ならこの時点で茜は殺されていただろう。城崎の手足の骨が折れて全く動けないことが茜にとって不幸中の幸いだった。


「それが彼女の本当の答えだ。というわけで」と踵を返し、ぐったりしていた城崎の母親の方へ戻って背中を強く踏みつける。母親はつい「うぅっ」と力なく声を漏らす。


「待って!」と俯いていた茜が立ち上がって雅人に向かって叫んだ。


「何だ。君は自分の口で死にたくないと主張した。もう関係無いだろう」と若干鬱陶しそうに言った。


「確かに真のために死にたくないって言ったけど、でも真のお母さんも殺してほしくないの!」


「最初に言った筈だ。君とこいつの母親、どちらがこいつのことを大事だと思っているのかを聞いて、選んでもらった方を目の前で殺すって。そして君は胸の内を全部吐き出して生きることを選び、死ぬことを拒絶した。となればこいつの母親が犠牲になるのは必然だろう」と城崎の母親の背中を強く踏みつけながら告げる。


「やめて、お願い! もう、人が死ぬのを見るのは嫌なの……だから、もうやめて!」と涙を流しながら訴える。


 ついほんの数時間前に、腹部に異物を入れられた状態で、エッグやその他の荷物を載せたトラックを運転していた義父が、ネオテックに到着したと同時に力尽きて茜の目の前で亡くなった。


 そんな義父の死を経験しただけあってその想いは人一倍強かったが、雅人はそんな茜の事情など気にも留めないだろうということは勿論分かっていた。それでも茜は、もうこんな悲劇を繰り返したくないという悲痛な思いを込めて必死に叫ぶ。


「気持ちだけ頂くよ。でも残念ながら、もうこの結果は覆らないんだ。それに、俺は初めからこいつの母親を殺すつもりでいたしね」


「じゃあ、今のは全部演技だったの……?」


「敢えて一芝居打ったのさ。そうしないといつまで経っても恋に溺れて城崎の影に怯えるだけだろうと思ってね。お蔭で心の奥に封印してた、自分の本当の気持ちに気付いて偽りの恋から目が覚めて、こいつの洗脳から自由になっただろう?」

 

 そう言われた瞬間、茜はこれまでの雅人の行動の意味を振り返ってみた。もし本気で殺すつもりでいるのなら、距離を詰めなくても初めから城崎の母親の元から離れず、遠隔で首を回して骨を折るなり、地面に勢いよく叩きつけて殺すことだって可能だった筈。互いの距離がどれだけ開いていようが関係なかった。


 しかし、雅人がわざわざ茜の方まで近づいて、いかにもこれから殺しにかかる素振りをしてみせたのは、心の奥底に仕舞い込んでいた本音を引き出すためだったと理解した。


「それは、そうだろうけど……それとこれとは、全く別問題だよ!」と戸惑いながら制裁を止めるように強く否定する。


「あのさ、何様のつもりだよ。他人を好き放題貶めて人生を狂わせておいて、いざ自分が同じ立場になると、許してほしい、目を瞑ってほしいと必死になる。いつも自分の今しか考えていない。


君ってさ、本当に我儘で無礼な人だよね。そんなんだから、こんな奴にくだらない恋愛感情を抱いて心酔して、盲信して、使い捨ての駒として良いように利用されて騙されて、挙句に自分を育ててくれた義理の父親を巻き込んで、死なせる羽目になったんじゃないのか?」と怒気を込めて言い放った。


 それを聞いて茜は目を見開いてハッとなった。まるで金槌で頭を思い切り打たれたような衝撃だった。


 雅人がどうしてこちらの家庭の事情を知っていて、どのように知ったのか、この際どうでもよかった。


 まさか、以前にも浩紀に言われたのと同じことを、ここでもう一度聞くことになるとは思いもしなかった。反論する余地がない、核心の突いた至極真っ当な正論を突きつけられ、何も言い返せず押し黙る。


 それどころか、義理の父親が目の前で亡くなったときの情景が一瞬にして鮮明に蘇る。父親がトラックの運転を終えて倒れ込む様子や、その体に触れた時の冷たくなった感触が次々と脳裏に浮かぶ。


 自分の所為でそういう状況を引き起こしたことへの後悔と絶望感に圧し潰され、魂を抜かれたようにガクッと頽れて項垂れてしまった。


「わ、私……お、父さん……」と、震える声で小さく呟く。体も小動物のように小さく丸まって縮こまっており、誰からどう見ても明らかに目も当てられない状態だった。


「フン、こうして生かされただけでも感謝しろ」と、精魂尽き果てた茜に追い打ちをかけるように冷酷に吐き捨てる。

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