第140話 向き合う恐怖

「……もし、僕に本当の母親がいるんだということと、僕を育ててくれた母親が偽物だったということに気付いていれば、あんな悲惨な決別を迎えることなんて無かったのかな……」と回顧しながら無念そうに呟く。


「一体何があったのか、教えてくれないか」


 と岩嶺が訊ねると、洸太は今まで実母と思って接してきた人から、行き過ぎる監視や体罰を伴う教育や日常的な虐待を受けていた挙句、ナイフで殺されかけたところで反発したら意識不明の重体にしてしまい、そのまま家を飛び出して逃げて来たことを打ち明けた。


「その年になるまでそのような壮絶な環境で育ってきたとは……早く君を見つけて引き取っていれば、そんな苦しい思いをせず、真逆の人生を送れていただろうに」


「そんなこと言わないでください。僕は別に、岩嶺さんに謝罪してほしいがために話しているわけではありません。悪いのは、その環境に耐えきれなかった僕の精神力の弱さです。だから僕は、もういい加減ごく普通の人生を送りたいと強く願うようになって、何もかも嫌になって目の前のことから目を逸らし、あらゆるものを容赦なく切り捨ててきました。


勉強も、親も、差し伸べてくれた友達の手さえも……そうすれば、悪夢のような人生を終わりに出来ると思っていた」と重々しい口調で話し、岩嶺は何も言わずただじっと傾聴している。


「でも、関わった全ての人達のことを敵と見做して拒絶した結果、あろうことか友達が復讐の鬼と化して暴走していきました。取り返しのつかないことをしてしまったんです。帰る家も里親はもとより、光山洸太としての社会的立場も失ったけど、せめて、自分の所為で復讐に囚われて墜ちていった友達だけはこの手で救いたい。それが、僕の果たすべき責任であると思っています」


「洸太君……」


「でも、そんなことは頭で分かっていても、本当に勇気を持って立ち向かえるかどうかわからない。恐怖で身体が強張って震えてしまう。お母さんが僕と会うのをずっと躊躇っていたように、僕も彼とどんな気持ちで向き合えば分からない。いくら自分で自分を奮い立たせて前向きな気持ちになろうとしても、恐怖が勝って何も出来なくなってしまうんです……」


「そうだったのか」


「どうすればこの恐怖を克服できるのかも分からない。こうしている間にもあいつは憎悪を募らせて強くなっているのに、僕はまだ止まってまごついている。僕は、死ぬ最後のその時まで僕のことを想い続けていたお母さんみたいに、全然強くなれない……僕は、なんて情けなくて弱い人間なんでしょうね」と卑屈になる。


「覚悟はあるが怖くていつまでも一歩を踏み出せずにいるんだね。私だって、絶対に失敗できない物事を始めようとするときの恐怖は半端じゃないさ。他の人たちだってそれぞれ度合いは違うが、何かしらの恐怖を抱えて物事と向き合っている。それは洸太君だけじゃない。それに、君は二人のお母さんから深い愛情を注がれている」


「深い愛情ですか……僕に幾度となく虐待を繰り返してきた挙句、殺そうとしてきた人に愛情なんてあるわけがないと思うのですが」

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