第136話 <回想>濡れ衣
時を遡ること十二年前。ある夜、綾川善弘の父・善明は当時児童養護施設を経営していた岩嶺に相談を持ち掛ける。
その相談とは、当時の綾川の同僚である倉本が、柾と名乗る男と結託して攫って人体実験を行っている子供たちを匿ってほしいという、衝撃的な内容だった。
証拠も掴んでおり、四人の子供たちは全員何かしらの家庭トラブルの被害に遭われた子供ばかりで、帰る家も迎えてくれる家族もいないとのことらしい。
ここのところ、児童養護施設の資金繰りも上手くいかなくなってしまい、そろそろ畳もうと考えていたところだったので、相談には乗れないと拒否した。
それでも綾川は、これから過酷な運命を強いられる子供たちのことを案じるとともに、孤児だった自分と同じ思いをしてほしくないと引き下がらず、資金繰りの件も任せてほしいとせがまれ、子供を欲しがっている信頼に足る知り合いの家族に預けることを約束し、渋々了承して協力することにした。
しかし、綾川と綿密に子供たちを救出する計画を立てていざ実行に移した夜、引き渡しを行う児童養護施設の前で綾川の連絡を待っていると、何者かに後ろから鈍器のようなもので打たれて、その場で倒れて意識を失った。
再び目を覚ますと、何故かアスファルトの道路の上で横たわっていたことに気付いた。その道路は先へと続いていて、その下には木々が生い茂っており、更に向こうには街が広がっている。
どうして自分がこんなところにいるのか見当がつかない。自身が運転する軽トラックもあって、エンジンがかかったままとなっている。エンジンを切ろうとトラックに近づいた時、トラックの右側のヘッドランプごとフロントバンパーが凹んでいるのが見えた。
そして、ガードレールの一部が無くなっていることに胸騒ぎを覚え、下を覗くと何かが山の斜面を転げ落ちていった跡があり、その先に横たわっていた一台の車があった。原形も留めていないほど大破して白煙を上げており、衝撃の強さを物語っている。そして、その車の持ち主は綾川のものだったことが分かった途端に、驚いて叫び声を上げて尻もちを着く。
ここで漸く状況を理解した。気を失っている間に自分の軽トラックを運転して綾川の車とぶつかってしまった。その後、綾川の車が道路沿いのガードレールを突き破って車ごと崖下へ落下していった。
頭の中で状況を整理できたところで感情が追い付かない。故にそれまでの記憶は一切無い。無意識の状態でこの場所まで運転してきた挙句、綾川の車を道路から突き落としてしまった。綾川や彼が連れてくる筈の子供たちの姿も見当たらない。
となれば、恐らく綾川とともに、落下してぐしゃぐしゃになった車の中に取り残されていて、生存は絶望的と見ていいだろう。現実的にあり得ない出来事だが、こうなってしまった以上は、自分がやってしまった事実を受け入れるしかないと諦め、後に到着した警察によって身柄を確保された。逮捕されても尚、事故を起こしたという実感が全く湧いてこない。
後から聞いた話だが、かつて運営していた児童養護施設が放火によって跡形もなく焼失してしまい、火をつけたのも岩嶺本人だったことが、警察の調べで明らかになった。
綾川の車をぶつけて殺害してしまった件も含めて、自分が倒れて意識を失くしている間に、そんなとんでもないことが起きていたにも関わらず、自覚すら無かったことに驚きのあまり言葉を失い、夢であってほしいとさえ希った。
完全なる濡れ衣だと確信して無罪を主張したが、次々と浮かび上がる物的証拠を前にして岩嶺はぐうの音も出ず、更に、炎が隣接する住宅にまで燃え移ってしまったことが焦点となって、その後の裁判で懲役十年の判決を言い渡された。
この判決に目の前が真っ暗になり、「そんな……」と虚無感や絶望感といった、何とも言えない感情を含んだ声が思いがけず漏れた。
この事実を決して覆すことなど出来やしない。こうなってしまってはいくら無実を証明しようとしても拒絶されるだけ。最早抵抗する気力も無い。この状況を受け入れて、空虚で無意味な十年を牢屋の中で過ごすことになった。
独房の中で生活を始めてから五年が経ったある日のこと。一人の女性が岩嶺の元を訪ねてきた。
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