第4章 キリス

第126話 いただきます!

 とある山の奥地に生い茂る森の中。マイナスイオンで満たされているその山の中腹に立つ一本の木の下で洸太は幹にもたれかかってスヤスヤと眠っていた。そして葉と葉の間に差し込む日の光で目が覚める。


 立ち上がって周りを見渡し、森の中にいることに気付いた。少なくとも都心からかなり離れたどこかの山にいることは確かだった。


 確か、装着していたリストバンドの電気で身体が動けなくなって陽助に拘束され、地下の収容フロアに連行されそうになったところで意識を失った。それ以降自分がどうなったのか分からず、こんな見知らぬところに来てしまった経緯さえ皆目見当も付かない。


 それどころか、右手首にある筈のリストバンドが無くなっている。無理に外そうとすればその瞬間に電流が流れる仕組みになっているのに、一体どうやって外れたのかが不思議で仕方が無かった。


 戸惑いながら暫く森の中を歩いていると、前方に白服の男の姿が見えた。純白な衣服に所々にあしらわれた金色の刺繍、そして天使のような風貌。彼は以前横浜の埠頭で出会った男で間違いないと見た。


 近づいてみたところ、男は切り株に腰かけてブツブツと何かを呟いている。その目の前にはこれから食べるであろう魚や野菜などの食材が地面に並べられていた。洸太の気配に感付いた男が呟くのを止めて後ろを振り向く。


「おや、随分と早い目覚めだね。もういいのかい?」洸太がいつの間に起きていたことにハッとして尋ねる。


「あっ、はい。それより、今何をされていたんですか?」


「ああ、これから調理する食材に対して感謝の祈りを捧げていたところだ。丁度終わったばかりでこれから食事の支度をするから少し待っていなさい」と立ち上がる。


「いや、お腹は空いていないんです。ただ、少しだけ喉が渇いたというか、何か飲むものがあれば良いのですが……」


「それならばすぐ近くに湖がある。そこの水を飲めば良い」


「えっ……いや、み、湖は良いです」と遠慮した。


「ん、何故だ」


「そういう水は体に悪影響を及ぼす菌がたくさん入っていてとてもじゃないけど飲めないですよ。それと、僕には水全般に対してトラウマがあるんです」


「トラウマ? それはどういう意味だ」


「心に負った傷です。その原因となる言葉や物を見聞きすると、途端に恐怖が込み上げて身体が強張ったり、震えが止まらなかったりしてしまうんです」


「トラウマか。なるほどそうだったのか。であれば今は無理をさせられないな。じゃあどうする?」


「ああ、もう平気です。このまま過ごします」


「駄目だ。ずっと何も口にしていないだろう。空腹を満たせばどうにかなる」


「分かりました……」と半ば強引に食事に誘われる形となり、集めた食材で料理を始める。

 

 暫く待っていると、食事の用意が出来たというのでこちらに来るよう洸太を手招きした。来てみると、焚火の周りに置いてある小石を台座に載せた鍋の中に魚や野菜といった具材がぐつぐつ煮込んであった。


 男は切り株に座り、洸太は反対側にある石の上に腰かける。男は鍋に入っている具材を小皿に移して洸太に渡し、洸太は「ありがとうございます。いただきます」と言って受け取って食べようとしたところで男に止められる。


「今、ちゃんと『いただきます』と言葉で言った筈ですが……」


「それでは我々の命の糧となるこれらの食材に対して失礼であろう。もっと心を込めて感謝の言葉を述べてから食べなさい」と注意する。


「先程あなたがやっていたように目を閉じて唱えた祈りをですか? けど、聞いたところ僕の知らない言語で唱えていたみたいでしたし、何をどうすれば良いのかさっぱりで……」


「別に私と同じように行えと言っているわけではない。ただ先程のような言い方ではが伝わらない。もっと心からありがたみを感じながら自分の言葉で感謝を表現すれば良いと言っているのだ」


 とアドバイスをすると、洸太は渡された小皿を膝の上に置いて、両手をしっかり合わせ、目を閉じて「これらの収穫された食材、そしてそれに関わった全ての人達。それら全ての命に感謝して、いただきます!」と自分なりに精一杯の感謝の気持ちを込めてそう述べて早速一口目を口に運ぶ。


「味はどうだい?」


「……美味しい、美味しいです」と涙を浮かべながら答える。空腹だったこともあって更に美味しいと感じた。

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