第123話 二つに一つ
「……申し訳ない。つい取り乱してしまった。やり過ぎたことは謝る」冷静さを取り戻しながら優しく言葉をかける。
「ちょっとばかり問題が起きてね。例のあれがあと一歩と言うところで起動できないことが分かったんだ。そして十中八九、お前が付けているそのリストバンドには、探知機が内蔵されているだろう。もうじきこのアジトの場所が奴らに知られるのも時間の問題だ」
「お、母さんが……お母さんが……」雅人が目に涙を浮かべながら言った。目の焦点は定まっておらず、泳いでいる。
「ああ、今朝の新聞で見たよ。身につまされるな。あの夜、お前が突然意識を失って倒れたのはそういうことだったんだなと漸く腑に落ちたよ」
雅人の母親が殺害された日の晩、次の作戦に使うからと浩紀にお願いされてガソリンの入った大量のドラム缶を整理していた際、最愛の母親の断末魔の叫びとその壮絶な最期が脳内に突如浮かんできて、あまりのショックに気絶してしまったのだった。
「なん、で……」次第にやり場のない怒りがどんどん湧いてきて無意識に念力が発動して身の回りの物が振動し始める。やがて振動が壁や天井にまで伝わってきた。
「お母さんは、関係ない筈なのに……! お母さんは……俺が、お金を稼いで治そうと思っていたのに……どうして死ななければいけないんだぁ!」
「日向!」あわやアジトが崩壊しかねないと案じた浩紀が大声で叫んで雅人を制する。雅人は驚いた表情で浩紀の方へ振り向き、振動が徐々に収まっていく。
「いいか、これはお前の責任でもあるんだ。あの時言った筈だぞ。協力する以上は覚悟を持たなきゃいけないって。それなりの犠牲も伴う。それがたまたまお前の母親だったということだ」
「お母さんは……お母さんは関係ない!」
「自分の母親がこんな形で死ぬなんてそう簡単に受け入れられないだろう。僕だってお前のように悲しみに暮れると思う。最愛の家族の死ほど辛いものは無いからな」
聞いているのか聞いていないのか、雅人は反応せずただ空を見つめながら虚ろな表情で呆然としていた。
「更に厄介なことに、警察と特殊部隊がお前を捕らえようと躍起になっている」浩紀が続けて告げると、雅人は遂に背を丸くして項垂れていた。
「なあ、岡部……おかしいのは俺の方か? それとも世の中がおかしいのか……」悲壮感に満ちた上目遣いをして問いかけた。込み上げる怒りとともに再び念力が発動する。周囲の物体が、空気が振動し始めた。
この時の雅人の左目の眼球には黒い輪郭のような模様が浮かび上がっており、それがどんどん覆うように広がり始めているようだった。それに気付いた浩紀は雅人が更なる力を解放して覚醒しようとしていると考え、頬が緩んで凶々しい笑みに変わる。
「もう、嫌だ……何もしたくない! 頼む、俺を殺してくれ……俺にはもう、耐えられないんだ!」と縋るように浩紀の白いタートルネックの裾を絶対に離さなんばかりの強さで掴んで涙ながらに叫んだ。
まるで餓死寸前の物乞いが最後の力を振り絞るように食べ物を求めるような必死な様子に浩紀は拒絶するようにふいに雅人の顔を殴る。
「甘えるなぁ! お前がそうやって愚図ったところでもう過去には戻れないんだよ!」と一喝する。
「いつまでもめそめそするな! いいか、これを機に今一度決断しなければならない。このままお前の母親を殺した奴らに屈服して大人しく身を引き、暗い過去を背負って現実から逃げ惑うか。覚悟を改めて奴らに抗い、母親の仇を討ってこの腐った現実社会に変革を齎すために闘って前に進むか。二つに一つだ。
終わるか進むかを決められるのはお前次第。全てを失ってでも国を変える勇気と根性がお前にあるのか!」雅人の胸倉をガッと掴んで自分の方へ引き寄せる。あまりの迫力に雅人は目を背けることが出来なかった。
「もう分かってる筈だ。ここまで来たのなら最後まで突っ切るしかないってな。やることは一つしか無いだろ。涙を流す暇があるなら、もう一度抗ってみろ。それでも弱音を吐くのなら、今ここで殺してやる」
「抗う」という言葉を聞いて雅人は長い夢から醒めたようにハッとなった。嘗て自分が洸太に対して口にしていた言葉だった。
涙を手で拭き取って目を閉じて再び開けた時、心なしか子供じみた弱弱しさは消えており、決意と覚悟を宿している。
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