第90話 茜のわがまま
エレベーターで地下二階へ降りた洸太は、茜を連れて秘書の附田に言われた部屋へと茜を連れて歩いていた。終始気まずい雰囲気が二人の間に流れていて、お互い何を話せばいいのか分からないまま、気付けば部屋の前に着いた。
「この部屋みたいだ」と、渡された部屋の鍵を差し込んで開錠してドアを開ける。部屋の中はビジネスホテルのような少し大きめのワンルームとなっており、ユニットバスの他、小型冷蔵庫や簡易ベッドが置いてあり、セキュリティー確保のためにデスクや棚といった収納できるものは無かった。
「なんか、殺伐としてるね。当分ここで過ごすんだ」と、部屋の中を見渡して率直な感想を述べた。裕福な上流階級の家庭で生まれ育ち、上品な暮らしに慣れていた茜にとって、安物のベッドの触った感触と寝心地はさぞ良くないだろうなと不安視したが、どことなく受け入れているような言い方だった。
ベッドに座り込んだ瞬間、緊張の糸が切れて疲れがドッと来た。思い返せば茜は会議中ずっとそわそわしていた。さぞ居心地が悪かった筈だ。見知らぬ場所へ訳もなく連れられてろくに休息も取れず、親にも連絡できない中、当事者及び重要参考人だからと、自分以外敵しかいない部屋の中で刑事ドラマのような取り調べを受ける。
どんな人であれ、そのようなアウェーな状況で周りから責め立てられれば、簡単にメンタルをやられてしまう。
「うん。これぐらいの部屋しか確保できなかったらしくって」押し潰されそうな緊張とプレッシャーからやっと解放されたのか、いつも通りの茜に戻っていることに気付き、なんとかメンタルを持ち堪えられたことに心のどこかで安堵する。
「まあ、あの取調室みたいな部屋より広いし別にいいけどさ。ネットも無いし、スマホも没収されたままなんでしょ。何すればいいの?」
「基本はこの部屋でいてもらう形にはなるかな。本とか新聞読んだり、運動したりとか。ああ、市宮さんは一般人だから運動とかは強制じゃないけど……でも食事は三回あるから安心して」
「何それ、やりたいことができないとか超退屈なんだけど。食欲とか別に無いんだよね。昨晩も出されたけど一切口にしなかったし。あと知らないと思うけど、私インフルエンサーなんだよ。フォローしてくれる人達が皆私の投稿を待ってるの。
確かにロードバイクに乗って、東京中を駆け巡ったりとかするから肉体派だって思われるけど、ここを見つけたんだよっていうことをメインに見せたいのであって、私は飽くまでサブで飾りなの。
だから別に肉体トレーニングとか全くしてないっていうか、そこまで重視してないの。私からトラベルインフルエンサーの肩書を奪われたら、私が私じゃ無くなるんだけど」と、不満そうに今まで溜まっていた鬱憤を全部吐き出すように捲し立てた。
茜は自転車で東京中を回りながら、ガイドブックに載ってない隠れたスポットへ行き、実際に訪れたときの雰囲気や自分なりの視点で発見した魅力を、その都度SNSに発信することで人気を集めている。
「残念だけど、この件が終わるまではインフルエンサーと学級委員長の活動は暫く休止かな。スマホもまだ返せないし。もし、他に要望があれば職員の人を呼べば直ちに聞きに来てくれるから何不自由ないと思う」そんな茜の八つ当たりにも洸太は冷静に対応した。
「だったら今すぐここから出してよ。それが私の要望なんだけど」
「それは聞き入れられないよ。まだ重要参考人だし」
「じゃあ何不自由ないとか簡単に言わないでよ。もう既に不自由なんだから」少々キレ気味に反論した。
「ごめん……」
「何謝ってんの。あんた超能力者なんでしょ? 鳥のように空を自由に飛んだり、触れないで物を動かしたりできるじゃん。その力を使ってこの施設にいる全員蹴散らして私を救ってみせてよ。この前のコンビニで犯人を撃退してくれたようにさ」と上目遣いの表情をして頼んだ。
その様子を見た洸太は、彼女がどうして上目遣いをしてお願いを言ってきたのかが分かった。
これはベビーシェマと呼ばれ、「広いおでこ」、「大きな目」、「顔のパーツが中央に集まっている」といった特徴を持つ赤ちゃんの顔に、上目遣いをした時の顔が非常に似ているのだという。そうした赤ちゃんや子供を見ると、哺乳類全般に本能的に備わっている保護感情が働き、「守ってあげたい」「助けてあげたい」という気持ちになる。
人間などの哺乳類の赤ちゃんは、このベビーシェマの特徴によって可愛く感じさせたり、助けたくなったりさせる保護感情を生み出す。これにより、生まれて間もない赤ちゃんは一人では生きられず、大人からの世話や保護を受けられるようになる。
つまり人は、上目遣いをして自分の印象を赤ちゃんに近づけることで、相手の保護感情を揺さぶって本能的に自分に有利な状況を作り出しているという。これは男女ともに有効であり、何かお願い事をするときに上目遣いをすることで頼み事も受け入れられやすくなる。
そして茜は、それを利用して洸太に自分の要求を前向きに検討してくれるだろうと考えた。しかし、洸太は上目遣いとベビーシェマとの関連性について知っていたため、通用しなかった。その上、自然にやっている様が逆にわざとらしくて薄っぺらいと感じ、何としてでも我を通そうとするその魂胆が見え透いていた。
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