第80話 プール訓練にて
トレーニングを始めてから一週間が経った。東達のスパルタ的指導のお蔭で洸太は見違えたように変わった。五感が鋭くなって筋肉も増強し、それに伴うスタミナや肺活量、新陳代謝、自然治癒力も向上した。
また、始めた当初は負けっぱなしだったが、今では格闘術といった武道全般を修得し、始める前と比較して瞬発力が高まって腕と脚の可動域も広がり、これまでの戦闘訓練において東や陽助とも負けず劣らずの戦闘力を発揮するまでに成長した。
城崎の帰国日まで残り七日。一喜一憂している余裕など無く訓練は更に過酷さを増していく。東、陽助、洸太の三人はトレーニング用のユニフォームに着替えてエレベーターでネオテックの最下フロア、地下五階へ向かうこととなった。
「まさか今日は、また違った訓練を行うとか?」
「御明察。いつまでも同じ訓練じゃつまらないだろ」
「せめて何をやるかってことぐらい教えてくれないと困るんだけど」
「それも行ってからのお楽しみだ」いつものようにはぐらかされてしまい、そんな東に辟易する洸太だった。
エレベーターが開いて長い廊下を暫く歩いていく。進んでいくにつれて学校のプールでよく味わう塩素の独特の臭いが鼻腔を刺激する。その臭いから連想されるのはプールというワードだった。洸太はまさかと思いながら歩き続けてそして鉄製の扉が見えてきた。三人の姿を認識した扉が機械音を立てて横に開く。
部屋に入った瞬間洸太の身体が硬直した。部屋は他のトレーニングルームと同じく灰色の壁に覆われており、その真ん中に巨大なプールが広がっている。そしてやはり入って右側の壁に強化ガラスで出来た長方形の窓があり、その向こう側には研究開発部主任の綾川をはじめ多くのネオテックの職員たちが観察に来ていた。
「ここは水中戦を想定した訓練を実施する部屋だ。目の前にあるプールは学校に置いてあるものよりも更に広くて深いプールになっている。戦闘の舞台が常に陸地であるとは限らないからな」言葉が見つからない洸太に気付いて話しかける東だった。
東が説明した通り、このプールはオリンピックサイズプールよりも広く、水深が八メートルもあり、最早プールと呼ぶべきかどうかも分からない程巨大だった。
今日はこのプールにて訓練を行うのだと確信する。今にも逃げ出したい気分だった。これまでの戦闘訓練や身体能力を上げるトレーニングはどうにか耐えてきたが、こればかりは耐えられる気がしない。
水という存在を見るだけで恐怖を覚えて背中に悪寒が走り、あの時川に落ちて溺れかけたトラウマが蘇ってしまう。現にこうして立っているのがやっとだった。
東と陽助がプールの方へ歩き出すと、洸太は見たことない大きさのプールの迫力を前にその場でただ立ち尽くしていた。
「どうした光山」と東が振り返って訊ねるも、洸太は「あっ……う、ううん、何でもない」と我に返って歩き出す。
「なんか今日変だぞ。どうした?」
「うん、あまりにも大きいプールだから……」不思議そうに尋ねる陽助に咄嗟に嘘を吐く。
歩き出した三人はプールを背にガラス窓の前に立つ。洸太は少しでもプールから離れようと一歩前に立った。その直後に研究開発部主任の綾川がマイクを介して三人にアナウンスする。
<えー今日の訓練はこのプールの中で行ってもらう。メニューの内容は水中での各種筋トレに念力操作そして水中格闘とまあいつも通りだ。光山君は初めてだから二人に教えてもらいながらちょっとずつ慣れていけばいいよ>
「よし、じゃあ早速始めようぜ」とご機嫌な様子でプールの方まで走って飛び込んだ。着水した瞬間に豪快に水飛沫があがった。
「えっ、ユニフォームを着たまま飛び込んでいいの?」洸太が目を丸くして東達を指差しながら綾川に訊いた。
<ああ、問題ない。どんな環境にも対応できるように設計して製造したユニフォームだからね>
そう答える綾川に対し、改めてネオテックの技術力の高さに感心する洸太だった。
「おい、どうした光山。お前もこっちに来いよ」陽助がそうやって呼びかけるが、洸太はなかなか踏み出せない。
「お前、いい加減にしろ。訓練はもう始まってるんだぞ」
「い、いや……僕は」と小さい声で躊躇う。どう断れば良いのか分からずモジモジしている。
「さてはお前金槌だな? だったら俺が丁寧に教えてやるからまずこっちに来い」
「で、でも……」トラウマへの恐怖で身体が小刻みに震え、足が竦む。
「いいからつべこべ言わずに飛び込めよ!」といつまでも動かない洸太に痺れを切らした陽助が指で「来い」という動作をしてみせた。すると、洸太の身体が念力で浮かんで弧を描きながら豪快にプールへ落下していった。
着水した瞬間、水の中に入ってしまったこととプールがあまりにも深く見えることに驚いた。これまで水の中に入ることを避け続けてきたためどうすればいいか分からず、慌てて手足をバタバタさせる。
これでは溺れてしまうのも時間の問題だと、なんとか水面から顔を出して息継ぎをしようと必死に藻掻くも、どこが上でどこが下でどっちが右でどっちが左なのか全く分からない。そうしている間にも、脳裏に川に落ちて溺れかけた時の記憶が鮮明に蘇る。
「おい光山、どうしたんだ!」と東と陽助が洸太の異常なバタつきぶりが気になって元へ泳いで近づいたその時、
「うわあああああああああああああ!」
洸太がサイコブレイクを起こして念力が爆発した。あまりの衝撃に東と陽助は大量の水とともにプールの外へ押し出されてしまい、突然の事態に綾川や他の職員たちも動揺している。
「くっ……これは、サイコブレイク!?」と空中に浮遊したまま驚愕する東。プールの水はまるで台風の猛烈な風に煽られているかのように大きくて激しいうねりを起こしており、その真ん中で我を失い取り乱して藻掻き苦しんでいる洸太の姿があった。
「なんて力だ。これが、光山の……」
「どうする!?」
「ひとまずあいつをプールから引きずり出そう」と念力で洸太の身体を捕えようと試みるも、大質量のうねりが津波のように何度も激しく押し寄せてきて一筋縄ではいかない。
「陽助、念力でプールの水を一旦全部抜くんだ!」
「うっ、分かった!」
そう言って前に出た陽助が迫ってきたうねりを念力で止めたかと思うと、挽肉をハンバーグのように丸く形作っていく要領で大量の水がみるみるボール状に変化していった。
そうして出来た球状の水の塊を天井付近に移動させ、東が残りの水を引っ張り上げて水の塊と合体させる。東と陽助の連係プレーによってプールの水の量が少しずつ減っていき、やがて空になった。
全ての水が大きな塊となって天井近くに留めているその間に、意識を失って力なくだらんとしている洸太を東が引っ張って部屋の隅まで移動させる。それを確認した陽助は念力を解除して包んでいた膜が切れたかのように水の塊が崩れて轟音を立てながら空になった真下のプールに落下していった。
すぐさま防護服を着た職員たちが伸びている洸太の元へ駆けつける。気絶していて、口から血反吐を吐いており、どうやら無意識による念力の暴発によって発作を起こしたようだった。
この事態を受け、訓練は急遽中止となり洸太は速やかに処置室へ運ばれることとなる。
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