第77話 ネオエンパシー②

「我々は人の話し声や歩く音、車のエンジン音、信号機の発するメロディ等、日常の中で様々な音を無意識に聞いている。言わば音の洪水の中で暮らしている状態だ。たとえ夜寝ている場合でも音は絶え間なく耳に入ってくるのさ」


「寝ている時でも?」


「そうだ。人間は寝ていて意識が無い状態でも、周りで音がした場合その音は鼓膜を刺激して脳に届いている。人間は元々自然の中で常に命が危険に晒されている環境の中で生きてきた動物だったからだ。


そして動物が最も無防備になるのが寝る時で、寝るというのは死と隣り合わせの危険な状態だ。もし天敵の接近に気付かずにボーっと寝ていたら待っているのは死あるのみ。


動物にとって音は危険を感知して命を守る重要な情報であるため寝ていても脳に音が届いている。天敵が現れたら少しでも早く察知して逃げるためにね。特に俺たちのような特殊な人間は、聴力が鋭敏になって数キロ先にある蟻の足音といった普通の人間には聴こえないような音まで拾えるように耳が数倍発達したんだ」


「耳栓とかで塞いでも無理なんだね。しかも普通の人より耳が敏感になったってことは、音が聞こえる範囲も普通の人間より格段に広がったってことでしょ。そしたらより多くの声がひっきりなしに入ってきてそのうち脳が破裂しちゃうよ」と洸太が不安げに言う。


「お前の場合、もしかしたら耳に入ってくるそういう声を拒絶しようとしてるんじゃないのか?」


「拒絶……」


「耳に入ってくる声を拒絶しようとすれば、それがストレスとなって脳の周辺の筋肉と血管が圧迫されて痛みを引き起こしてしまうんだ。ずっとそうやって聞こえないようにするために反発してきたから頭痛に悩まされてきたんじゃないのか?」


 そう聞かれて洸太はこれまで体験してきた出来事を回顧する。助けを求める声や悲鳴が聞こえてくる度、また頭痛に襲われるのではないかと恐怖に駆られてそれらの声を振り払おうと懸命に抗い続けてきた。だが、それが逆効果で、寧ろ排除しようとすればするほど痛みを誘発しているということを告げられてショックを受ける。


「……じゃあ、どうすればいいの?」


「簡単さ。拒絶するのではなく受け入れてしまえばいい。冷静に甘受すればそういう声は緩やかに流れていって頭痛もしなくなる」


「でも、条件反射で助けを求める人の痛みを疑似体験するから結局痛みが伴うんじゃないの?」


「心配するな。この前も言っただろう、ヌミノーゼ遺伝子を組み込まれた者達には能力指数っていう強さのレベルがあると。そのレベルが上がれば上がるほど痛みも感じなくなる」


「それまでは、聞こえてくる声が引き起こす痛みに耐えながら生活するしかないってことだね」


「確かに声を塞ぐ方法は無いと言ったが、イメージトレーニングをしていけば聞こえる間口を狭めることが出来る」


「イメージトレーニングってどんな?」


「漏斗をイメージするんだ。漏斗は口径の大きい容器から口径の小さい穴を通して投入したり、流下させたりする際に利用される円錐状の器具だ。その形状を耳に重ねるようにイメージすることによって、入ってくる声が自然と少なくなっていく」


「たったそれだけで解決できるなんて……」と意表を突かれた様子で言った。


「ハハッ、早くやっておけば良かったって思ってる顔だな。まあ、俺も東に教わった当初は本当にそんなことが可能かどうか疑ったが、実際にやってみたら不思議と効果が出たもんだから信用出来るぜ。ただそのトレーニングの成果が現れるのは個人差があるから何とも言えないがな。ちなみに俺は一ヶ月かかったけど」


「陽助でさえ一ヶ月もかかるのか……」


「お前の場合は陽助よりも短期間で効果が出るかもしれないしその逆もあり得る。だが、日向たちとの戦闘に間に合わなかったからと言って悲観することはない。どんなトレーニングも真剣且つ全力で励めば決して無駄にはならない筈だから」


「分かった。そこまで言うならやってみるよ。それしか方法は無いみたいだし、時間も少ない」


「そうだ。しっかり食事と睡眠をとって、漏斗をイメージするしつつ、死に物狂いで身体と脳を鍛えて規則正しい生活を毎日送る。このルーティンを徹底すれば少なくとも実戦で足手まといにならずに済むだろう。ただそれだけでは心許ない。


だからこそ、お前には課外トレーニングを課す。今日トレーニングが終わったら多目的トレーニングルームに来い」有無を言わさぬ口調で洸太に命令する。


「課外トレーニングって何するの?」


「それは来てからのお楽しみだ」

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